Mymed

エトワールに焦がれて

 彼女の瞳は春の宵を詰め込んだようだ、と思う。ほのかに桜色を帯びたように見える日没の薄い紫色。一番星が煌めく夜空を見たら、きっと私は姫を想う。
 ――目さえ隠れてなければ、きみだってわかるよ。
 あの言葉のように、姫はかなりしっかりと目を見て話すタイプだ。最近の若者はそんなこと気にも留めない子だっているし、私だって黒歴史の時代にはそうできていたか怪しい。ウシミツ様に失礼なこともたくさんあったなとふと思い出すことがある、そんな中の一つかもしれない。
 姫の身長はかなり小さいので、立ち話のときは私を見上げるように立つ。私はいつも首が痛そうだなと屈んで話を聞く。そんな瞬間がけっこう好きだ。気持ちをいちいち噛み締めるような立場にないことはわかっているのだが。
 いい加減にしないと。本当に年甲斐もなくて嫌になる。だけど、彼女の魅力に抗える者なんてきっと魔王様くらいのものだろう。
 ……なんて、仕事中にふとそんなことを考えてしまうなんて、私もつくづく重症だ。いや、でもさっきおばけふろしきの死体の山を回収しようと姫の牢を訪ねて少し会話したときに、美しい姫の瞳に自分の真っ赤な顔がうっすらと映るほどの至近距離にいたのだから仕方ない。

「さて、仕事仕事」

 おばけふろしきの死体の山を見て気合いを入れ直したまさにその時、悪魔教会の大扉がバンと開いた。

「レオ君!」
「え? 姫?」

 本当についさっきこのおばけふろしきの山を回収してきたばかりだ。用があったならさっき言えばよかったのに。
 なんだい? と笑って尋ねると姫は小首を傾げながら尋ねてきた。

「さっきのおばけふろしきの蘇生は済んだ? 今日は早めにノルマを達成したいのに見つけられなくて」
「まだだよ」
「じゃあ、待とうかな」

 手にハサミを持っている。明確な宣言ではないものの、まぎれもなく殺害予告だ。
 キラキラとした瞳で見つめられてもさすがに黙認はできないな、と首を振る。

「教会を殺戮現場になんかさせないよ。絶対ダメ!!」
「でも、ノルマ……」
「そもそも殺害のノルマを掲げてるのがおかしいからね。彼らは姫が出ていくまで蘇生しないよ」
「!」
「はいはい、じゃあまたね」

 姫の背を軽く押すと、案外素直に教会から出ていった。
 最近は姫のこととなると判断を誤ることが多かったけれど、今日はきちんとできたと思う。
 ……少ししゅんとした顔がとっても心臓に悪かった。

「でも、これでいいんだ」

 今度お菓子を作ってあげよう。そうだ、何か安眠グッズを探そうかな。
 少し気を抜くとそんなことが浮かぶ。
 姫に厳しく接することができないことにも悩むのは確かだけれど、しょんぼりされる方がよっぽど辛い。

「さぁ、仕事しないと」

 自分に言い聞かせるように独り言ちて、おばけふろしきの死体の山に向き直る。今日も多いなぁ。
 主におばけふろしきの蘇生で午前が終わったとき、急遽出張することになった。ドアの前に出張の看板をかけながら、姫に何かお土産でも買おうかと考えていた。安眠グッズをあげれば、少しはおばけふろしきへの被害も減るかもしれないと考えてのことだ。
 出張先での仕事自体は簡単なものだったが、場所が少し遠く宿泊も必要だった。その分だけお土産を選ぶ時間が増える。時間をかけただけあって、よいお土産を選べたと思う。昼過ぎには魔王城に帰り、魔王様に報告書とお饅頭を渡して、さっそく姫を探すとすぐに歩いている彼女を見つけた。

「あ、姫! あのね」

 姫は振り返らずにぴたりと立ち止まった。いつもだったら、呼び止めたら私が歩み寄る間に振り返ってくれるのに。

「……何?」
「え、大したことじゃないんだけど……」
「じゃあ、後でね」
「……急いでたのかな」

 お土産の袋がカサリと音を立てる。心がささくれ立つような音だ。小さな違和感があるような。
 急いでいるなら後でもいいか。あとで姫が牢にいる時間に訪ねよう。ポセイドン君やきゅうけつき君にもお菓子を買っているし、先にそっちを渡そう。他の子にお菓子を配り、不在にしていた間の仕事を片付けていたらすぐに夜になってしまった。
 姫は牢でストレッチをしているところだった。

「やぁ、姫」
「……レオ君。出張だったんでしょ? お疲れ様」

 口元を綻ばせる姫だけど、何か違和感がある。

「えっと……、うん。お土産を買ってきたんだよ。安眠グッズだから、これを代わりに使えばおばけふろしきのノルマを少し減らせないかな?」
「ありがとう」

 にっこりと笑う姫。だけど、その視線の先に私はいない。私の目を見ていない。
 姫は、目を見て話すタイプで。
 姫の美しい瞳に、真っ赤な顔の私が映りこむほどで。
 私、何かしたか? 先日追い返したことを怒っている? お土産なんかでは許してくれないほど?

「……あ、じゃあ、それだけ……だから、おやすみ」
「あ、レオ君……!」

 逃げるように姫の牢を出る。胸に手を当ててしゃがみ込むと、心臓がバクバクと鳴っているのが耳を澄ませなくたって聞こえてくる。

「……き、嫌われ、た?」

 その結論は、すぐに出てしまった。
 望んではいけないと思っていたし、望んでもいないつもりだった。それなのに、思っていたよりずっとずっときつい。
 数分ほどはその姿勢でいたが、ようやく立ち上がった後、私はそのまま魔王様の元へ向かうことにした。歩いていないと崩れ落ちそうだ。
 魔王様の執務室に入ると、魔王様はまだ仕事を片付けている最中だった。

「魔王様。急で申し訳ないのですが、何日か有休をいただきたくて」
「いいぞ。出張先も遠かったし、きっと疲れたのだ。何日かってことは、旅行でもするのか?」
「まだ決めてないですけど」

 傷心旅行といえば温泉か海の見える街だろうか。姫のことを考えない時間を作って、ぼーっと過ごそう。

「その……私、姫に」

 嫌われたみたいだ、なんて魔王様に何と言えばいいのだろうか。
 それを伝えれば、きっと魔王様は姫に関する仕事を最低限まで減らしてくれるだろう。でもそれはあまりに情けないし、傷心旅行だとバレるのも恥ずかしい。気持ちを落ち着けてから辞表をもう一度出そうか考えてもいいかもしれない。
 逡巡していると、「あ、そうだ」と魔王様が顔を上げた。

「姫と言えば、休む前に寝違えを治してやってくれないか? 痛そうなのに頑なに認めようとしないが、何故なのだ?」
「え?」
「朝からひどい騒ぎだっただろう? あ、そうか、あくましゅうどうしが戻ってきたのはその後だから知らないのか」
「寝違え……。寝違え!?」
「たぶんリアクションを見るに寝違えじゃないかという話になったのだ」

 思わず額を押さえて目を閉じる。戻ってきたときからのことを思い返すと、振り返ることがなかったのも、目を合わせることがなかったのも、寝違えてたせい?
 嫌われたんじゃなくて、痛くて私の目を見なかったということ?
 かぁっと顔に血が上るのを感じる。

「……やっぱり休み、いらないです」
「え? いいんだぞ?」
「いいです。治療行ってきますね」
「……? あぁ、そうしてやってくれ」

 執務室を出てすぐのところで思わずしゃがみこむ。本日二度目だ。
 ひどい勘違いだ。勝手に勘違いして、勝手に逃げようとして。何度同じことを繰り返せば済むのか。
 本当に本当に、年甲斐もない。
 そう思いつつも、嫌われたわけではないという事実に口元は緩んでいた。

「姫、まだ起きてる?」
「レオ君……?」
「寝違えたんだって? 治療してあげる」
「!」

 状態異常を治す魔術をかけると、姫は小さな声でありがとうと言った。目を見て。
 思わず顔が綻んだのが鏡を見なくてもわかる。本当に、ただ寝違えただけだったようだ。

「どうして言わなかったの?」
「え?」
「寝違えたって教えてくれたらすぐに治したのに」
「……。寝違えたって言うってことは……寝相が悪いって言うようなものだし。昔ね、アなんとか君に笑われたの。寝違えるなんて、姫は相当寝相が悪いんですねって」
「無理な姿勢でなることが多いけど、寝相が悪いからと決まってるわけではないよ。それに」

 それに、姫はいろんなところで寝ているから寝相が悪いことはほとんどの魔物が知っているし。
 まぁ、それは恥ずかしがるだろうから言わなくていいか。

「それに、何?」
「どんなに姫が恥ずかしいと思ったとしても、姫が痛い方が私は嫌だよ。私は笑わないって約束するから、ちゃんと教えてね」

 姫の瞳に星がきらめく。なんて綺麗なんだろう。

「ありがと……」
「それじゃあ、おやすみ」

 牢から出ていこうとすると、姫に呼び止められた。振り返ると月明かりを背負った姫がいる。

「昨日はごめんね。蘇生したおばけふろしきをすぐ倒されるのなんてレオ君も嫌だよね。配慮が足りなかったと思う」
「気にしてくれてたんだね」
「本当は昨日のうちに謝りたかったんだけど、出張だったから」
「いいよ。今後も気を付けてくれたらそれで」
「気を付ける。……おやすみ」

 今度こそ牢を出て、部屋に戻る廊下を辿る。部屋が見える位置からは、つい走り出していた。バタバタと部屋に入り、ベッドにダイブして枕に顔をうずめジタバタと足をバタつかせる。一連の動作が本当に年甲斐もなくて自分でも笑ってしまった。
 姫はこうして私と丁寧に向き合ってくれる。なのに、なんで突然嫌われたなんて思えたのだろう。何か理由があるってすぐに気付けたらよかったのに。

「……はぁ」

 何があっても、やっぱり好きだと思い知る。
 魔王様の思いが実現し、姫が帰ることになっても思い出だけで幸せに過ごせるように、今はただ幸せな記憶だけ集めていきたい。そう願うことくらいは、許されるだろうか。