Mymed

贈り物

 今日わざわざ改くんに悪魔教会まで来てもらったのは、最近利用者が増えた場所を見てもらうためだった。

「改くんは利用したことがあるかはわからないけど、懺悔室があるのを知ってる?」
「懺悔室? あるのは知っているが、利用したことはない……、場所もわからないな」
「そっか。こっちの隅にあるんだ」
「へー」

 講堂からは見えない位置にある懺悔室へ案内すると、改くんはきょろきょろと見渡しながら入ってきた。小型魔物用の懺悔室に顔を突っ込んでまた見渡す。しっぽが微動だにしない素直な改くんに苦笑しつつ話を続ける。

「狭いな」
「そこは体の小さな子用だね。ここは、匿名性をもって懺悔できる場所。誰にも言えない後悔や悩み、罪を告白するんだ。他の教会は知らないけど、この悪魔教会では食べないと決めていたおやつを食べてしまった、とかそういう自分を裏切った罪の告白が多かった」
「ほう。自分を裏切った罪。面白いな」
「規律違反は君が取り締まってるからね。その告白はないよ」

 改くんが懺悔室を眺めながら「面白い」ともう一度つぶやく。しかし、その表情には私がここを紹介する意図を探るような視線が残っている。
 一通り見たあと、祭壇の前に戻ってきて椅子に並んで座る。そこまで狭くはない懺悔室もあったのだが、改くんはぐっと伸びをした。

「懺悔室を見てもらおうと思ったのはね、利用者が増えたからなんだ」
「増えた? 罪の告白が増えたということか」
「プライバシー保護のために詳細は伏せるけど、姫からアイテムを守れなくて悩んでいる子が一定数いるんだよ」
「……そうか」

 姫によるアイテム強奪の被害はとどまることを知らない。私と改くんは同時に天井を仰いだ。悪魔教会の天井はそれなりに綺麗に装飾が施されている。この職場を荒らされたらと思うと、アイテムを守っている魔物たちの気持ちは想像できる。
 真面目な改くんが呻る。精神的ダメージを受けて懺悔室の利用が増えるなんて、よい職場とはいえない。

「だから、私と改くんでもう少し厳しくアイテム強奪を阻止できないかなと思って」
「そうだな。おそらくそこまで強くない者は姫を傷付けるつもりでいないとアイテムを守れないのだろうな。そうなると、人質を傷付けてはいけないという規律に反することになる。板挟みで苦しいだろう」
「うん、そういう声も多いよ」
「ありがとう、あくましゅうどうし。最近盗られるのが当たり前になってきていたからな。警戒を強化しよう」

 改くんと頷きあう。悪魔教会に引きこもってもいられない。そう決意したわずか数時間後に、姫がおばけふろしきを風呂敷として使ってアイテムを運んでいるところを見つけた。

(厳しく……!)

 自分は姫に少し甘い自覚がある。それでも、部下だって大切だ。姫との天秤にかけてしまうとどちらに傾くかは明白になってしまっているが、それでも大切なものは大切だ。
 甘やかすだけが愛ではない。
 そんな風に言い聞かせないと姫に厳しくなんてできやしない。

「こらっ、姫!」
(……厳しく……!)
「またアイテムを奪ったんだね。ダメじゃないか」
「く……、なんで連続で見つかる……」

 逃げようとする姫の前に回り込み、腕を掴んだ。今日は部下に不甲斐ない姿を見せない。頑張って厳しくするのだ、と己を鼓舞する。

「ぬ!?」
「今日は少し長めにお説教をするから覚悟するように」

 姫はじっとこちらを見つめた。いつもより厳しい、と思っているに違いない。「それじゃあ座って」とお説教を始めようとすると、姫が空いている方の手でアイテムを投げつけた。

「いたっ」
「ぬ!?」

 手を引っ込めようとすると、姫も一緒についてきて倒れこむ。さすがに手を放したつもりだったので混乱していると、姫が腕をぶんぶんと振った。一緒に私の手も揺れる。姫を掴んでいる手が開けない。

「……くっついた」
「え?」
「……これ、スルスルニゲレールって書いてあったのに……」

 姫が思案顔で眺める空の瓶を受け取ってみてみる。確かにその文字はあったが、商品名というわけではなかった。商品名は『キョウリョククッツキ』だ。なんのために開発されたアイテムなのだろうか……。

「……『スルスルニゲレールを使うとすぐに剥がすことができます』って書いてあるね。ここを見たんだね」
「……!」
「それを探しに行こうか。あ、よかった。もしもアイテムを見つけられなくても時間経過でも取れるって書いてあるよ。今日はこの程度だけど、何が起こるかわからないし、危ないこともあるからアイテムを盗ったらだめなんだよ。それに」
「今日は……ずっと怒ってるね。……私と手を繋いだままなんて嫌だよね」
(手を……繋いだまま……)

 心を鬼にして姫を叱ることにばかり気を取られていたので、私は今更ながらに状況を理解した。
 姫と手を繋いでいる。正確に言うと姫の手首を掴み続けているのだが、きっと手を繋いでいるうちに入る。

「手……手ぇ……、い、痛くはない? 私、痛く掴んでない?」
「大丈夫だよ。でも利き手を動かしにくいのは困ったな。そろそろ茶碗蒸しを食べたいのに。食堂に行こうレオ君」
「う、うん。いや待って! こんなところを誰かに見られたら……!」

 手を繋いでるだったらまだいい。嫌がる姫を連れまわしているなんて話になったら最悪だ。
 そうこう悩んでいるうちに、姫は食堂へ向かって歩きだしている。もう既に周りの視線が痛い。

「ひ、姫ぇ! それにしても大変だよねぇ! アイテムの効果でくっついちゃうなんて!」
「うん。……ごめんね」
(……めちゃくちゃ反省してる……)

 姫がしおらしく謝罪の言葉を述べるので、悪いことをしたような気持ちで心臓が潰れそうだ。
 自分の狭量な心のせいで、周りにアイテムの効果のせいだと言いたいだけのために、姫を傷付けている。もう二度とこの手は使えない。いや、この狡猾な手段のことで、姫を掴んだ右手を二度と使えないということではない。そこだけは自分に対してですら言い訳しておく。
 姫は既に反省している。これ以上アイテムのことに関して言う必要はない。あとは、自分がくっついている状況を気持ち悪いと思わなければ今日の自分の仕事は終わりだ。細心の注意を払わなければ。
 私が姫に厳しくするなんて所詮無理な話だったのだ。

「ねぇ、ホリ=ゴ・ターツに入ろうよ。手を繋ぐのも……手を繋いでるのを見られるのも嫌なんだよね? 隠せば見えないよ」
「あのね、姫。別に姫と手を繋ぐのが嫌なんじゃないからね」
「でも、スルスルニゲレールもすぐに探そうって言ったし」
「そりゃあ、姫の自由を奪う状況は良くないからね。姫も嫌だろう?」
「私は……、レオ君は、きっと私のわがままにもついて来てくれるから問題ないと思った」
「……!」
「でも今日は……ちょっと違うのかもって思った」
「違わない! よし、茶碗蒸しを食べようね」
「……うん!」

 そもそも、この状況で引かれるとしたら今までの自分のせいだ。姫には何の非もない。……いや、アイテムを盗ったり、使用方法をよく読まずに使ったりしなければ起こり得なかったとはいえ、それでも、私が周囲に引かれることに関しては、何の非もない。それに、アクシデントとはいえこんなに姫の傍にいることができるなんて滅多にない。
 と、思ったのと周りの目が痛いのは別の話で、針のむしろというのはこういうことかと身をもって体感しながら並んで茶碗蒸しを受け取った。
 奥の方のホリ=ゴ・ターツに座り、姫が利き手ではない右手でスプーンを持ち茶碗蒸しをすくって食べるのを間近で見守る。あっていいのだろうか、こんなこと。ただただ茶碗蒸しを頬張る姫を見つめている時間だなんて。

「……レオ君……、私、右手で茶碗蒸しを押さえるから……食べさせてくれる?」
「ん゛!?」
「食べにくくて……」
「わ、わかったよ」

 突然のハードモードへの移行に挙動不審になりつつ、渡されたスプーンを握る。茶碗蒸しをすくって姫の口へと運ぶ時間がこんなに長く、手が震えるとは思ってもみなかった。
 周囲の視線は痛い。私への信用や尊敬はきっと地の底へ落ちている。でもそれ以上に、姫に「あーん」しているという事実が死ぬほど嬉しい。これに関してはするよりされたいと思っていたが、あーんするのも思いのほかいい。ただ、ほの暗い独占欲を満たすための何かが潜んでいる行為だ、と感じる。食事は生きるために必要で、それを一時でも支配するということの危うさを垣間見る。
 姫は、私がじっと見つめていることに気付くと、口元を手で隠して「見ないで」と照れながら言った。

「ひ……っ」
(可愛い……!!)

 今、自分はにこやかなままでいるだろうか。にやけて変な顔をしていないだろうか。こんな幸福、あっていいのだろうか。
 本当に周囲の視線さえ気にしなければ、最高の時間だった。
 そこではたと我に返る。最高の時間なのは私だけだ。姫にとっては気持ち悪い黒ヤギに腕を掴まれ続けていて、しかも食事を一人でとれないでいるのだ。もう少し冷静にならなければ。
 それでも、この時間が少しでも長く続けばいいのにと思ってしまう。なんて身勝手。なんて欲深い。こういう時、自分が悪魔であるというアイデンティティを否が応でも自覚する。あくましゅうどうしとして魔王城で働いてから最近までは、悪魔らしい部分を抑え込めていたのに。姫に心乱されるようになってからうまくいかない。いや、決して姫のせいではない。すべては私の心のせいだ。

「……今日は厳しくするつもりだったんだけどな……」
「そういえばモフ犬にもすぐ没収された。人質強化週間だったんだね」
(人質強化週間のことを人質が知ってるのはおかしいんだよなぁ)
「そう。でも反省してるみたいだしもうお説教をするつもりはないよ。ところで、今日は何を作ろうとしてたの? 何か作るためにいつもと違うアイテムが必要だったんだよね?」
「……ナイショ。でもそうだった……間に合わないかも」

 姫は困った顔で天板に突っ伏した。柔らかそうな頬がつるつるの天板にぷにっと広がる。今日はいつもより傍にいる時間が長い分、様々な姿を見ているように思う。
 内緒ということは、言いづらい単語なのか、隠したい内容なのだろうか。

「タイムリミットがあるの? 私も手伝おうか」
「それじゃ意味なくて――……、いや、意味ないことはない……? じゃあ私の部屋に行こうか」
「部屋じゃなくて牢だけどね」

 姫の牢まで並んで歩くが、姫の一歩は小さい。その上、私が手首を掴んでいるので半端に腕を持ち上げていなければならない。これは辛いだろう。かといって、私も姫をおんぶして歩くのは腰的にまずい。ここで歩けなくなるとただの重りになってしまう。
 抱っこして飛ぶくらいの時間なら、大丈夫かも。
 いや、いくら姫のためでも抱っこなんて。体を密着させるってことだ。できるわけがない。
 でも姫のためだ。
 逡巡しているうちに、姫の牢の前までやってきた。優柔不断なヤギめ、と思わず唇を噛んだ。

「あのね、えーと、何のために作ってるかはナイショなんだけど、特製枕を作ってるの」
「あ、そうなの」

 いつもの枕づくりとどう違うのだろうか。材料は普段とそう変わらないように見える。

「レオ君には硬さを見てもらおうかな。これは柔らかめよりも、少し硬めが良くてね」
「いいよ」
「うーん、しばらく私の腕の動きに合わせてもらってもいいかな。空いてる手ででびあくまのブラッシングをしてくれる?」
「いいよ。おいで、でびあくま」

 でびあくまを足で挟んでブラッシングしながら、姫の作業を眺める。姫はおばけふろしきの布をくるくると丸めた。これが袋になると思っていたら、棒のようになったその布を別のおばけふろしきで包む。そうして、その隙間にせっせとでびあくまの毛を入れていく。
 姫の作業中、私の右腕は姫のブレスレットのようにぶらんぶらんと揺れた。それを眺めながら、ぼんやり考える。

(いつか、姫に何かアクセサリーを贈ることができるなら、きっと私はブレスレットを選ぶのだろう)

 指輪は約束を意味してしまう。そんなおこがましいことはできない。でも、欲にまみれた自分は姫の腕を掴んでいたい。傍にいてと引っ張っていたい。そうして、きっとブレスレットを選ぶだろう。同じ理由ならばアンクレットでもいいが、姫の自由を奪いたいわけではない。だからブレスレット。
 ぼうっとしているとロクなことを考えないな、と思わず失笑が漏れた。アクセサリーを贈って受け取ってもらおうなんて考えるにいたるには、何十年かかるかわからない。贈るとしたらという妄想で精いっぱいだ。
 ふと、姫が「よし」と呟いた。綿を入れ終えたらしい。差し出されるまま硬さをみると、いつもよりもしっかりした硬さがある。誰か重い魔物用だろうか。

「硬いけどふわふわも残ってる。いつもの枕より細長いね」
「うん。本当はこの芯に今日見つけたこん棒がぴったりだったんだけど」

 誰だろう。首が私の肩幅くらいはありそうな大きい魔物。それにしては細い。首から頭にかけて短いのだろうか。

(……アイアンプレート……? いや、その誰かを予想してどうする……)

 その相手がわかったとき、また誰彼かまわず嫉妬してしまうのか。そんなことはもうしたくない。そう思うのに、いつもうまくいかない。
 姫は刺繍用の糸を取り出した。姫のイメージにない黒い色の糸だ。

「これはねぇ、イカを釣ってイカ墨で染めたんだよ」
「すごい、何でもできるんだねぇ」

 褒めた瞬間、するっと手が離れた。アイテムを使ってから約3時間。どのくらいの時間で効果が切れるのかは不明だったので、ほっと息をついた。そろそろトイレにも行きたかったし、姫の入浴時間にも間に合ってよかった。

「……! アイテムの効果が切れたんだね。それじゃあ姫、私は悪魔教会に帰るよ。仕事も溜まっているし」
「待って。あとちょっとなの」

 待ってと言われて待たない自分ならば、これまでこんなに後悔しなかった。今日こそは、振り切ろう。そうして傷付くのはきっと自分だけだ。

「あとは刺繍だけみたいだし、私は必要ないと思う」
「……そう……だね。うん、……そうだね、プレゼントはちゃんと自分で送り届けるよ」

 今日はひどく疲れた。幸せすぎて気絶しそうな一時もあった。でも結局誰かに嫉妬してしまう。そんなのやめたいのに。いつも同じところをぐるぐると回っている。こんな自分は知りたくなかった。
 とぼとぼと帰っていると、姫が先程の枕を抱えてやってきた。言葉通りあと少しだったらしい。

「姫もこっちなのかい?」
「うん」

 その枕の行方を知って、やはり冷静でいられる自信がない。できれば追い抜いて行ってほしいところだった。どこで分かれるのだろうかとそわそわしながら歩いていく。姫は悪魔教会までついてきた。それどころか、私の部屋の前までついてきた。悪魔教会あたりで混乱のピークに達していたが、部屋の前でついに話しかける決心がついた。

「……えっと……、姫……?」
「これ、レオ君のなんだ。腰まくらだよ」
「わ、私に……?」
「うん。誕生日おめでとう。タソガレくんに聞いたんだ」
「あ……っ、そっか、誕生日……、忘れてたよ」

 腰まくらには、黒い糸で『レオくんへ すやより』と刺繍がしてある。それを撫でながら読み上げると、姫はもう一度「おめでとう」と言った。

「糸はレオくんの髪の色に染めたんだよ」
「ありがとう……。こんなに嬉しいプレゼントはないよ。今日は……姫の時間までもらってしまったね。どんなものより価値があったよ」

 腰まくらを抱きしめながら、好きだ、と改めて思ってしまう。
 姫はそれも許してくれるのだろう。いつかブレスレットを贈っても、躊躇いなく身に着けてしまうのだろう。
 好きだ。どうしようもなく。何も考えずに想いを伝えられたらどんなに楽だろうと自分勝手なことを思う私にすら、姫は微笑んでくれるのだった。