Mymed

アナザー脱獄姫の初めての狩り

「脱獄した人質の姫、まだ見つからないんだ」
「そうか」

 気落ちしたポセイドンから目をそらしたハデスは、唐揚げの大皿をポセイドンの方へ押しやった。ポセイドンは唐揚げを食べるものの、表情は変わらない。
 その原因の一端は自分になくもない。しかし、ハデスは姫を魔王の元へ連れて行かなかったことを特に後悔もしていない。あくましゅうどうしの目論見通り姫は魔族への考え方を改めようとしているとあくましゅうどうしから定期連絡が来たばかりだ。

「……姫が逃げたの、実は二回目なんだ。俺、一回目に見逃してるからさ、俺が逃がしたんじゃないかって疑われてて」
「タソガレが……。一緒に育ったお前も疑うようでは、いよいよだな」
「いや、疑ってるのは他の十傑衆だ。でも全員タソガレの奴には隠してる。処罰が怖いんだろうな。そんなものないんだけど」

 あくましゅうどうしはもちろん、魔王と兄弟のように育った二人ですら遠ざけられる。レッドシベリアン・改の魔力は魔王自身で取り上げてしまった。魔王には頼れるものがいない。いや、いたとしても頼らない。泣き虫のタソガレはもういないのだ。その結果、部下からも恐れられ、距離を置かれている。

(これが望んだことか? タソガレ……)
「連絡系統に支障が出ているのは問題だな」
「うん。もう魔王軍は崩壊寸前だ。こんなときあくましゅうどうしがいればって思――そういえば、そのジジィは?」
「あくましゅうどうしは出張に行ってもらってる」
「そっか」

 唐揚げを頬張りながら、ハデスはあくましゅうどうしがいるはずの方角を見遣った。

(時間がないようだぞ、あくましゅうどうし)

 一方その頃、朝早く起きた姫は何をしても起きないあくましゅうどうしを部屋に残し、ローブをかぶって村を散策していた。村は活気があるが、漏れ聞こえるのは『人間との戦いが激化していることへの憂慮』だ。

(……本当に人間の村と変わらない。そしてやはり、魔族の認識は『人間が侵攻している』なんだ)

 散策の最後に姫がやってきたのは、鍛冶屋だった。カトラリーから武器まで、金属加工の技術を使うものを手広く扱っているらしかった。店主はもちろん魔物だ。昨日までの姫ならば、自分から話しかけようなどとは思わなかっただろう。しかし今なら。昨日今日と、様々な魔物に話しかけられ、会話ができた今なら、大丈夫だ。姫は一歩踏み出し、店主に声をかけた。
「あの、私にも扱える武器はあるだろうか」
 店主は姫のローブをちらっと見遣ると、「うーん?」と声を漏らした。商売っ気がないというか、やる気がない。姫はこのような不愛想な対応を受けたことはなかったので、少し驚きつつもローブの中で拳を握りしめ、(怖くない)と自分に言い聞かせていた。
「剣士や戦士には見えないけど、ナイフが入用かい? それとも鍛冶屋は初めて? 魔術師の杖なら別の店だよ」
 人間と気付かれたわけではなく、単にターゲット層ではない魔術師だと思っただけのようだ。それでも対応がいいわけではないことに変わりないが、姫はひっそりとゆるゆると息を吐き、更に尋ねる。
「いや、職種に関係なく護身用で使えるもので……、あ、これなんか背負えそうでいい」
 店主はそっちには武器は置いていなかったはずだが、と姫の指の先を見て、ガハハと大きな声で笑った。
 姫が指差したのは、姫の半身ほどもある大きなはさみだった。手入れしやすいように刃をスライドさせると分解できる、いわば便利グッズである。
「それは武器じゃないんだ。大きい体のお客さん用のはさみだよ。小柄なお客さんにはこっちのダガーナイフの方がいい」
 やっと姫に見合う武器を教えてくれた店主だったが、この時もう既に姫の心は決まっていた。
「ううん、これがいい。これをちょうだい。今は手持ちがないから予約できる? いくら?」
「これじゃ人間は倒せないよ。本当にいいのかい?」
「いいの。護身用だから」
「それじゃ、1000ゴールドだ。取り置きしとくよ」
「ありがとう、それじゃあまた」
 こうして、姫は無事に大きなはさみを予約して宿に戻った。出るときは静かだったのに宿は大騒ぎで、姫は首を傾げた。そしてまた、手近な魔物に話しかける。早くも話しかけるのに躊躇うことも戸惑うこともない。
「どうしたの?」
「なんでも女の子がいなくなったんだって。恋人のお兄さんがひどく慌ててね」
「へぇー」
 あまり近付かない方がいいな、と入り口付近で様子を窺っていると今度は別の魔物が話しかけてきた。
「君、外にいたなら見てないかい? 銀色の髪の子だってさ」
「へぇ、私の他にも銀髪が……、いや、たぶん私のことだな。すまない、おそらく騒いでいるのは私の連れだ」
「あら、そうかい。お兄さん! 恋人さん戻ったよ!」
「!」
 見るからに寝起きの、宿屋のおかみに詰め寄っていたあくましゅうどうしが振り返って、小さな声で「いや、恋人では……、とにかく無事でよかった」などともごもご言う間に姫はあくましゅうどうしの前に進み出た。
「おはようレオ君。あ、腰は大丈夫? 昨日の夜に痛めたのかと思ってそっとしておいたんだよ」
「あらやだ、ゆうべはおたのしみでしたのね。プラトニックなのかと思ってたけど大人しそうな顔してやるじゃない」
「おたのしみ……?」
 宿屋のおかみにつつかれて姫が首を傾げるのに対し、あくましゅうどうしは姫が寝転がるベッドを思い出し、顔を真っ赤にして抗議した。
「そ、想像しているようなことはないですから! ひ、じゃなかったスヤリスさん、誤解を招くような言い方は控えてくれ!」
「なんの誤解? レオ君パジャマのままじゃない。部屋に戻ろ?」
「……うん」
(おかみさんがあんなこと言うから、姫でひどい妄想を……)
 ますます相部屋の自信をなくすあくましゅうどうしは、部屋に戻り次第黙って外に出たことに対してお説教をした。しかし姫はどこ吹く風で、その堂々とした佇まいには自分の方がおかしいのかとあくましゅうどうしが困惑するほどだ。
「話はわかった。ここに座って」
「? はい」
 起きて慌てて姫を探していたあくましゅうどうしは、髪を縛っていなくてボサボサだった。姫は大人しくベッドに座ったあくましゅうどうしの後ろに回り込み、髪を梳いていつも彼がしているようにハーフアップでまとめる。
「急いで探してくれたんだね、ありがとう」
「……君に怪我でもされたら……、戦いが激化してしまうから……」
 本当に心配したんだよ、と言うあくましゅうどうしに、姫は怒られているのに思わず笑みがこぼれた。
(優しいな、この人は最初から優しい)
「うん。だから私も自分の身は自分で守る。これから前線を通るでしょ? だから武器を見繕ってきたの。予約してきたから出発する前に鍛冶屋に行こう。1000ゴールド持ってる?」
「持ってるよ。随分安い武器だね」
 あくましゅうどうしが着替えるのに姫が部屋から出ていかないなど、一悶着ありつつも宿屋を出る支度を整えた二人は鍛冶屋へ向かった。あまり武器を使わないあくましゅうどうしにとっても馴染みのない場所だが、姫がためらいもなく奥に入っていくので慌てて追いかける。
「おじさん、さっきの取り置き買いにきたよ」
「あぁ、さっきの取り置きね」
 ゴト、と置かれた巨大なはさみを見た時、あくましゅうどうしは思わず笑った。
「お間違いでは?」
「ううん。あってるよ、護身用の武器。これはちょうどいいでしょ?」
「……え、これで合ってるの?」
「うん」
 姫が1000ゴールドを手渡すと、店主は「まいど」と言った。それを聞いて、あくましゅうどうしはいよいよ本当なのだと気付いた。
「はさみ……だよ?」
「うん、背負えるし」
「お嬢ちゃん、これはおまけのストラップだよ。さっきうちの嫁さんが作ったんだ」
「え……ありがとう」
 あくましゅうどうしが呆けて見守る間にも、店主と姫ははさみを装備している。背中に背負う形で装備したはさみは大剣と言って差し支えのないサイズで、店主もあくましゅうどうしも何度見てもドラゴン族のはさみにしか見えないと感じるし、実際にドラゴン族のはさみでしかないのだが、姫は満足気だ。
 姫ははさみを装備した後、「どう?」と言ってあくましゅうどうしにくるりと回って見せた。
(かわいい)
「かわいいよ」
 思ったことがそのまま口に出ていたあくましゅうどうしは、はっと口元を押さえたが、姫は嬉しそうにまたくるりとその場で回った。
「お熱いねぇ」
「えっ!? いや、そういうわけでは」
「私たち、カケオチ中なの」
「そうかい、じゃあしばらくは根無し草ってわけだ。もう一つおまけに、こっちのアサシンダガーも持って行きな」
 真っ黒の刃をあしらった美しいアサシンダガーを出され、姫は目をぱちっと瞬きした。
「……いいの?」
「いいさ。これからその店名入りストラップを背負ってくれるならうちのいい宣伝になるからね」
「ありがとう。じゃあさっそく宣伝してくる!」
「あっ、待ちなさい!」
 姫が駆け出してしまうが、一瞬の出来事であくましゅうどうしが追いかけられずにいると、店主はくつくつと笑ってダガーを包んだ。
「これ、おまけでいただけるほど安いものではないのでは? 受け取れませんよ」
「駆け落ちって嘘なんだろ? 悪魔の兄さん」
「……いや……その……」
「こっから先の戦いはキツい。可愛いお客さんへの餞別だよ」
「ありがとうございます」
 姫の愛される性質を目の当たりにしたあくましゅうどうしは礼を言うにとどめ返品はしないことにした。店を出ると、姫は通りすがりの魔物に装備を見せていた。小さな子供が新しい服を見せるような姿に、魔物たちも目を細めている。
「スヤリスさん、離れないようにって言っただろう」
「レオ君、行こう!」
 姫は目をキラキラさせながら村の外を目指した。

*****

 姫はよく怪我をし、それをすかさずあくましゅうどうしが治す。そんな相変わらずの道中だった。少し変わったことといえばどちらかが話しかければ答えるし、危ない道では手を繋ぐこともあった。

「……疲れたし、眠い。野宿だと虫も気になるし、ゆっくり眠れない。そう思わない? レオ君」
 ひたすらに、『姫の使命』とばかりに人間界を目指す姫が、突然『女の子』として愚痴を言った。これにはあくましゅうどうしも面食らって、「急にどうしたの」としか言えなかった。
 姫はただ愚痴をこぼしただけではなかった。ひらりと浮かぶ布らしきものを発見し、現状の不満が何なのか気付いたのだ。それに狙いを定め、背中のはさみを取り出す。購入したはさみを武器として使うのはほとんど初めてだが、ジャキンとはさみを構える姫はかなり様になっていた。
「あれ、上等シーツだよね」
「え? どれ?」
「思えば私は、魔王にさらわれる前は公務におわれていていたが、よい寝具に恵まれどんな激務のあともゆっくり寝ることができていた……。懐かしいよ」
「……うん?」
 まるであくましゅうどうしの相槌など聞いていないような姫に、あくましゅうどうしは曖昧な笑顔を返す。姫は何かをじっと見つめたまま、これまでのよく転ぶ姫と同一人物だとは思えないほど俊敏かつ安定した動きで何かを追っている。
「それでね、この冒険に足りないもの、寝具じゃないかな? って思うんだけど」
「……あっ、キャンプってこと?」
「惜しい。キャンプよりもサバイバルだね、DIYするの。こうして、ねっ!!」
 姫が一気に距離を詰め、はさみを振りかぶると、白い絹のような布は横に裂けた。
「顔はいらない」
「って、これはおばけふろしきじゃないか!!!!」
「上等シーツだよ」
 姫は涼しい顔で顔がないおばけふろしきの、ただの肌触りのいい布となった遺体を持って立っている。村に着いた際に見せた魔物への恐怖は一切感じられない。
(え……? あれ? あれってもしかして、武器がなかったからっていうだけ?)
「レオ君、ここをキャンプ地としよう。この布でハンモックを作る」
 いつの間にかキャンプ地を決める主導権が姫に移っていることに気付かないくらい、あくましゅうどうしは驚いていた。
「あ、うん。私はこのおばけふろしきを向こうで生き返らせてくるね」
「うん」
 姫はあくましゅうどうしを見送りながら思った。
(レオ君、蘇生ができるのか。多少の無茶はできると思ってたけど、死んでも大丈夫だな)
 おばけふろしきを生き返らせて姫とは逆方向に行くように話をした後、あくましゅうどうしは姫がハンモックを作るのを木陰から確認して通信玉を取り出した。
「ハデス君、どうしたの?」
『魔王城の方はけっこう面倒な状況らしくてな。ポセイドンが姫を逃がしたと疑われているらしい。そして、十傑衆は姫がいないことをまだタソガレに知らせてないそうだ』
「……一枚岩じゃなくなったんだね」
『そういうことだ。急がないとまずい』
「……うん」
(タソガレ様の問題だと思ってきたけど、魔族の問題になってきたな。ますます姫を連れて行くのが辛い)
 生まれた時から人間界の姫として生きてきた彼女が、いきいきとサバイバルをしている姿に痛々しさすら感じるときがある。
(話をしよう、姫と)
 再三の決意を固めはあくましゅうどうしが姫の元へ戻ると、彼女は薪を拾い集め、はさみを打ち鳴らした火の粉で器用に焚火を作っていた。サバイバル番組を見たのだと言いながら自慢げに見せてくる姫を褒めずにはいられない。
「蘇生って時間かかるの?」
「うん、少しね。簡易的に棺桶と教会の祭壇が必要だから」
「タイムリミットはあるの?」
「状態によってはゾンビになることもあるかな」
「じゃあ、ずっと傍にいてね」
 ドキッと高鳴る胸を押さえつつ、あくましゅうどうしは頷いた。姫は雑談程度の軽さでさらりと言っただけの言葉だが、あくましゅうどうしの胸に蜜のようにじわりと広がっていく。
 暗い夜に、焚火を囲んで二人きり。ココアでもいれて星を眺めれば永遠に二人きりでいいと思いかねない雰囲気がある。
(……姫にときめく自分に気付かないふりもそろそろできそうにないな)
 焚火に照らされる姫を見ながら、あくましゅうどうしは観念して小さく笑った。
(危なっかしいとか、守りたいとか、それだけじゃなくなってしまった)
「……君を見た時、危なっかしい子だと思った」
「?」
「目が離せないんだ。私は君のことを――」
(好き、だ)
 口が滑りそうになったことに、あくましゅうどうしは頬を染めて俯いた。そして取り繕うように、言い直す。
「君のことを、本当に人間界に送り届けたいと思ってるよ」
「……ありがとう」
 姫も改めて言われたことに少し照れて目を伏せ、ギクシャクとした空気が流れる。あくましゅうどうしは膝の上に置いた手をぐっと握りしめた。
「だけど今、魔族も……、大変で。私は、できればこの不毛な争いをやめたいんだ。それで君に、協力してほしくて……、タソガレ様――……魔王様との、対話を」
 姫はあくましゅうどうしの隣に座って、彼の膝の上にある手を取った。指を絡めると、あくましゅうどうしは心ここにあらずの様子で姫を見つめている。
(……姫の手に体温を吸い取られるみたい……)
「……それで、ルートをそれてあの村に行ったの?」
「!」
 恋人のように繋いだ手は、姫なりの枷だった。気まずいあくましゅうどうしは立ち上がろうとしたが逃げられない。
「気付いたよ。だけど、レオ君はきちんと守ってくれたし、優しい。だから、何か考えがあるんだろうなって思った」
「……どう……だった? 魔物は、聞いていた通り、野蛮だった?」
「違うね。うん、違った」
「! じゃあ、対話の余地、ある……よね?」
「まだだよ」
「え?」
「今度は君が、魔族を代表して人間が野蛮じゃないって知る番だと思う」
(私が、人間を、知る?)
 確かに、あくましゅうどうしはそれほど人間を知っているわけではない。人間を騙す悪魔という出自ゆえに全く知らないわけではなかったが、ある程度野蛮だと思ったことがある。
(私が姫に魔族を知ってもらいたいと思ったように、姫は私に人間を知ってほしいということか。確かに、お互いが歩み寄るべきだ)
 考え込んだあくましゅうどうしの手を、姫は改めてぎゅっと握った。
「行こう、人間の村に。通信玉出して」
「え?」
「あるんでしょ。こっち?」
「ひゃ……っ」
 姫があくましゅうどうしの服の中に手を入れようとするので、悲鳴をあげつつ通信玉を渡して地に倒れ伏した。
『あくましゅうどうし、どうし――……』
「やぁ。君、隠してるみたいだけどワープできるでしょ?」
『……姫!? あくましゅうどうしはどうした!』
「そこで真っ赤になって倒れてるよ。私が倒した」
『何!? 貴様の居場所はわかっているんだからな!』
 ワープでキャンプ地にやってきたハデスが見たのは、真っ赤な顔で服の襟元をぎゅっと引っ張りうずくまるあくましゅうどうしと、焚火で干し肉をあぶって食べている姫だった。
「え、血まみれで倒れてるんじゃ……、え? ……何だ、この状況」
「来たね。私とレオ君を人間界の町に送ってほしい。迎えに来てほしいときはまた通信玉で呼ぶから」
「はぁ!?」
「……あ、ハデス君、私が説明するよ」
「あのね、またカケオチするの!」
「駆け落ち!? あくましゅうどうしお前……!」
 手を出したのか、と目で訴えかけてくるハデスに、あくましゅうどうしは必死に弁明する。
「違う! 違うから! ちゃんと説明させて! 姫はもう駆け落ちって誤魔化すの禁止!!」
 かくしてハデスの協力を取り付けた二人は、一気に人間界へと足を踏み入れる。