Mymed

アナザー脱獄姫の更なる選択

 あくましゅうどうしは、自らが黒歴史として記憶を封印する時期には大して清貧というわけではなかった。だからこそ、女を抱く手癖があり、寝ぼけて手癖で抱こうとする失態を演じたのであり、故郷では名前負けしない悪魔として優等生だったのだ。しかしその中でキスというのはさして重要ではなかった。そこに想いなどなかったからだ。
 そして、長い清貧生活の中ですっかり悪魔の優等生としての姿が影を潜めた今、彼にとって好きな相手からのキスというのは劇物でしかなく――……。
「うわ気絶した」
「え、痛かったかな」
「処理落ちしたな」
 三者三様の驚きの声を上げ、顔を見合わせて三者三様に笑った。苦笑、失笑、微笑みといった具合に。
 再び床に倒れたあくましゅうどうしだが、今度は姫の希望によりあくましゅうどうしは姫が使っていた応接室のベッドに寝かされた。
 あくましゅうどうしが起きるまで、泊まったホテルに料金を払ったり三人でお茶をしたりとまったりと過ごすことにした。姫は特に喋るというわけではなかったが、睡魔が姫のことを気に入って睡眠について語り合う謎の時間となった。
 しかし時間が経てば経つほど、姫の表情は憂鬱そうなものに変わっていった。
 そして、ハデスが自分の耳を疑う発言が姫から飛び出したのは、あくましゅうどうしが気が付いたときだった。
「起きたね」
「あ、えっと……、ひ、姫は本当に私のことを」
 あくましゅうどうしがその場で真っ赤になって指をいじるのに対し、姫は申し訳なさそうに「ごめんね」と言った。
「略式とはいえ騎士の任命ってこっちからキスするものじゃないんだけどね。驚かせちゃったね」
「ん……?」
「あ、騎士の任命って人間界の風習かもね。本当は、長い剣を両肩にポンポンってして、その刃に騎士がキスをすれば、私の騎士になる栄誉が与えられる。でも今回は長い剣なんてなかったし。本当の略式だって靴にキスをしてもらうんだけど、レオ君はしてくれそうにないからね。こっちからしてあげたんだよ」
「靴に!?」
 靴にはしそうだけど、という言葉を飲み込んで、ハデスは頭を抱えた。対して、あくましゅうどうしは黙って姫を見つめている。睡魔は面白そうに笑うばかりだ。
(あれは相思相愛っていうことじゃなかったのか? やはり人間は何を考えてるかわからない)
 ハデスは混乱していた。(いい奴だと思ったのに)と少しの口惜しい気持ちが奥歯を噛ませる。姫は自分の説得を聞いて、それでも傍にいたいと言ったはずだ。それなのになぜ『騎士の任命』になっているのか。
「気に入ったから栄誉を与えたと、そういうことか? こいつの気持ちはどうなる」
「……私は……栄誉を与えることはできても恋愛は与えられない……」
「そもそも与えるものじゃ」
 ハデスが姫に詰め寄ろうとしたとき、あくましゅうどうしがやんわりと制した。姫はわずかに俯いて唇を噛む。
(本心じゃないのか……?)
 ますますわからないと首を傾げるハデスの袖をそっと引いたのは睡魔だった。
「娘さんは自分の立場を思い出してしまったんだろう。本心じゃないさ。責任感が強いんだよ」
「立場……?」
 ハデスは、姫が言った言葉を思い出していた。
 ――護身術と一緒に責務を思い出したというか。
 睡魔の言う通り、姫は必死にキスの理由を絞り出したに過ぎない。オーロラ・栖夜・リース・カイミーンは個人ではなく公人であり、自分の気持ちに蓋をすることに抵抗はなかった。それは、姫の心の枷だった。あくましゅうどうしは一瞬だけであっても、確かにそれを外したのだ。
 睡魔が囁くようにハデスに言っている間に、あくましゅうどうしが姫に歩み寄った。
「姫は本当に嘘が下手だね。じゃあ、そういうことにしよう」
 あくましゅうどうしがゆっくりと姫の前に跪き、その汚れた靴を手で包んだ。
「な、何、するの。やめて」
「騎士に任命してもらうんだよ」
 あくましゅうどうしが身をかがめ、口を近付けたとき、姫はその手を振りほどいてしゃがみ込み、ぎゅっとあくましゅうどうしの首根っこにしがみついた。
「違うの。そんなことしてほしいんじゃない」
「でも、これが……君が考えた一緒にいられる方法なんだろう?」
「……だって私は……」
(俺は何を見せられているんだ……)
 ハデスが眩暈のする思いで睡魔を見遣ると、彼はまたうとうとし始めていた。よくこの状況で寝られるな、と思うと同時に叫び出したいような気持ちに、ハデスは睡魔の肩をがしっと掴んだ。

(この空間にこの重すぎるカップルと三人にされてたまるか……!)

 ハデスが睡魔を起こすと、睡魔は「わかった」と言った。何がわかったなのかと思いつつ見ていると、睡魔が抱き合う二人の肩を叩く。

「お前さんたちの選択肢は三つある。一つ目、このまま全てを捨てる。地位も、名誉も、立場も全て捨てるということだ。二つ目、レオの最初の作戦を成功させる。そして、騎士としてレオを連れて帰る。最後の三つ目、なかったことにする。ハデスは脱獄したお前さんを見つけなかったということにして、お互いを諦める。どうする。ここで決めよう」
「どうするって」
「心中とかもあるけどそれはさすがに寝覚めが悪い。相手をとるか、立場をとるか、それとも、選ばないかだ」

 さぁどうする、と睡魔が二人に迫る。
 姫の決断は?

作戦を続ける 全てを捨てる なかったことにする