Mymed

芝浜2050

 浅草みどりが体育の時間にすっ転んで頭を打ったのは、奇しくも映像研が作った作品が世界的な賞にノミネートされるのを学校側が勝手に辞退したと知った日だった。そこに因果関係があるかないかは本人のみぞ知るところだが、浅草は慌てて駆け寄ってくる金森の顔を眺めながら(賞だのノミネートだのどうでもいいと思っていたが、自分で思っていたよりショックを受けたようだ)と他人事のように考えながら重力に身を任せていた。そして後頭部を強打。そしてまた、そこに因果関係があるかないかは神のみぞ知るところだが、目が覚めてみると浅草は世界的な賞の話を夢だと思っていた。つまり、そういうことだ。

「なんだ、金森氏もおんなじ夢みたんか。それにしても世界的映画賞にノミネートたぁ、ワシの脳みそもでっかくでたもんだ。そう思わんかね」
「……夢だと?」
「夢じゃろ? 実績なら国内の賞で十分じゃろうし。なぁ、次回作のことなんじゃが」

 この反応には学校側の対応に怒り心頭といった風の金森も水崎も、もはや口に出すこともかなわないと思い知るのだった。
 金森は天井を仰いでこの数ヵ月に思いを馳せた。まず、映像研究同好会は学校を納得させる実績のために国内の映画賞を獲得しようと、ショートフィルム作品に限定している映画祭に出品した。いくつかある中でも、賞金の大きさにつられて監督の年齢制限がある部門ではなく、出品料をすぐ回収できることからオフィシャル部門を選んだ。この部門の優秀賞は世界的映画賞のノミネートの可能性があるというのは、優秀賞を獲得してから知ったことだったが、知らない方がおかしかったらしい。そしてあれよあれよという間にノミネートの話まで出てきたが、学校側に阻止された。これはそういう青春と権力の横暴の闘争の話なのである。
 浅草が構想をホワイトボードに書き出す間に、水崎があわあわと金森に詰め寄る。金森が鬱陶しそうに数歩下がると、水崎は小さな声で叫んだ。金森は頭をぽりぽりとかきながら小さな声で叫ぶとは器用だなという感想を持った次第だ。

「どうすんのあれ! どうしたらいいの!」
「どうもこうも……、藤本先生が言ってた触れない方がいいってのはこういうことみたいですね」
「じゃあもう話題に出しちゃダメ……」
「そういうことです。しかしかの掌編映画賞を獲ったのは覚えているようなのでその話は大丈夫そうですね」
「それにしてもあれがダメでこれがいいっていうのがわからないよ。国内も海外も渡航費なんてお年玉くらいでしょ」
「水崎氏と一緒にせんでくださいよ」

 学校側の言い分は国内の映画祭は実績としていいが、海外ともなると引率もしきれず金銭面の負担も大きいため教育との整合性が取れないというのが主な内容だった。いっそのこと、この握りつぶされた事実を週刊誌にでも売り込もうかと考えていた金森だったが、浅草の傷をえぐるようなことになると考え、振り上げかけた拳を押さえつけているところなのである。ただ、もう一度賞を獲った時、そして学校側が評価しだしてすり寄ってきたときに出す方がダメージが大きいと考えついたときに真に拳を下ろせたのは心の中に留めておく予定である。

(まぁ、いい。世界的でなくとも賞は獲った。アニ研の批評と、賞のファン。今回のDVDはいつもより多く売れる。そこに真偽不明の世界的映画賞の噂は勝手に流れる。そして浅草氏にはその噂は届かないはず)

 金森は自分なりの落としどころを見つけて、次の行動を考え始める。そんな金森を見て、水崎も「じゃあ次だ、次!」と浅草の構想にあわせてキャラメイクを始めるのだった。

「ちわーっす。あれ、もう次回作ですか」
「あぁ! 見てくれ百目鬼氏!」
(賞をとってもとらなくても関係なく好きなものを作りたいだけの人か)

 話の経緯を知らない百目鬼だったが、彼女については一人で納得して賞の話題を出すことはなかった。元々興味のない話である。
 こうして幻の映画賞の話は、映像研の禁忌となったわけである。
 
 時は流れて2060年。フローリングに寝転んだ浅草は、うさぎのぬいぐるみを両手で持ち上げた格好で次回作の構想を練っていた。ふわふわと思い描いたことのある『映像研メンバーでアニメ制作会社を作る』という理想にのっとり会社は興したが、四人分の給与の捻出は厳しく、現在の社員は浅草と金森の二人。水崎はインターンにも行った大手アニメ制作会社に入社し、百目鬼は別の音響を扱う会社に入社した。今は浅草と金森の二人で借りたマンションの一室が事務所となっていて、今浅草が寝転んでいるのはその事務所だ。

「何やってんすか。体痛めますよ」
「あ、おかえり」
「コロッケ買ってきやした」

 金森が差し出した手を掴んで起き上がる。会議用のデスクに山盛りのコロッケが皿に盛られると、ガチャっとドアの開く音がした。

「ビール買ってきた。百目鬼さんもすぐ来るよ。下で自動ドアの音録ってた」
「水崎氏、さすがにビールはお預けです。一応ミーティングですよ」
「じゃ、冷蔵庫に入れとくね。あっ、このお茶出しちゃうよ」

 同じ会社の社員として働くことはできなかったが、一緒に作ることはできる。それが四人の選んだ道だった。水崎は映像研での活動での経験と持ち前のカリスマ性を発揮し、入社後ほどなくしてアニメーター部門で重宝されるようになった。水崎の会社の提携会社として外部監督として浅草を指名することができるようになり、徐々に業界での評判が広まり浅草の会社が軌道に乗り始めたところだ。
 共鳴するかのように金森の営業努力が実を結び始めたのもその頃で、大手の映画会社の出資を得ることも少なくなくなってきた。

「ちわっす」
「百目鬼氏、コロッケは早く食べないと金森氏に食いつくされてしまうぞ」
「ミーティングの茶請けがコロッケって初めて聞いた」
「コロッケはいつの時代も正義です」
「さて、では諸君、長編アニメーション映画『最果ての林檎(仮)』の第一回制作ミーティングを開始する! では金森氏、頼む」
「はい、こちらは再集結した我らの第一作となり、初のオリジナル長編アニメーションです。目標は、かの世界的映画祭の長編アニメーション部門賞獲得とします」

 沈黙の中にぴりっとした緊張が走る。十年経ち、映像研の禁忌を侵す時が来たと、金森は判断したのだ。水崎の視線をシャットアウトするように金森は目を閉じた。

「まぁまぁ、難しく考えんでも、そのくらい魂を込めるってことじゃよ」
「じゃあ本気だね。アニメーターチームも精鋭揃える!」

 水崎は目をキラリと輝かせ、冷蔵庫に走って缶ビールを抱えてきた。

「まずは宴だ!」
「何かにつけて宴会をする人は嫌いです」
「知ってる! はい、浅草さん、乾杯の音頭!」
「まぁ、制作が始まったら宴会なんぞできませんからな。では、映像研再集結を祝して、乾杯!」

 かつて牛乳で乾杯したように、ほろ苦いビールで乾杯する。

(起業の見通しが甘かったことは否定できない。だけど浅草みどりをここで腐らせるわけにはいかない)

 金森は誰よりも浅草の理解をしていて、その才能を信じているという自負があった。

「絶対、獲りますよ」

 青春の再現といえば青臭く、感傷に浸りすぎていて金森の趣味ではない。しかし人見知りの浅草の力が最も発揮できるのは、気心知れたこの映像研なのだ。実際のところそれを助長したのは金森が守りすぎたせいでもあるが、本人だけは過保護に気付いていない。
 百目鬼はビールをちびちびと飲みながら、イメージボードから必要そうな音を想像していた。

(どうせ宴会しながら制作の話になるんだから、最初っから分けなきゃいいのに)

 クリエイターあるあるは、どこにいようと起こるのだった。
 
 その日金森は、かつて浅草が言った『終わるとか完成するとかではなく、魂を込めた妥協と諦めの結石が出る』という言葉を思い出していた。
 初の長編アニメーションは丸二年の製作期間を要した。妥協はいくつもあったが、締め切りがないだけでそれらは格段に減ったと言える。製作費用が底を尽き、さらに会社の予算を少し投入することでなんとか出来上がった作品は、文字通り魂を込めた一作となった。
 そして見事、国内の映画祭で優秀賞を獲得した。高校生の時と同じ映画祭ではなかったが、世界的映画祭公認の映画祭でありノミネートへの最短ルートだ。

(あの時の再現のようだ)

 ノミネートが発表されるのは日本時間の夜中である。二人で並んでソファーに座って適当にテレビを見ていたが、既に浅草は寝落ちていた。
 心臓に悪いニュース速報の音が鳴ったのは、金森がうとうとしだした時だった。

「浅草氏! みどり! 起きて!」
「ん?」

 速報のテロップには、出品した映画のノミネートを伝える文字がおどっていた。寝ぼけていた浅草も徐々に目が冴え、数秒後にようやく笑顔を浮かべた。メールやチャットの着信を知らせる音がひっきりなしになるようになり、着信音を消した。それからしんと静まり返った部屋で、二人で顔を見合わせる。

「やった……」
「宴会しますか、浅草氏」
「いや、酔って転んでまた夢になっちゃいけねぇ」

 満足気な浅草の顔を見て、十年温めた教育の横暴の記事を週刊誌に売り込むのやめようと決めた金森も、やはり満足気なのだった。


あとがき的なメモ


部員が増えないとも限らないので未来の活動書くのめちゃめちゃムズい。
ただ浅草氏に「また夢になっちゃいけねぇ」って言わせたかっただけだから落語の芝浜みたいな人情はないけどそれ意味あるんかというツッコミはなしで頼む。