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誘拐バッドエンドifと転生姫|Mymed

Mymed

誘拐バッドエンドifと転生姫

 勇者が魔王にさらわれた栖夜姫を魔王城から連れ帰って数日。国からは何の発表もなく、以前一度だけ無事が確認された時のようなセレモニーは行われなかった。
 勇者に出会えた国民は勇者を称えるも、王城からふらりと現れた彼の表情は晴れない。そこでまことしやかに囁かれた噂がある。姫は魔物の手によって亡き者にされていたのだ、というものだ。誰かが言い出した翌日には、魔王を打ち倒しての凱旋帰国かと思われた勇者一行であったが実際は姫の遺体を持ち帰れたにすぎない、姫は無言の帰国であった、という噂で持ち切りになっていた。勇者一行が帰国した際、姫はライコウの馬車に乗っているとされ、誰もその姿を見ていないことも原因の一つだった。
 そこに目を付けた者がいた。勇者が帰国して一週間後、国王は声明を発表した。

《オーロラ・栖夜・リース・カイミーンは魔王によって蘇生を封じられて殺害されていた。統一国家カイミーンは国を挙げての報復を誓い、魔物を再び地下へと封じ込める。》

 姫の非業の死というショッキングなニュースは統一国家カイミーンの全てに悲しみと憎しみをもたらした。彼女が誘拐されたと発表された時よりも深く、激しく。地上にいた魔物たちは大量に殺された。見つかってすぐさま殺されるだけならまだマシな方で、生け捕りにされてひどく残虐に公開処刑をされる魔物さえあった。どちらが魔の者かわからないような血なまぐささが漂うものへ、世界は一変したのだ。
 魔王があくましゅうどうしを伴って悲壮感が漂う王都へ転移したのは、国王による声明が発表された翌日のことだった。
 彼らは姫ではなく勇者アカツキの元へ転移した。予想していたような王都の華やかな場所に出なかったことに、魔王はきょろきょろと辺りを確かめる。王城で過ごすことのできる身分であったアカツキだったが、それらを全て捨てたような様子で、スラム街にほど近い路地裏で座り込んでいた。傷だらけで、服もところどころ破けている。そんなアカツキを見つけるやいなや、魔王は彼の胸ぐらを掴んだ。

「どういうことなのだ! 無事に送り届けると……、話が違うではないか!」

 アカツキは、虚ろな目で魔王を見た。
 あくましゅうどうしが魔王の手を離そうと近付くが、酒の匂いに顔をしかめた。あたりを見渡してみても、このような状態を真っ先に止めそうな魔導剣士の姿はない。魔王たちが見つける前に暴行を受けたらしいアカツキに癒しの魔術をかけているとき、魔王は唇を噛んだ。
 アカツキが傍にいることを嫌がる姫が、それでも彼に連れられて帰ったのは、自分が父を説得すると申し出たからだった。姫はまず、己を助けに来た勇者一行に自分の考えを説明した。話を聞いたアカツキたちは困惑しながらも、自分たちを襲ってこない魔王軍をみてすぐに納得して姫を連れ帰ることになったのだ。

 ――絶対にタソガレ君が父上と対話ができるようにするからね。

 それが、魔王が姫と交わした最後の言葉だった。そして、姫を信じカイミーン国王との対話に向け、議題案や要望書をまとめている最中に、寝耳に水の姫の訃報が飛び込んできた。しかも、自分が手にかけたという最悪のシナリオが描かれている。
 ここ数日のことを思い出して、魔王はアカツキの服から離した手を固く握りしめ「どういうことなのだ」ともう一度言った。

「……姫は、宰相様――いや、宰相に殺された」

 ポツリと呟くように、アカツキがこぼした。「宰相?」とあくましゅうどうしが眉をひそめる。アカツキはフラフラと再び地面に座り込み、力なく頷いた。

「帰ってすぐ、国王に謁見する前に宰相に会って話したんだ。国王の右腕だから、きっとわかってくれると……。でも、その宰相に、『魔王に心奪われた売国奴だ』と、その場で切り捨てられた。……守れなかった」
「そんな……」
「国王は姫に会ってない……。宰相からの報告を信じている。あの声明は、心から信じて出したものだ」
「しかし、貴様も見ただろう。魔王城は姫の送別会を大々的にやった! 魔物たちは、姫の死が人間の手によるものだと気付いている」
「わかってる! ……わかってる」

 アカツキがダンッと地面を叩いた。しかしそれに力は入っていない。

「人間と魔物が、互いに姫の仇を討つための全面戦争が起こる。俺にはもう止められない……。俺はもう勇者じゃない……」
「勇者じゃない、とは?」
「そのままの意味だ。宰相が手を回したんだろうな、俺は身分を剥奪された」

 アカツキはそう言いながら膝を抱えた。

「家に帰ったら、家族がなんと言われるかわからないから、帰っていない。冒険者じゃない奴に殴られたって大したダメージはないし」
「それで怪我をしていたのか? 同じ人間から暴行を受けて? だが、君は勇者で、人間界ではヒーローなのだろう?」
「もう違うし、俺は姫を助けられなかったことになっている。憂さ晴らしにはちょうどいい」
「そんなの、身勝手すぎるのだ。そうだ、勇者アカツキ、魔王城に来るか?」
「いや……」

 アカツキは力なく首を振った。

「何故なのだ? 君がここにいる理由など」
「仲間の魔導剣士はどうしたんです?」

 あくましゅうどうしが魔王の言葉を遮って問いかけると、アカツキは再び俯いた。

「……姫が殺された時、キショウは転送で俺を逃がして、音沙汰がない。たぶんもう……。でも、俺はここでキショウを待つ」

 あくましゅうどうしは「それで酒に逃げたのか」と口の中で呟いた。
 真っ直ぐな心が折れてしまったとき、人はこうなるのか。これは癒しの魔術では治せない。
 あくましゅうどうしは一歩踏み出し、アカツキの前にしゃがみ込んだ。アカツキは泣きじゃくっていて、あくましゅうどうしが差し出したハンカチを目に当ててしゃくりあげる。
 魔王はそんな二人を見て心を痛めながら見ていた。人間は魔物のように寿命が長いわけでもないし、魔物からしてみれば急速に老いる生き物だ。アカツキは見た目通りの年齢の青年なのだ。婚約者、仲間、身分に尊厳。全てを奪われて立っていられるほど、鈍くはない。それに対して、あくましゅうどうしは思っていたよりも冷静だ。姫のこととなると判断が鈍ることが多いあくましゅうどうしが、あわよくば殺そうとしていたアカツキを慰めるとは思いもよらなかった。

「声明の中で、『蘇生を封じられて』っていう内容があったけど、本当に蘇生できないのかい?」
「……姫が刺されたとき、傍にいた神官がすぐに蘇生を試みたけど、できなかった。その神官も殺されたよ。キショウの転移魔術で開けた穴が閉じる直前に、蘇生封じの剣だって言ってた。あれで殺されたらきっと、蘇生できないんだと思う」
「では。……では、姫は、本当に」
「……。道中、あんたのことをよく話していたよ」

 アカツキがぽろりとこぼした過去形の表現は、あくましゅうどうしの表情を変えるのに十分だった。
 一歩離れて見ていた魔王は、あくましゅうどうしが握りしめた手から血が滴るのを見た。冷静でも、鈍くもない。ただ長く生きて、外に出さない方法を知っているだけで。

(そうだ、姫に出会う前のあくましゅうどうしはこうだったじゃないか)

 ここに来てようやく、魔王はあくましゅうどうしを連れてきたことを後悔し始めていた。

「あくましゅうどうし、一度魔王城に戻ろう」
「……いいえ、魔王様」

 あくましゅうどうしはゆらりと立ち上がった。魔力が漏れて地が揺れる。魔王が思わずあくましゅうどうしの横にいたアカツキを庇ったのは、反射的な行動であったがおそらく正解だった。

「ここを、滅ぼしてからです」

 近くで爆発のような音がして、魔王はアカツキを庇ったまま、彼を連れて魔王城に転移した。

「魔王様!」

 魔王とアカツキを見つけた十傑衆の面々が魔王に駆け寄ってくる。ネオ=アルラウネが大型ビジョンを指差したのを見ると、王都が壊滅していく様子が映し出されていた。
 宙に浮いたあくましゅうどうしが血の滲んだ手をかざし、水平線をなぞるように腕をゆっくりと開いていくと、王都の複数の墓地からアンデッドが這い出してきた。広範囲でアンデッドが現れたことにより兵力が分散された騎士団は混乱のうちに対応することとなり、王都はアンデッドにより蹂躙されつくそうとしていた。
 一方、大型ビジョンでその様子を見ていたポセイドンは魔王に詰め寄った。

「おい、魔王様! どうなってんだよあのジジィは!」
「……見ての通りだ。姫は、蘇生できないそうだ」
「あんなの……! あんなの、姫が喜ぶとでも思ってんのかよ! あいつ、我に返ったら死んじゃうぞ!」
「わかっている! あいつを止めに行く隊を編成するために戻ってきたのだ! せめてあと片道分の魔力まで回復してくる。何かあったら呼んでくれ」

 そうこうしているうちに、王都ではかき集めの騎士団があくましゅうどうしに対峙しているところだった。無表情のあくましゅうどうしは浮いている上に魔封じの札を使うため、彼らは手も足も出ない。押し寄せてくるアンデッドの群れに対応するのが精一杯だ。
 あくましゅうどうしは浮いたまま足を組んでリラックスするような姿勢で騎士団が疲弊していくのを眺めていて、時々魔術で呪いをかけてくる。腕に覚えがある冒険者も集まってきたところで、騎士団は編成を変えた。弓矢を使える人間が一斉に弓を引き、物理的な遠隔攻撃ができない騎士は弓矢隊をアンデッドから守り固める。それはあくましゅうどうしの体力を少しずつ削りながら戦える盤石の体制のように思えた。

「なんで襲ってる割にあんなやる気ねぇ体勢なんだよ」

 ビジョンを見ているポセイドンが思わずつぶやくが、かえんどくりゅうは「やばくね?」と真逆の反応を示した。

「……あれ、魔力溜めてるんじゃねぇか?」

 かえんどくりゅうの言葉に、ネオ=アルラウネが「そうかもしれませんわ」と頷く。魔術に覚えのある魔物が口々に危機感を口にした。

「あれ以上にデカい魔術うつつもりってことかよ!?」
「連れ戻したタイミングで暴発したら魔王城に被害が及んでしまう」
「しかし、あちらで放っていいというわけでもないでしょう」
「魔王様はまだ戻らないのか?」

 矢が届くようになるとあくましゅうどうしはしっぽで払い落としていたが、やがて一本の矢が頬をかすったことで、頬に滲んだ血を指で拭い、それを舐めとって不敵に笑った。組んでいた足を真っ直ぐおろし、空中に立つように体勢を変えた。それからゆっくりと修道服の首元のボタンを外し、帽子を地に落とす。その間もその目は世界樹をじっと見ている。嗚咽とも咆哮ともつかない声を上げて、あくましゅうどうしは押さえていた力を解放した。その瞬間、突風のような魔力の圧に数名が押し負け、騎士団の隊列が大きく崩れる。
 ビジョンに映った黒髪が長く伸びた姿に、ネオ=アルラウネが小さく悲鳴を上げる。

「ちょっ、悪魔の力を解放してますわよ!?」
「……あれ、死ぬ気じゃねぇか!!」
「マジでやべぇじゃん」
「魔王様! 魔王様を呼ばないと!!」
「落ち着け!」

 魔力の回復から戻ってきた魔王の一喝で十傑衆はシンと静まった。

「ポセイドンはハデスをあの場に連れてきてくれ。片道分の魔力は回復した。先に行ってあくましゅうどうしを拘束しておく。ハデスが来たら冥界を通して無理矢理連れ帰る」
「わかった!」

 ポセイドンがワープすると、魔王はネオ=アルラウネを見た。

「ネオ=アルラウネは我輩と一緒に行ってあくましゅうどうしの動きを封じてほしい」
「承知いたしましたわ」
「残りの十傑衆と戻ってきたポセイドンで魔王城の防御態勢を整えてくれ。指揮は改に任せる。それから、勇者アカツキ。君はここにいれば安全だ。ここにいてくれ」
「……本当に――……、君たちは、優しいんだな。でも、俺は戻らないと」
「いや、今の君は足手まといだ。行くぞ、アルラウネ」

 魔王がネオ=アルラウネを転送すると、彼女はすぐにツタを伸ばしてあくましゅうどうしを縛り上げた。あくましゅうどうしはひどく暴れ、筋力だけでそのツタをブチブチとちぎっていく。

「い、一瞬しか、もたないですわ……! あくましゅうどうしさん! 落ち着いてくださいな!」

 ネオ=アルラウネはあくましゅうどうしに向かって叫んだものの、その声は届かない。彼の目の端に涙の跡があって、ネオ=アルラウネはぐっと奥歯を噛んだ。

「ハデスさんはまだですの!?」
「悪い! 遅くなった。帰るぞ!」

 ハデスがネオ=アルラウネのツタごと、布を巻いた鎌をあくましゅうどうしに引っかけて冥界へと投げ込むように引きずる。当然、ツタが繋がっているネオ=アルラウネも引きずられるように冥界へと放り込まれる。

「いやぁぁぁぁぁですわぁぁぁぁぁぁ」
「がんばるのだ! ネオ=アルラウネ!」

 人間界を壊し、暴れる魔物を同じ魔物が拘束して連れ帰る。そんな瞬間を、息も絶え絶えの騎士団は違和感を覚えつつ見守った。最大の脅威は去ったものの、残ったアンデッドを倒せば平和が戻るというわけでもない。世界樹に守られた王城以外は壊滅し、生き残った者もわずか。復興には何年かかるかわからないような有様だ。こうして人間界と魔界の溝は決定的となり、魔王と姫が夢見た共存は絶望的となった。
 一方、連れ戻されたあくましゅうどうしはしばらく暴れていたが、魔力が切れた途端にぱったりと倒れ、眠りについた。

「仕方ない、俺が部屋にはこ――……」
「……そこにあるベッドで寝かせろ」

 改が腕まくりするのを制し、ハデスがポツリと呟く。魔王をはじめ、誰もが首を傾げた。ハデスが指差しているのは会議室に姫が作って置いていたベッドだ。

「こんなところで寝姿を見られるのはあくましゅうどうしも嫌だろう」
「こういうタイミングで冥界に来る亡者は多い。見張った方がいい」
「……それ、って」
「俺は帰るぞ」

 有無を言わさず旧魔王城に戻ったハデスが消えた後、残された魔王と十傑衆の面々は黙って顔を見合わせた。明言はしなかったものの、ハデスが懸念したのは目を覚ましたあくましゅうどうしが自らの命を絶つことだった。

「ジジィはそこで寝かすとして、そいつどうすんの?」

 ポセイドンが指差した方を魔王が見ると、アカツキが隅の方に椅子を動かしてちょこんと座っていた。ちゃっかり椅子を確保しているあたり、姫の幼馴染らしさをうかがわせる。

「勇者アカツキ、君はどうしたい?」
「俺は、俺の始末を付ける。ウェイカーやライコウとは、王城に入る前に別れたんだ。彼に対抗した集団の中にはいなかったから、どこかで生きてると思う。だから、まずは彼らを探して、姫の仇を取る。そしてキショウを取り戻すつもりだ」
「そうか。我々も何か手伝いができればいいが、あくましゅうどうしを放ってはおけないから……」
「そうだな、……彼は姫のために戦ってくれたんだよな」

 アカツキはそこで言葉を止めたが、魔王には「魔族なのに」という言葉が聞こえた気がした。魔王はアカツキの言葉には答えず、ただ頷いた。

「君はもう数日、ここで傷を癒して行くといい」
「あ……、じゃあ、姫が使っていた部屋を見せてくれないか? 知りたいんだ。姫が楽しそうに話していた生活のこと」
「いいぞ。部屋というか、一応牢だったのだが」
「じゃあ、俺が案内してやるよ。寝てるジジィなんて見てらんねぇ」

 ポセイドンの立候補により、アカツキと連れ立って会議室から出ていくと、サンドドラゴンやかえんどくりゅうはほっと息を吐いた。
 会議室に残された面々がぼーっと過ごしていると、先程旧魔王城に帰ったはずのハデスが現れた。その後ろにはあくましゅうどうしの旧友、睡魔もいる。

「レオナール」

 睡魔はふらふらとあくましゅうどうしが寝ているベッドの脇にやってきた。それから、あくましゅうどうしをじっと見て、困惑した表情で魔王を見た。ほとんどの魔物が、そんな睡魔の表情を見るのは初めてだった。

「寝ていない」
「え?」
「寝ているのではなく、意識を失っている……。俺が夢に入ればと思っていたが、想像以上に深刻だ」

 すぐに起きるわけではないらしい、とあくましゅうどうしは特別病室に移された。数日後には身も心も回復したアカツキが魔王城を発ち、更にその数日後にはあくましゅうどうしの代理としてのろいのおんがくかが十傑衆の会議に顔を出すようになった。それでも、あくましゅうどうしはやはり目を覚ますことはなかった。
 
***
 
「……エリアボスと十傑衆の仕事はのろいのおんがくかが代理を務めてくれている。心配しなくていいのだ……」

 意識のないあくましゅうどうしに語りかけるのは、そんな他愛もないこと。
 魔王は、寝る前の数十分を特別病室で過ごしては、ふわふわと浮かぶあくましゅうどうしに向かって話しかけていた。床ずれを防ぐため、姫が壊して使っていた風の盾をそのまま姫と同じ使い方で再利用することで介助の負担を軽減しているのだが、見た目がかなり幻想的である。
 あの時あくましゅうどうしと一緒に人間界に行かなければこうはならなかったのだろうか、と思わない夜はなかった。
 あくましゅうどうしが王都を壊滅させて、約半月。人間界では、王都を移転することが発表され、王都で生き残った人間はほとんどが移転先での生活を始めている。そして本日、王城を新築ではなく移築する計画が発表された。人間の総力を結集し、世界樹を根こそぎ掘り起こして世界樹ごと王城を移転するという途方もない計画だが、それでも王城を基礎から築城し直すよりは早いそうだ。
 あくましゅうどうしは、本当に王都を壊滅させた悪魔になってしまった。

「いっそ、お前を連れ戻すのではなく仇を討たせてやった方がよかったのだろうか」

 その自問自答は、尽きることがなく。

「魔王様、ここでしたか」
「改、どうした?」
「いえ、私も見舞いに」

 改は魔王を見た時は一往復分だけしっぽを振ったが、そのしっぽはすぐにしょぼんと垂れ下がった。しばらく並んで座っていたが、魔王が「なぁ、改」と口を開いた。

「姫の死も、あくましゅうどうしの状態も、辛いものだ」
「……はい」
「だが、我輩がフリでもいいから大丈夫だと示さねばならないよな?」
「魔王様……」

 改が言葉に詰まったのを見て、魔王は(改に重い選択を迫りたいわけではない)と首を振った。

「いや、違うな。我輩が道を示さねばならないと決めたのだ。だから、ここに来るのは最後だ」

 魔王はあくましゅうどうしの手を両手でつかんだ。

「……頼むから、早く起きてくれよ?」

 翌日から、魔王が特別病室へと足を運ぶことはなくなった。
 そして、同時に魔王が見せた痛々しいほどの空元気は、少しずつではあったが、魔王城に充満する淀んだ空気をかき混ぜていった。
 
***
 
「どうですか?」
「変化なし。バイタルも安定」

 アリクイ医師の返事はいつも同じだ。
 あくましゅうどうしの代理は器用なのろいのおんがくかにとっても激務で、内科医、歯科医師の仕事はほとんどアリクイ医師に任せている。

「まったく、早く起きてくれないかな」

 代理を務めて数年になる。今でもあくましゅうどうしの見舞いにくる魔物は多いが、魔王城は少しずつ前に進み始めていた。
 先日も、のろいのおんがくかは姫が10年ほど前に出現させた地獄の炎が鎮火したのを確認するために凍てつくみずうみに行った。その時に、炎の出現現場にいたということで一緒に出張したフランケンゾンビがぽつりとこぼした。

 ――こうして姫がいた痕跡がなくなっていくんだな。

 のろいのおんがくかはそれに答えられなかった。ただ、未だに姫の死を受け入れられずにいる姉の事を想って少し胸を痛めただけだ。
 しばらくあくましゅうどうしの顔を眺めていたのろいのおんがくかだったが、アリクイ医師に呼ばれて顔を上げた。

「そうだ、今日はお姉さんが来たよ」
「え、帰ってたんだ」

 言われてみれば、あくましゅうどうしの足元に鉱石らしいものが置いてある。ハーピィがお土産として置いたらしかった。

「勇者が革命を起こして国王の右腕が変わったらしいってあくましゅうどうし様に話してたから、人間界に出張だったのかな。医者としては彼女も少し心配だ。危険な仕事を平気で引き受けるようになった気がする」
「それは……正直、オレも思う」

 元々、魔王城就職も反対だったのだ。それなのにハーピィは、今や姿を見られるだけで殺されてしまう人間界への偵察であってもすぐに引き受けてしまう。そして、それを諫めるのろいのおんがくかに対し、ハーピィは出張先を言うことが少なくなってきていた。元々考えがあまり読めない姉ではあったが、のろいのおんがくかの心配は尽きることがない。
 精神科医の資格も取ったらどうだ、などと笑えない冗談をいうアリクイ医師と医師の採用について話していると、また次の見舞い客がやってきた。

「あ、診察中でした?」
「いや、大丈夫だよ」

 やってきたのはミノタウロスだった。ふと、筋肉隆々のミノタウロスを見て、介助の手も足りないという話をしていたのろいのおんがくかは腕を組んだ。

「ミノタウロス、トレーニング好きなんだっけ?」
「ん? あぁ」
「じゃあさ、どこを動かせばどこの筋肉がつくかとかもある程度勉強してるわけ?」
「んー、そうだな、けっこう考えてやってるよ」
「実は、あくましゅうどうし様の筋力低下が不安でさ。本来は理学療法士とか雇うべきなんだけど、採用できる魔物がいなくて……。理学療法士の資格、興味ない?」
「え、今から資格取れってこと!?」
「巻き込めばいいじゃん。他の魔物」

 目が据わっているのろいのおんがくかに気圧され、ミノタウロスは「考えます」と言って逃げていった。
 代理の仕事、姉のこと、採用のこと。のろいのおんがくかの苦悩は増えるばかりだ。
 
***
 
 意識のないままのあくましゅうどうしのお見舞いは、40年ほど経っても途絶えることがない。ハーピィもよく訪れる魔物の一体で、風の盾を使ったベッドでふわふわと浮かぶあくましゅうどうしによく話しかけていた。
 あたりを窺い、ひそひそと話しかける。

「先日二度目の代替わりがあって、戴冠式の偵察に行ってきたんです。もし、姫が即位していても、もう退位しちゃってるんですよ。少し前の魔王様の生誕百周年だって、姫が即位してたら、きっと来てくれたのに」

 ハーピィはもう一度周りに誰もいないのを確認し、ほっと息を吐いた。もし姫がいたら、と言うのはのろいのおんがくかはもちろん、アリクイ医師や他の魔物がいるときには控えている。
 いつまでも姫の死を受け入れないハーピィは一度だけのろいのおんがくかに真剣にカウンセリングを勧められたことがある。以来、表立って姫のことを話すのをやめていた。

「ハーピィさん」
「あ……、さっきゅんさん。こんにちはぁ」
「出張から戻ってたんだね」

 鳥獣族のハーピィと悪魔族のさっきゅん。種族の違いが老いる速さの違いとなって表れていた。共通の友を喪った者として、そこにある友情は変わらない。しかし、受け入れられない者と受け入れた者。その違いは、確かにあった。

「……ハーピィさん、あのね、のろいさんが心配してたよ」
「え?」
「また危険な仕事みたいだって」
「大丈夫ですよ」

 ハーピィは少し目を伏せるさっきゅんに笑って見せたが、さっきゅんは困った顔でなおも続けようとした。

「でもね」

 しかし、それはハーピィの小さな悲鳴によって遮られた。

「……!! さっきゅんさん!」
「?」
「動いた。あくましゅうどうし様の、指!」
「え!?」
「私、のろくん呼んできます!」

 うろたえるさっきゅんを置いてトップスピードで弟のアトリエに飛んでいく。のろいのおんがくかを伴ってすぐに戻ったハーピィを出迎えたのは、目を赤く腫らして床に落ちたあくましゅうどうしに縋るさっきゅんだった。

「のろいさん、あくましゅうどうし様が動いたから落ちちゃって」
「大丈夫大丈夫。あくましゅうどうし様、わかりますか?」
「――……」
「意識はあるね。姉さん、魔王様を呼んできてくれる?」
「わ、わかった」

 さっきゅんが泣きはらしているのも気になったものの、急いで魔王の執務室へ向かい、事情を話すと魔王は仕事を放りだしてすぐにやってきた。その頃にはアリクイ医師も到着していた。
 まだ目が赤いさっきゅんの肩を抱きながら、ハーピィは隅っこで立ち尽くしていた。

「意識が戻ったと聞いたのだが」
「まだはっきりはしてないみたいですし、リハビリも必要ですけど、きっとすぐに元に」
「元のあくましゅうどうし様じゃない」

 さっきゅんの低い声に、全員がさっきゅんを見た。

「どうして?」
「……私のこと、『姫』って呼んだ……。どんなに似せたって、どんな状況だって、あくましゅうどうし様に間違われたことなんて、ない」

 さっきゅんがまた目を潤ませる。

「ね、寝ぼけていたのではないのか?」

 得てして直感というのは当たるもので、その日以降でぽつりと呟くあくましゅうどうしの言葉を総合すると、姫の送別会後から意識を失うまでの間の記憶をすっかりなくしているのだった。
 
***
 
 あくましゅうどうしが意識を取り戻し、リハビリが十分だと判断されるまでに1年ほどかかった。身の周りの世話ができるようになってからは、あくましゅうどうしは城下町の外れにある小さな小屋で生活することになった。魔王城には、姫が亡くなったという事実があまりに多く、魔王城内で生活するとどうしてもその事実に直面せざるをえないからである。
 小屋が魔王城外ということでこれまでのように気軽にお見舞いができなくなったこともあり、魔物たちは順番であくましゅうどうしへの差し入れ当番に立候補するようになった。初めは三ヵ月先まで当番が埋まったが、何体かは記憶を無くしたあくましゅうどうしのことが見ていられないと言って二度目の立候補をすることはなかった。当番が二周する頃には、大体、月に一度ほどのペースで順番が回ってくるようになった。
 その日は、さっきゅんの当番だった。

「こんにちはぁ」
「姫、人間界に帰ったんじゃ……、あ、ごめんね、さっきゅん」
「うがぁ、寝ぼけてるんですかぁ?」

 さっきゅんはけたけたと笑って答えたが、ズキズキと胸が痛むようだった。
 その痛みを抱えたまま、差し入れの食べ物を冷蔵庫や戸棚に入れていく。当番によってその作業はまちまちで時々冷やさなくてもいいものまで冷蔵庫に入っていることもある。

「姫は元気かなぁ」
「元気ですよ。だってあの姫ですよ?」
「そうだね」

 あくましゅうどうしがさっきゅんを通して姫を見る視線は、世界中の何よりも優しい。

(姫は、こんな風に……)

 どきっと胸が高鳴ったことに、さっきゅんは顔を赤らめた。

(私じゃない、わかってる)
「さっきゅん、ふがし食べるかい?」
(でも私にも、優しい)
「はい」

 さっきゅんは、その胸の痛みの理由には気付かないふりをして、あくましゅうどうしの元へ通い続けていた。

「あれっ、そうだ。魔王様と提案書を作ってるんだった」
「あくましゅうどうし様は、今日はお休みですよ」
「そうだっけ」

 あくましゅうどうしの記憶では、毎日、姫の送別会の翌日ということになっている。強力な記憶の書き換えが行われているが、前回の差し入れの記憶がないかといえばそうでもない。ただし、姫の死に関しては誰が話しても聞き入れない。彼の中では、しっちゃかめっちゃかな記憶も整合性が取れたものとなっている。
 のろいのないかいとアリクイ医師は、この事象を呪いだと結論付けた。そして、口を揃えて「こんな強力な呪いを使えるのはあくましゅうどうし様だけだ」と言った。あくましゅうどうしは自らに強力な呪いをかけたのである。

「ねぇ、あくましゅうどうし様」
「ん?」
「姫は帰っちゃったけど、姫に慣れる練習、いつでも付き合うからね」
(今は姫の代わりでもいい)
「おや、いつも怖がるのに、今日はずいぶん優しいね」
(初めは、確かに怖いときもあった)

 さっきゅんは目を伏せ、床に届かない足をぶらぶらと揺らした。

(いつかきっと、私も支えてるってわかってくれるよね)

 いつか、呪いが解けたら。

(悪魔族の時間は、長いんだから。いつまでだって待つ)

 胸の痛みは、いつしかジクジクと膿んで、どろりと溶け落ちた。さっきゅんの不毛な恋は静かに、しかし確かに始まってしまっていた。
 
***
 
 あくましゅうどうしが魔王城外で暮らし始めて20年になる頃、ハーピィは退職が決まり、あくましゅうどうしに挨拶をしようと森の小屋へとやってきた。

「あくましゅうどうし様、こんにちは」
「おや、こんにちは。さっきまでさっきゅんがいたんだよ」
「あれ、そうなんですか。すれ違っちゃったな」

 誘ってくれればいいのに、とハーピィは思ったが、それをあくましゅうどうしに言っても仕方がない。すぐに気持ちを切り替えて、実家からのお土産を手渡した。

「私、今日でここに来られるのが最後なんです。今日は退職の挨拶に来ました」
「それでわざわざ来てくれたんだね。ご丁寧にありがとう。お茶を入れるから座って」

 ハーピィはおずおずと座りながら、ぽつりと言った。

「私、あくましゅうどうし様とお話できるのが楽しかった」

 あくましゅうどうしは一瞬だけお土産を開封する手を止めて「そうかい。嬉しいな」と言った。どこまでも穏やかな声に、ハーピィの目はわずかに潤んだ。

(他のみんなは、姫の事を過去形で話すから)

 ハーピィがあくましゅうどうしの元へ通い詰めたのは、純粋にお見舞いをしたかったのではなく、姫の話ができるのがあくましゅうどうししかいなくなってしまったからだ。
 気丈に振る舞う魔王を筆頭に、演技はいつしか本当になり、少しずつ乗り越えていった。
 ハーピィはそれが悪いこととも辛いこととも思わない。ただ、ハーピィはそうすることができなかった。それだけのことだ。しかし、弟をはじめとした周りに心配され始めてからは、妙に居心地が悪かった。
 あくましゅうどうしと話し込んでいて、ハーピィがはっと時間を思い出したのは月も沈みすっかり暗くなった頃だった。

「あっ、もう帰らないと」
「もうそんな時間か。気を付けて帰ってね。退職しても元気でね」
「はい! あくましゅうどうし様も、お体に気をつけて」
「ありがとうね」

 あくましゅうどうしの小屋を出て、ほぼ垂直に飛び立つ。そこから真っ直ぐに魔王城の鳥かごへ向かおうとしたハーピィだったが、森の中で何かが鈍く光った気がしてその場所まで急降下した。ハーピィの急降下に気付きガサガサと草むらに隠れようとしたのは、人間の少女だった。

「こんなところに、人間……」
「わ、私は、はさみ魔物……! 人間じゃないから攻撃しないで」
「……あなた……」

 手のひらより少し大きいサイズのはさみを持つ少女は、じりじりと後ろに下がっていく。
 パサついた銀髪、アメジストのような色の瞳。その瞳には、小さな小さな星が輝いていた。彼女はハーピィの記憶の中のオーロラ・栖夜・リース・カイミーンにそっくりだった。髪の長さは違うし、服もボロボロだが、それでもそっくりだった。
 ハーピィははさみを構える少女にふらふらと近付いた。陽炎に触ろうとするかのように、手を伸ばしてみる。

「姫……」
「……と、鳥ガール……なの?」
「『鳥ガール』って……! 本当に姫なんですか!?」
「わからない。私は今、栖夜という名前ではないし、ただの農民……。だけど、君の言う『姫』の記憶もある」
「魔王様のところに行きましょう!」

 ハーピィが両手をぎゅっと握ると、少女はこっくりと頷いた。そして、懐から取り出した大きな布をハーピィの足に括りつける。

「……姫?」
「オッケー、行こう」
「姫、私、これじゃ歩けな――……」
「飛んで。GO」
(本当に間違いなく姫だ)

 ハーピィはあはは、と奇妙に笑いながら気合を入れて飛び立った。太ももが攣りそうになりながらもなんとか魔王の執務室のベランダに辿り着き、倒れこむ。ゼェゼェと肩で息をするハーピィをよそに、少女は窓ガラスを叩いた。
 振り返った魔王は「うわあああああ!」と叫び尻もちをついた。その声を聞いた改を始めとする親衛隊がすぐに駆け付けたが、慌てて立ち上がった魔王は窓を背に隠しながら「なんでもないのだ」と手を振った。

「本当に何でもない……う、うとうとして落ちる夢を見たのだ!」
「全く、魔王様ったら。俺ももう歳なんですからね」
「あぁ、ゆっくり休むのだ」

 親衛隊が出ていってほっと息を吐いた魔王は、再び振り返って窓を開けた。ちょこんと行儀よく座っていた少女と、まだ肩で息をしているハーピィがなだれ込むように入ってくる。

「……姫なのか? 蘇生は、できないと」
「いやぁ、生まれ変わりってやつみたいなんだけど、記憶もうっすらある」
「あ、あくましゅうどうし様の小屋から帰る途中で見つけました……」
「ご苦労だった、ハーピィ。まず我輩の元へ連れて来てくれたこと、そして窓から来たこと。どちらも的確な判断だ」
「……会わせていいと……思いますか……?」
「……わからん」

 ハーピィの問いかけに、魔王は眉間を揉んだ。
 少女は魔王のデスクの前のソファーにゆったりと座っている。その姿は、ハーピィが会いたいと夢見た栖夜姫を彷彿させる。しかし。

(あれ? やっぱりちょっと違う)

 明りの下で見る少女は、記憶の中の少女と瓜二つというわけではないように見えた。髪が短いことや衣服がボロボロであること以外に、肌は少し日に焼けているしおそらく農作業を手伝っていたのだろう、手も少し荒れていた。

「姫、姫が帰った後の話は……知っているか?」
「うーん、なんか、私が死んでて全面戦争になりかけたところに、別の勢力の魔王が現れて大混乱? っていうのを学校で習った。それで、魔界から一番遠いところに世界樹ごと王都を移転したんだよね」
「別の勢力の魔王……か。人間界ではそう伝わっているのか」
「うん。魔王が止めたっていう話もあるし」
「そうか……。勇者に、君は宰相に殺されたと聞いたのだが」

 少女はいらつきを隠しもせずに頷いた。

「殺された瞬間のことは覚えてる。一瞬じゃないから本当に嫌だった。蘇生されたらすぐにえいってしてやろうと思って、気付いたら農民の娘だった」

 どうやら、アカツキの証言と食い違いはないらしい。遠慮なく目の前のお菓子を手に取った少女は、食べる直前にそのおせんべいの裏表を見た。

「……君と言えばおはぎじゃないの? そういえば、レオ君は?」
「……えー……、あー……」

 魔王が答えあぐねていると、後ろからドサドサっと荷物を取り落とす音がした。振り返ると、さっきゅんがわなわなと震えながら少女を凝視している。彼女はあくましゅうどうしへの差し入れをした報告に来たのだった。

「ひ、姫……?」
「さっきゅんさん! そうなんです、姫ですよぉ!」
「サキュン……? サキュンはあんまり変わってないね」
「さっきゅんさんは悪魔族ですからねぇ」
「……」

 さっきゅんは涙目で数歩後ずさり、どこかへと走り去った。そんな姿を見て、ハーピィと魔王は首を傾げる。

「おばけと思ったのだ?」
「さぁ…?」

 さっきゅんは、走りながら涙をこぼさないようにぎゅっと唇を噛んだ。

(最低……! 最低……!)

 顔を洗える場所を見つけて、涙目の自分が映る鏡の脇にどんっと拳をぶつける。

(最低だ。なんで、なんで最初に『嬉しい』って思えなかったんだろう)

 さっきゅんは、魔王の向かいに座る彼女を見た時にまず、(あくましゅうどうし様に会う理由がなくなってしまう)と考えた。懐かしさと嬉しさがこみあげてきたのはその後だ。それから、自分の不甲斐なさに涙が出てきた。

「最低だ……」

 彼女は、嬉しそうに笑ったというのに。
 さっきゅんは顔をばしゃばしゃと洗って、先程飛び出した魔王の執務室へと走って戻った。

「姫ぇ! 会いたかったぁ!」
「サキュン」

 少女に抱き着き、わんわんと泣く。そんなさっきゅんを見て、ハーピィは両者をまとめて抱きしめた。
 女の子たちが落ち着いたところで、ハーピィとさっきゅんは一度退席し、魔王と少女は一対一で話すことになった。

「さっきも言ったけど私はもう王族ではない。母は王族を追放された人で、瞳の遺伝は辛うじてあるけど、やっぱり姫ではない……。でも、私、どうしても魔界に来たかった。みんなにうまくできなくてごめんねって言いたくて」
「姫が謝ることは何もないのだ。我輩がことを急いたのがいけなかった。それに、君の仇は勇者がとった」
「勇者……。人間界では、革命と言いつつ反乱を起こした大罪人ってことになってる」
「いいや、彼は本当に勇者だった」
「……そんなにいい人だなんて、知らなかったな」

 少女の目がじわっと潤む。

「タソガレ君が夢見た共存は、私も……私にも大切な道しるべだった。レオ君には側近を頼むねなんて言ってたのに」
「……? 初耳なのだ」
「こっそり言ったからね。私とタソガレ君の婚姻が望ましいのかもしれないけど、私には不本意ながら婚約者がいたから。君の参謀と私の参謀をお互いに出向させるのが一番いいと思った。それで、ずっと傍にいてって伝えてたんだ」
「……ずっと……傍に……」

 あぁ、そうか。と、魔王は合点がいった。
 なぜ、あくましゅうどうしの記憶が姫の送別会までなのか。そんなに辛いのならば姫を誘拐したことも全て忘れてしまえば、心は壊れなかったのではないか。
 ずっと、そう思っていた。

(一番幸せな記憶を残したんだな)
「ねぇ、だからレオ君にはタソガレ君と同じくらい謝らないといけないの。悪魔教会に行ってもいい?」
「あくましゅうどうしは……悪魔教会にはいないのだ」

 魔王が再び言い淀むと、少女は肩を竦めて立ち上がった。

「言いたくないなら自分で探す。まずはあんら~さんにはさみをもらう。気が済むまではさみ魔物すやすやとしてここに居座るから」

 自称すやすやが部屋から出ていってもなお、魔王は結論が出せなかった。
 すやすやがいるという噂はすぐに魔王城中を駆け巡り、宴会が開かれた。ほとんどの魔物が職務を放棄して宴会に臨むほどに喜んだのはあくましゅうどうしが目覚めた時以来だ。一様に笑顔の魔物たちの中に、すやすやが探すあくましゅうどうしの姿は当然ながらなかった。
 あくましゅうどうしの居場所について聞いてみても、魔王が答えなかったのなら、と誰も教えてくれなかった。

(悪魔の里に帰ったのかな? ……そういえば、タイムスリップしたときもこっちにはいなかったから、旧魔王城かな)

 完全に自力で探すという考えにシフトしたすやすやは、あくましゅうどうしについて尋ねるのをやめ、懐かしい面々と思い出話に花を咲かせた。途中でやってきたのろいのおんがくかは、すやすやを見て「げっ」とうめいた。彼女を見てそんなことを言うのは彼くらいだったが、その愛想のなさすらも懐かしいとすやすやは思った。

「鳥ガールも鳥ボーイも、大人っぽくなったね」
「当然でしょ。あれから60年だよ? 老け込みもするって。……でもよかったよ。姉さんが辞める前で」
「え? 辞める?」

 すやすやが驚いてハーピィを見ると、ハーピィは少し照れた様子で「もう」と言った。

「まだ姫には言ってなかったのに」
「鳥ガール、辞めるの? でも、大人っぽくなったって言ってもまだ見た目は若いし……」
「まぁ、はい。実家に帰って婚活することになっちゃって」
「あ、なんだ。寿命が近いわけじゃないんだね。じゃあまた会える?」
「はい!」

 すやすやは満足気に頷いた。その奥にいたはりとげマジロは以前会ったことのある彼の父親にそっくりになっていた。

「とげちゃんも、おじさんになっちゃったね」
「おう。子どももいるし、今は単身赴任なんだぜ」
「そっか」
「俺たちは魔族の中では短い方かもな」

 はりとげマジロがいつもつるんでいた他の三体も老けるスピードは様々で、同世代には見えなくなっていた。

(あぁ、だから人間は人間だけで集まることを選んだのかもしれない)

 すやすやはそんなことを静かに思った。
 宴がお開きになった後、すやすやは自然と地下へと向かっていた。あくましゅうどうしはいないと言われていたが、代わりの魔物が取り仕切っているようで、埃一つないかつての悪魔教会がそこにはあった。

(匂いが、似てるけど……違う)

 体の記憶にないのに、似ているかどうかを覚えていることにすやすやはふっと笑った。魂の記憶とでも言うべき何かがあるようだ。だが、それが「違う」と告げる。
 そんなことがあくましゅうどうしの不在をすやすやに突き付けてくる。

「どこにいるの、レオ君」

 すやすやの頼りない呟きは、荘厳な悪魔教会の絨毯に吸い込まれたようだった。
 この日はハーピィの部屋に泊まらせてもらい、翌日にすやすやは魔界不動産魔王城支店を訪れた。あくましゅうどうしの部屋探しの際も対応したナーガのまつえいが対応する。

「部屋を借りたい」

 ナーガのまつえいは予想外の客にぴたりと動きを止めたが、すぐにマニュアル通りの返事を返した。

「ご予算はどのくらいですか?」
「ヨサン……」

 国家予算の会議にも出席したことがあるので予算の概念を知らないわけではない。今のすやすやには、安定した収入を見込めないという単純な事実があった。

「ゼロだね」
「……では、紹介できる物件はないですね」

 すやすやは「そりゃそうだ」と独り言ちて、様々な間取りが載ったチラシがラックに立てて置いてある店内をぐるりと見渡した。

「……レオ君の部屋、今どうなってるの?」
「あぁ、あの部屋は今、貸し出していませんね」
「何か他の事に使ってるの?」
「いいえ。魔界不動産の取り扱いではなくなっていますね。魔王様の個人所有に戻してあります。元々魔王城の空き部屋は全て魔王様所有で、貸し出せるものを魔界不動産で委託を受けて管理管理していまして――……」
「じゃあやっぱり、レオ君は魔王城内にいないんだね」

 すやすやの呟きに、魔界不動産の説明をしていたナーガのまつえいは凍り付いた。お手本のように顔から血の気が引く様は、他の魔物が見たら同情を禁じ得ないであろう不憫さがあった。が、彼の前にはすやすやしかいない。すやすやが一歩ナーガのまつえいに近付くと、彼は小さく悲鳴を上げて一歩下がった。

「ついでにどこにいるのか教えてよ」
「お、俺からは何も言えません!」

 ナーガのまつえいはなんとかすやすやを店舗から追い出し、深いため息を吐いた。ドアを挟んでそのため息を聞いたすやすやも(これ以上の収穫は望めないな)と同じくため息を吐く。
 あくましゅうどうしが魔王城内にいないという確信を得たすやすやは、旧魔王城へ行ってみることにした。

「あ、睡魔師匠だ」

 出迎えるように入り口で寝ている睡魔をかつてのように叩き起こすと、睡魔はなんのブランクも感じさせずに「久しいな」と言った。そこに驚きはないようだった。

「私ね、レオ君を探してるの」
「あー……」
「師匠も教えてくれないの?」
「まぁ、魔王様に教えるなと言われてしまってはなぁ」

 すやすやは「そっか」と言って睡魔の隣に座った。

「……私が自分で探す分には、いいよね?」
「止められていないのだろう。いいんじゃないか?」
「今の私は、栖夜姫じゃないけど……、レオ君はきっと、会えたら喜んでくれるよね?」
「当然だ」

 即答に近いその言葉は、すやすやの折れそうな心をそっと支える。すやすやは反射的に問いそうになった「では何故教えてくれないのか」という言葉を飲み込んで俯いた。

(理由を聞いたらきっと、諦めないといけなくなる)

 一瞬の沈黙の間に睡魔はうとうとし始めた。すやすやは静かに立ち上がり、睡魔が寒くないように彼が元々被っていたブランケットをかけ直した。小さく「行くね」と言ったすやすやに、睡魔は小さく呻り自らの眠気を振り払った。

「魔族は怖がりなんだ」
「?」
「お前さんに会ったレオが、どういう反応をするのかわからない。わからないから怖くて、教えられないんだ」
(それは、優しさなのだろうか)
「まぁ、俺に言えるのはこれだけだ。おやすみ、姫」
「おやすみ、師匠」

 一瞬で寝落ちた睡魔に微笑みかけ、すやすやは旧魔王城の奥へと踏み込んだ。相変わらずトラップだらけの旧魔王城を、持ち前の運動神経だけで攻略していく。
 ハデスは、すやすやを見るなりすぐに言った。

「ここにジジィはいないぞ」
「君は教えてくれるんだね」
「居座られても迷惑だからな」
「魔王城にも、旧魔王城にもいないってことは、悪魔の里?」
「さぁな。俺が知ってるのはここにいないということだけだ」
「ということは、悪魔の里も行ってみないとわからないか。城下町かな。温泉療養でジゴ=クサツっていうのも有り得るかな」

 すやすやがちらっとハデスを見るも、ハデスの表情は全く変わらない。複数の候補を言ったのはどれか一つでも反応が変わるかどうかを見るためで、居場所を知らないと言うのは本当らしかった。

「……暇ならまたマッサージして。人間界から歩き通しだったの」
「暇ではないが、いいだろう。準備をするので昼寝でもして待っていろ」

 ハデスが出ていくのですやすやはソファーにばふっと倒れこんだ。ハデスのファーを拝借し布団代わりにかぶって目を閉じる。気を失うように寝入ったすやすやだったが、数分後には覚醒していた。

(栖夜姫の記憶を取り戻してから――……、いや、前世でアなんとか君と魔王城を出たあの日から、きちんと寝ていない気がする)

 最低限の、意識を失う時間があるだけで。
 精神的なものだろうと村の医者は言った。ならば、彼がいないからだとすぐに思った。だから魔界へ来てみれば、その男はどこにもいなかった。
 思い出の場所を訪ねて回るのは、想いを拾い集めていくようだった。
 ぼうっとしているとガシャンと音がして我に返った。音がした方を見てみると、マッサージ用の台をハデスが広げているところだった。

「なんだ、寝てないのか寝坊助」
「今の私は、ねぼすけじゃない」
「だろうな。ひどい隈だ。さ、いいぞ。腹這いになれ」

 ハデスのマッサージはすやすやのコリをほぐし、すやすやは久しぶりに少しだけ寝ることができた。

「おぉ、体が軽い」

 マッサージ後にすやすやが腕をぐるぐる回すと、ハデスはふんと鼻を鳴らした。

「当然だろう」
「子犬たちは?」
「ケロ、ベロ、スゥは……もういない」

 ハデスが唇を噛む。すやすやは滅多に見せない動揺を見せ、おろおろとハデスの顔を覗き込んだ。

「……え、ご、ごめ」
「今は魔王城でな、魔獣部隊の精鋭だ。俺が育てただけあって、優秀で重用されているようでな」

 すぐに自慢げな表情に変わったハデスを見てすやすやはすっと無表情に戻った。

(なんだ、寂しいだけか)
「じゃあ、帰るね」
「送ってやる」
(これほど誰かに会うついでだとわかりやすい申し出もないな)
「……ありがとう」

 旧魔王城から戻ったすやすやは、ハーピィの部屋に戻った。ハーピィは既に仕事を終え部屋でくつろいでいた。部屋の調度品も、すやすやの記憶よりも落ち着いたものに変わっているように感じる。

「おかえりなさい、姫」
「鳥ガールは、お仕事いつまでなの?」
「明日までです! 明後日からは有休消化です」
「一緒にジゴ=クサツと悪魔の里に行ってくれない?」
「……いいですよ。どこへでも付き合います!」

 ハーピィはにこっと笑った。しかし、あくましゅうどうしの居場所を言うつもりはないようだった。彼女も確実に歳をとっている。すやすやは少し目を伏せながらありがとうと呟いた。
 さっきゅんが合流し、食堂で夕食を食べることになった。悪魔の里へ行くことも、ジゴ=クサツへ行くことも周りは何の反応も示さない。

(あぁ、違うんだな)

 怪鳥茶碗蒸しを頬張りながら、少し落胆せざるを得なかった。すぐに気持ちを切り替え、ただの旅行と割り切ることにしたすやすやだったが、ハーピィが嬉しそうに笑うので(まぁ、いいか)とまた怪鳥茶碗蒸しを頬張った。

「姫と旅行なんて、初めてですねぇ」
「そうだね」
「私も休みが取れればよかったんだけど」

 食堂にて、さっきゅんが悩まし気に肘をつく。ほんの少しだけ色気が増している彼女は、すやすやをチラッと見て目を伏せた。

「私が退職したらさっきゅんさんのお休みに合わせるだけでいいので、いつでも大丈夫になりますよ。いつでも誘ってくださいね」
「うん。サキュン、お土産何がいい?」
「そうだなぁ、ジゴ=クサツだったら、ふがしの大きいのがあるはず」
「……相変わらずだね」

 そんな風に決まって来てみた旅行だったが、ジゴ=クサツの魔物たちは、あくましゅうどうしがいないことすら知らないようだった。あくましゅうどうしのグッズは以前来た時と変わらず売られている。観光客からも何も言われていないのだろうか。

(魔王城の魔物しか、知らない?)
「姫~、こっちですよーっ」
「あ、うん」

 すやすやは純粋にハーピィと観光を楽しんでいた。温泉には入ったが、宿泊せずに次の悪魔の里へと向かう。温泉で疲れた体をほぐしたすやすやとハーピィは、悪魔の里へ向かう列車の中で意識を失うように寝ていた。
 なんとか乗り過ごさずに列車を降り、駅から真っ直ぐにあくましゅうどうしの実家へ向かうすやすやにハーピィは不安げな表情でぴったりとくっついてついてきた。

「独特な雰囲気の場所ですよねぇ」
「知り合いがいるはずなの」

 しかし、すやすやが思い描いた知り合い、カモシュは不在だった。対応してくれたのはあくましゅうどうしのおば、バアルである。バアルはにこやかに出迎えた。

「確か姫ちゃんだったかしら。久しぶりねぇ。半年ぶりくらい?」
「……60年ぶりだそうです」
「あらぁ! レオさんやカモシュは元気?」
(あれ、このひとも知らないんだ)
「はい!」

 言葉に詰まったすやすやの代わりにハーピィが返事をした。

(『カモシュ』は、魔王城にいる? もしかして、レオ君の代わりに悪魔教会にいるのかな)
「でも、ここにいると思って来たんでしょう? 入れ違ったの?」
「……今日っていうのが、勘違いだったかも」
「あらそう。お茶していく?」
「いえ。お邪魔しました」

 すやすやがにこやかにお礼を言ってハーピィを引っ張っていく。日はとっぷりと暮れ、あたりには時折何かの咆哮が聞こえる。そんな状況にハーピィは少し焦っていた。すやすやはハーピィの腕を掴んだままどんどん歩いて行く。

「どこへ行くんですか、姫。もう暗いですし、ここらへんで泊まった方がいいですよぅ」
「夜行列車ですぐに魔王城に帰ろう。カモシュ君っていうひとを探さないと」

 ハーピィは「カモシュくん?」と繰り返すが心当たりはなさそうだった。しばらく無言で考えているようだったが、不意に「あ」と声を漏らした。

「もしかして、あくましゅうどうしみならいさんかなぁ? 最近悪魔教会で蘇生とか担当してるんです」
「!! たぶんそうだよ」
(そうか、そう言えばレオ君に似た匂いのひと、会ったことある。じゃあ、悪魔教会の似た匂いは、カモシュ君の)

 すやすやが頷くと、ハーピィは歯切れ悪く「あー」と低めの声で何か悩んでいる様子だった。すやすやは変わらずに駅を目指してハーピィを引っ張っていく。

「あくましゅうどうしみならいさんなら、会わない方がいいと思います」
「え?」

 ちょうどその時、駅の構内に入ったすやすやは、ハーピィの複雑そうな表情を見てようやく引っ張っていた腕を放した。

「……あくましゅうどうしみならいさんは、あくましゅうどうし様が復帰できないことを、……その……」
「……レオ君がいないのって、私のせいなの?」
「ちがっ、違います!」

 すやすやは、考えもしなかった可能性に地面が揺らぐような感覚をおぼえていた。ハーピィは何度も違うと言いながら、ふらついたすやすやをぎゅっと抱きしめた。しかしそれは、半分くらい肯定したようなものだ。
 呆然とするすやすやを気にかけながら、今度はハーピィがすやすやを引っ張っていく。ハーピィはほとんど滑り込むようなタイミングで切符を買って夜行列車に乗り込んだ。二段ベッドの個室を取ることができたため、ベッドにすやすやを座らせる。すやすやは見るからに落ち込んでいた。

「ごめんね、鳥ガール」
「本当に姫のせいじゃないんですよ。そうだったら、探すことも許されないはずです。あくましゅうどうしみならいさんは、誰かのせいにしたかっただけです」
「……でも、私のせいにできるような何かがあるってことでしょ」
「そうだったら、姫は諦めるんですか?」

 すやすやが顔を上げると、ハーピィはじっとすやすやを見ていた。その瞳は柔らかく優しさが湛えられている。

「……諦め、ない。レオ君から直接聞く」
「はい、それこそ姫です!」

 すっかり落ち着きを取り戻したすやすやは、普段通りににこにこと笑うハーピィの両手を繋ぐように袖ごと掴んだ。

「ありがとう、鳥ガール」
「何か食べ物を買ってきます」

 ハーピィが食べるものを買って戻ってきた時、すやすやはもう意識を手放していた。布団をかけつつ、ハーピィはほっと息を吐いた。
 魔王城に戻ると、ちょうど仕事終わりだというさっきゅんがぴょこぴょことやってきた。

「おかえり! 予定より早いんじゃない?」
「うん。帰ってきちゃった。あとゴメン、ふがし忘れた」
「それは別にいいけど、ふたりともなんか疲れてない? 大丈夫?」
「移動はちょっと疲れたかなぁ」
「ご飯食べましょう」
「私もご飯まだだから行くー!」

 並んで食堂へ向かう途中で既に話に花が咲き始めた。すやすやはさっきゅんの質問に頷くか首を振るだけだったが、ハーピィはいかに楽しかったかを話している。

「ジゴ=クサツって、私新人研修で行った以来かも」
「じゃあ、ぜひ次回は一緒に行きましょ。私達も泊まってないしですし。お土産、本当は帰る途中で見つけようって話で」
「あ」

 思わず声が漏れたすやすやに、それぞれがぴたっと歩みを止めた。すやすやは気にも留めずに考える。

(どこかで、似た言葉を聞いた)

 魔界に来てからのことをぐるぐると思い返したすやすやは、「帰る途中で見つけた」という言葉をハーピィが言っていたことを思い出した。

 ――あくましゅうどうし様の小屋から帰る途中で見つけました。

 その時はあくましゅうどうしがいないとは知らず聞き流していたが、魔王への報告の際にハーピィは確かにそう言っていた。

(あの森のどこかにいるってこと……?)
「どうしました、姫?」
「ううん。サキュンも行けるといいね」

 明日は城下町に隣接する森を探そう。ひっそりと心に決めたすやすやは、怪鳥茶碗蒸しを三つも頼んだ。

「私が退職したら、姫をさっきゅんさんの部屋に泊められませんかね?」
「うん。もちろんいいよ」
「ありがとう。しばらくはお願いするね。私も働かせてもらって、お部屋を借りれるようにする」
「ふふ、姫は強いから戦闘部隊かもよ」
「エリアボス狙ってる」
「人間のエリアボスなんて聞いたことないよー」

 食事を終える頃、今夜は久しぶりのパジャマパーティーだとハーピィが言い出し、さっきゅんもハーピィの部屋に泊まることになった。さっきゅんも懐かしのペンギンパジャマを引っ張りだしてやってきた。

「姫は、明日は何するの?」

 すやすやは一瞬だけ沈黙した。しかしすぐに(二人には言ってもいいか)と、明日の予定を返事した。

「城下町に行く」
「そっか」
「そこでレオ君を探す」
「……」

 さっきゅんは少し俯き、パジャマの裾を握りしめて「見つかるといいね」と言った。
 翌朝、すやすやが食堂で朝食を選んでいると、少し遅れて起きたさっきゅんが追いかけてきた。ハーピィはまだ寝ていた。

「姫、あのね、やっぱり……、やっぱり、あくましゅうどうし様のことはそっとしておいてほしくて」

 すやすやは少しの沈黙の後、席に移動した。さっきゅんは、自らを鼓舞するかのように両手をぎゅっと硬く握りしめている。

「聞いてるの!?」
「どうぞ。聞き入れるかどうかはおいといて、話は聞こう」

 すやすやが向かいの席を手のひらで示すと、さっきゅんは静かに座った。引き続き握りしめている両手は、太ももにおいて突っ張るように肘を伸ばすと、体を支える役目を担う。そうでもしないと緊張で倒れてしまうとさっきゅんは感じていた。口がカラカラに乾いていて、鋭い八重歯に唇の裏側が張り付いた。それをちろっと舐めて剥がし、さっきゅんはもう一度ぎゅっと拳を握り直した。

「あのね。……。あくましゅうどうし様は、姫の訃報を聞いて、心が耐え切れなかったの。送別会をした後のまま、心が凍って」
「ふぅーん」
(なるほど、師匠が言っていた『どういう反応をするのかわからない』っていうのはそういうことか)

 姫がもぐもぐしながら話を聞いていると、さっきゅんは胸の前で手を組んだ。それは、人間界での祈りのポーズに似ていた。

「だから、そっとしておいてほしいの」
(ごめんね、私も悪魔で)

 その助言は、完全にあくましゅうどうしのためというわけではない。さっきゅんはすやすやの目を見ることができずに、ただ組んだ指を見つめていた。すやすやはそんなさっきゅんをじっと見つめる。さっきゅんは(もう一押ししないと)と思い、消え入りそうな震える声で「だからみんな、場所を教えるわけにはいかないの」と言った。

 ――魔族は怖がりなんだ。

 睡魔の声がすやすやの頭の中で蘇る。

(だとしたら、サキュンは何を怖がっているのだろう)
「訃報を聞いてだったら、私に会えば凍った心が溶けるかも……とは思わない?」

 少なくとも、魔王たちがすやすやの捜索活動を止めないのはその可能性を排除できないからだとすやすやは解釈している。しかしさっきゅんはそうではないらしい。

「姫がいつかまたいなくなったら、今度こそ死んじゃうかもしれない!」

 さっきゅんの大きな声を聞くのは初めてのことだった。すやすやが驚いたのはもちろん、食堂にいた周りの魔物たちも何事かとざわつく。言った勢いで立ち上がったさっきゅんは、ぽろぽろと涙をこぼしていた。

「どうしたんださっきゅん!?」
「だ、大丈夫。なんでもない」

 はっと我に返ったさっきゅんはゴシゴシと涙を拭いながら声をかけてきた魔物に手をひらひらと振った。

「ただ……、ただ私はもう、二度と、あんな喪失感を味わってほしくないの」

 二度と、という部分を強調しながらさっきゅんは座り直した。

「サキュン……。レオ君のことが、大切なんだね」
「こらー、何かもめごと?」

 誰かが呼んだらしく、のろいのおんがくかが駆け付けた。あくましゅうどうしの十傑衆とエリアボスの代理を頼まれている彼は、誰に頼まれるわけでもなくあくましゅうどうしがその性質として言われていた魔王城の良心というところも代理を果たそうとしていた。
 のろいのおんがくかはすやすやとさっきゅんを交互に見て、首を傾げた。

「けんか?」
「違うよ。……君、内科医もやってたよね。精神科医はどうなの。レオ君は……、私はレオ君に会っちゃダメなの?」
「あー……」

 すぐに状況を察したのろいのおんがくかは、ちらっとさっきゅんを見た。彼の姉が気付かなかったさっきゅんの想いに、彼は気付いていた。その気持ちを応援したいという気持ちがないわけではない。しかし、同時にあくましゅうどうしに元気になってほしいと願うひとりでもある。

(俺はどちらの味方でもない)

 のろいのおんがくかは、自分にそう言い聞かせていた。ただ、かつての上司によりよい選択肢を選ぶと心に決めている。

「そんなに会いたいの?」
「会いたいよ」

 即答だった。迷いのない言葉に対し、のろいのおんがくかは特段驚くことはなかった。

「で、君はいつか同じことが起こるのが不安、と」

 のろいのおんがくかは、まだ涙目のさっきゅんの頭を撫でた。

「この件は俺が預かるよ。診断を下すから待っててほしい」
「……私……、会いたいだけなの……」
「姫という枷が、外れたんだね」

 さっきゅんにしたようにすやすやの頭を撫でる。
 のろいのおんがくかがあくましゅうどうしに会うために足早に去ると、残されたすやすやもさっきゅんもしばらく押し黙っていた。

「……」
「……ひ、姫に、会ってほしくないわけじゃ、ない」
「わかってる」
「心配なだけ」
「……わかってる」
「私は、別に好きじゃないし」
「……」
(だったら何で泣くの)

 すやすやは、再び涙目になったさっきゅんをぎゅっと唇を噛んで見守った。それから、ふっと笑う。

(私達、対等な友達だね、サキュン)

 しかし、だからといってその友情のためにあくましゅうどうしに会わないという選択肢は彼女にはない。のろいのおんがくかが決めると言ったが、もしダメと言われたって探し出す。すやすやの胸にあるのはそういう気持ちだった。
 誰も教えてくれないのなら、森を刈り尽くしてやればいい。のろいのおんがくかがノーといった場合はm.o.t.h.e.r.に頼んで大きな芝刈り機を作ってもらおうとすやすやは考えていた。そんな不穏な考えがなされているとは知らず、食堂では唐突に重い空気になったのを吹き飛ばそうと、再びすやすやを囲んで宴会が行われたのだった。
 のろいのおんがくかがあくましゅうどうしを訪ねたとき、彼は珍しく修道服に着替えていた。

「あくましゅうどうし様、どうしたの?」
「うん? なんだか随分魔王城が賑やかだから、OB訪問させてもらうのもいいかなって」
(いつもより会話がはっきりできる)

 意識の混濁こそ完全になくなったが、つい数ヵ月前までは一日のほとんどをぼーっとして過ごしていた。あくましゅうどうしは、口元だけは心が壊れる前の柔和な笑みを浮かべていた。

(大丈夫だ)

 こんなにも嬉しいものだろうか。
 のろいのおんがくかはごくりと生唾を飲み、あくましゅうどうしに魔王城が賑やかな原因を告げる決意を固めた。

「あくましゅうどうし様、姫が……どうなったか、覚えてる?」
「勇者と人間界に帰ったじゃないか。一昨日は送別会だった。そういえば今日は、魔王様と提案書を……あぁ……、違う……。あれ? OB訪問……ここは森の奥で……、違うんだね……?」

 その強力な呪いは、本人にしか解けない。のろいのおんがくかは、慎重に言葉を選ぶために背筋を伸ばし、ゆっくりと息を吸った。

「あの送別会からは、もう何十年も経ちました。人の寿命が尽きるほど、長く」

 あくましゅうどうしは膝の力が抜け、ふらふらと椅子に座り込んだ。ズキズキと痛む頭で考えても、もやがかかったように記憶があやふやだ。
 しかし、呪いは確実に解けようとしていた。

(姫が寿命で亡くなって、記憶を消したか?)

 あくましゅうどうしがのろいのおんがくかをじっと見ると、鳥獣族の彼は歳を取った分だけ老いていた。見た目上はあくましゅうどうしよりも老けている。月日の話は真実だと受け入れるしかなかった。

(……側近には……、してもらえたんだろうか。いや……、側近になれたなら、送別会で記憶を終わらせるわけがない)

 ――ずっと傍にいて。

 あの、騒々しい送別会で、お互いに耳を寄せて囁き合った約束は、きっと果たされなかった。
 その結論に辿り着いたあくましゅうどうしの魔力が漏れだしていた。地鳴りでカタカタと食器が音を立てる。のろいのおんがくかは慌ててあくましゅうどうしの両肩を掴んで彼を揺さぶった。

「生まれ変わった姫に、会いたいですか!?」
「……え?」
「生まれ変わり、です。前世の記憶を持って、別の人間に生まれ変わったんです」
「生まれ変わり……」

 あくましゅうどうしは呆けたままオウム返しをした。地鳴りが止んだことに、のろいのおんがくかはほっと息をついて彼の肩から手を離した。

「死んで、生まれ変わって、それでもあんたに会いに来た。そんな女に、会いたいですか?」
「私に……会いに……?」

 のろいのおんがくかは、姫の死後初めて、あくましゅうどうしの瞳に光が宿るのを見た。しかし、問題はここからだ。すやすやは記憶や振る舞いこそ姫のものであるが、容姿はところどころ似ているといった程度で瓜二つというわけではない。あくましゅうどうしが再び拒絶することは大いに有り得た。
 のろいのおんがくかが何と言おうかと思案したその瞬間、ドガンという大きな音と共にドアが破壊された。ランプの光をギラリと反射するするどい刃物が見える。

「レオ君、みーつけたぁ」
「待てって言っただろ!?」
「了承した覚えはない。……私、自分でレオ君に聞きたいの。会いたいか、会いたくないか」

 すやすやがのろいのおんがくかに相対している間にも、あくましゅうどうしは大きく目を見開いて固まっていた。彼が言葉を発したのは、たっぷり数十秒経ってからだった。

「……姫……。姫、だ」

 あくましゅうどうしは、一歩、二歩とよろよろと近付いた。その小さな顔を両手で包む。

「顔はさっきゅんの方が似てるけど――……、魂は、姫だ。わかるよ」
「ごめんねレオ君。側近に選べなくて」

 すやすやの目が潤むのを見て、のろいのおんがくかは二人を置いて魔王城へ戻ることにした。部下の一人がまだ泣いているかもしれない。それは緊急で戻らなければならない由々しき事態であるのだから。
 すやすやはぎゅっとあくましゅうどうしの腰を抱きしめ、彼の胸板に顔をうずめた。

「……姫が、会いに来てくれただけで……、十分だよ」

 あくましゅうどうしは、すやすやの背中に手を回そうとしたが、踏ん切りがつかずその手は数センチほどすやすやの体から離れている。しかし、彼の長いしっぽが緩くすやすやの足首に巻き付いた。

「私ね、はさみ魔物すやすやとしてこっちで暮らそうと思う」
「……そうなんだ」
「それに、もう姫じゃないから人間界のことを考えなくていいの」
「うん? うん」
「それに、婚約者も、もういないの」
「……えっと?」
「つまり、今度こそずっと傍にいてってこと」

 数秒遅れで意味を理解したあくましゅうどうしは、先程座っていた椅子にふらふらと戻った。すやすやの足首に緩く巻き付いていたしっぽは、しゅるりと彼女の足首をくすぐって離れる。

「……え? どうせ、側近の、話……なんでしょ?」
「そう聞こえた?」
「そう聞こえなくて……驚いてる」
「まあいいよ。これからなんだから」

 すやすやは部屋の奥へ歩きだし、ベッドに飛び込んだ。
 相変わらずいい匂いだ、と潜り込みながら思う。思えば本当に長い時間、安眠できていなかった。懐かしいまどろみに包まれて、すやすやは満足げな表情を浮かべた。
 あくましゅうどうしは彼女の掛け布団を肩までかけ直し、魔王城へ向かった。復職を願い出るために。幹部でなくともいい。ただ、記憶のない数十年間を世話してくれた者たちがいるのだから恩返しをしなくては、とは考えている。誰かがずっと傍にいたような。
 あくましゅうどうしの長い悪夢は終わりを告げ、魔王城に活気が戻った。それは、他でもない彼女が望んだ日常だった。