Mymed

優等生アイドルの優等生ファン

 アイドルってもっときらびやかで華やかなものだと思っていた。彼女はよく転ぶらしく、いつも満身創痍だ。今回は足に湿布を貼ると、さっきゅんはあははと笑った。
 握手会でほとんど誰も並んでいなかった日も、100体入るライブハウスがガラガラだったときも、彼女は笑っていた。

「私だけどんくさくていつもすみません」
「君は十分頑張ってるでしょ」
「えへへ、のろいさんって本当に優しいですね」

 姫がヒールを履いていることで、グループの身長の二極化を防いでいるらしい。そうすることで一番小柄になるさっきゅんは、一番パワフルに踊らないと目立たなくなってしまう。だから彼女は一番パフォーマンスを頑張っているし、一番応援したくなる。
 ――というのが、さっきゅんファンの常識であるらしい。
 普段を知っている俺としては、姫もオジョーさんも手を抜いているようには見えない。むしろ涼しい顔をして踊るためにどれほどのレッスンをしているのだろうと思うこともある。けれど、さっきゅんが努力家なのは事実だ。
 グループ全体のファンが増えるにしたがって、さっきゅんのファンも少しずつ増えていった。さっきゅんのメンバーカラーは黄色。ライブで振られているペンライトの黄色が増えてきたのは気のせいではない。

「無理しない方がいいよ」

 なんで、俺はいつもこんな言い方になるんだろう。
 さっきゅんは笑って「次のライブはオジョーが初のセンターなんです。のろいさんも見に来てね」と言って練習に戻っていった。
 そこは私を応援してねって言うところだろう。
 お人好しにもほどがあるよ、さっきゅん。
 
 今日のライブもなんだかんだ言って当日券を買えばいいだろうと高を括っていたが、今や当日券は入手困難になっているらしい。前々日にたまたま話した姉さんに言われて知った。あっさり諦めようとした俺だったが、「でも大丈夫」と胸を張る姉さんが布教用に買っていたチケットでライブに行くこととなった。聞けば、金は出すからとりあえず聞いてくれと言って知り合いをライブに誘うということを度々しているらしい。そういう金の使い途については後々話し合うこととして、とにかく俺は姉さんの連れとしてライブを見に行くこととなった。

「のろくんは運がいいねぇ、今回は先行入場できるチケットなんだ。前の方に行けるよ」
「え、いや、俺は後ろで見るからいいよ。混むのも嫌だし、後から入るからチケットをちょうだい」
「一緒に入らないといけないシステムだからだめ。どうせ後ろで隠れててもステージからのろくんが来てるのは見えるんだよ? 前の方が絶対楽しいよ」

 いつになくぐいぐいくる姉さんにおされ、ライブハウスの入り口の前に並ぶ。ぼーっと待つのかと思いきや、姉さんにペンライトを渡された。それはスイッチを入れてみると、黄色に光った。ばっと顔を上げると、姉さんはニコニコ笑う。

「これ……」
「黄色に設定しといたよ。のろくんってさきゅ担だったよね?」
「さきゅたん? そんな気持ち悪い呼び方してないよ」
「違う違う、さっきゅんさんのファンってこと!」
「いや……別に」

 俺はわりと「来てねと言われたから」という理由で足を運んでいる方だけど、少し意地になっていたところもあって手ぶらで見に行くことが多かった。そりゃ、もっと黄色が増えればいいとは思っていた。が、俺は本人に知られるのが恥ずかしかったのだ。

「またまたぁ、握手会でもさっきゅんさんの列だし、応援してるよって言ってるんでしょ?」
「言ってない……」
「それで、こっちのボタン押したら色が変わるからね。今日はオジョーさんのセンター曲があるはずだから、全員赤にする流れもあるかも」
「古参アピールうざ」

 姉さんがぱちっと瞬きした。
 声のした方を見ると、そそくさと去る背中があった。追いかけようとすると、姉さんが俺の服を引っ張った。

「いいの。……のろくんが一緒に来てくれてはしゃぎすぎちゃったかな」
「なんで姉さんがあんなこと言われて我慢しなきゃいけないわけ?」
「ここでトラブル起こしたらライブがだめになっちゃうよ」

 それでもおかしいと思うが、ちょうど開場したこともあり姉さんに促されて会場へ入ることとなった。本日は500体まで入るライブハウスだ。順調にステップアップしている。ステージの段差も階段くらいから、膝くらいの高さに変わっている。姉さんに引っ張られ最前列のド真ん中に陣取る。

「よし、今日はヤギさんに勝った!」
「なんか、怪しいフードが多いね」

 あたりを見渡すと、顔がわかりにくいように変装のような格好をしている魔物が多数いる。ヤギさんは、いい加減隠すのをやめたらいいのにと思うし、隣に立っているフードの男はどう見てもサンドドラゴンさんだ。知り合いが多い。
 しかし、見知らぬ魔物も確実に増えていた。ファンが増えることも良し悪しがあるらしい。いいファンばかりかというとそうでもないように思う。今日はライブ前のざわざわした中に特に不快な雑音が多いように感じた。
 以前頼まれて作ったジングルが流れてきて、さっきゅん達が袖から出てくると、歓声が沸き起こった。それからはあっという間に過ぎていった。
 何度かのライブの経験が活きているというと上から目線の評価になるけど、全員が更に魅力的なパフォーマンスをするようになった気がする。オジョーさんがセンターで歌う歌では、姉さんが言っていた通り会場が真っ赤に染まった。パワフルなダンスチューンだ。サンドドラゴンさんが感動して涙目になっていることばかり気になった。
 途中、さっきゅんと目が合うと手を振ってくれたので、なんとなくペンライトを振り返した。後ろから「さっきゅんと目が合った」なんて声が聞こえてきて、当たり前のように自分に手を振ったのだと思ったことに顔が火照った。
 姉さんのように飛び跳ねたり大きな声を出したりするようなことはできないが、ペンライトを小さく振ることくらいはできたと思う。
 ライブ後はCDを手売りしていて、その時にアルラウネさんからこっそり「楽屋で待ってて」と言われ、姉さんと楽屋で座り込んだ。

「立ちっぱなしで疲れた」
「でも、のろくんも楽しんでたみたいでよかったよ」

 グッズ販売が終わった面々がやってくるまでは数十分あった。待っててというので何かと思えば、撤収の手伝いをさせられた。魔王城勤務で顔を隠していないファンは大体駆り出されている。まぁ、人質がアイドルをしているなんて知られたらいけないし、持って帰る荷物が少し増えるくらいは許容範囲だ。
 総じていいライブだったと思う。
 
 ライブの翌日、ネオ=アルラウネさんに呼ばれてアイドルのレッスン室として使われている部屋に行くと、姉さんやかえんどくりゅうさんもいて、シンと静まり返っていた。

「……誰か怪我したとかじゃないの?」
「のろくん、知らないの? 今大変なんだよ」
「え?」

 ぐるりと見渡すと、いつも笑顔のさっきゅんが泣きそうな顔で俯いていた。
 姉さんによると、SNSでさっきゅんが炎上しているのだそうだ。
 見てみると、《鳥獣族の男に手を振っていた。プロデューサーを通してその男を楽屋に誘ってた。その男は恋人なのではないか》という書き込みが発端となっているらしい。その書き込みへの賛同が少数、現地にいた魔物の否定が少数。面白がってさっきゅんを叩くものが多数。

「……え、これもしかして俺?」

 俺がぽろっとこぼした瞬間、さっきゅんが顔を両手で覆った。

「ごめんなさい」

 その声は少しだけ上ずり、震えている。

「いやでも、事実無根じゃん」

 俺は、応援したかっただけなのに。
 いや、それすらもきちんとできていないのに。

「のろいのツラが半端にいいからなぁ。嫉妬されてんだろ」
「半端にいいって誉め言葉じゃないですよね」

 俺がやっと事態の把握をしたころに、はりとげマジロが来たのでネオ=アルラウネさんが口を開いた。

「揃いましたわね。お呼び立てして申し訳ございませんわ、みなさま。昨日の撤収作業、大変助かりました。本日集まっていただいたのは他でもないその撤収のことでして。作業風景を撮影していたものを、公開してもよろしいでしょうか? お顔が出るので確認をしたくて」
「えっ、そんな話?」

 姉さんの声にネオ=アルラウネさんが頷いた。

「えぇ、今回の炎上はこの動画を一本アップするだけで済む話ですわ。ただ、関係者として紹介してしまう以上、今後最前列は難しいかもしれませんわ」
「でもそれは昨日のも同じじゃないですか? 関係者を先行入場させたのかっていうことになるんじゃ」
「その程度の延焼なら恋人よりマシですし、こちらが出すことは全て事実です。先方には法的措置も視野に入れることをお伝えしておきますわ」
「それで、誤解が解けるなら、俺は全然構いません」

 それで、さっきゅんの笑顔が戻るなら。一応動画を見せてもらうと、ネオ=アルラウネさんの「突然手伝わせて申し訳ありませんわ」という言葉に「誰かが怪我をして楽屋に呼ばれたのかと思いましたよ」なんて答えている俺が映っていて、予知でもしていたのかというくらい完璧な動画だった。
 夕方、さっきゅんが再び捻挫したと言ってやってきた。椅子に座るさっきゅんの前に跪く形で湿布を貼りつつ、短くため息を吐くと彼女の足が少し揺れた。

「少しは練習休まないと、捻挫が癖になっちゃうよ」
「のろいさん、本当にごめんなさい」
「申し訳ないと思うなら、もう少し体を休めることもしないと」
「……その、恋人だって勘違いされたの、嫌でしたよね」

 そっち? と言いかけて跪いたまま見上げると、さっきゅんは泣きそうな顔で俺を見ていた。

「その勘違いをされて困るのは君の方だろ? 言いがかりなんだから、アルラウネさんに任せておけば大丈夫だよ」
「……はい」

 その瞬間、彼女はぽろっと涙をこぼした。手を伸ばして拭おうとすると、自分の指が鋭いことに戸惑う。指を曲げ、その背で涙をすくいあげると大粒の涙が俺の指を伝った。

「君が泣くことなんてないよ。俺は……俺は、ちゃんと応援するよ」
「えへへ、なんかほっとしたのかも!」

 やっぱり彼女には笑顔の方が似合う。
 立ち上がり、今度は俺が見下ろす形で柔らかい頬を片手で包むと、彼女は少し目を伏せた。少し体をかがめた時、ドアがばんっと開いた。

「鳥ボーイ~、サキュンが来てない?」
「いっ!? いるよ!?」

 俺は今何を。何をしようとした!?
 我に返ってみると、なかなか恥ずかしいことをしようとしていたと顔が火照る。

「捻挫だから、支えてあげて」
「オッケー。……顔、赤いけど?」
「……赤くないよ」

 この日の夜、俺たちが撤収作業をしている様子が動画で公開され、炎上騒ぎは終わった。かに思われた。
 翌日の食堂で会ったかえんどくりゅうさんが「なんかまた大変なんだってよ」と言うと、あくましゅうどうし様が「さすがにこれはさっきゅんが可哀想だね」と肩を竦めた。聞けば、潮が引くように落ち着いた炎上が再び過熱しているらしい。

「えっ、また炎上ですか?」
「おう、なんというか、思ってもみないバックドラフトだな」

 バックドラフトって、火事の用語だったよな。炎の魔物らしい例えだ。かえんどくりゅうさんは「つっても俺、炎上とか昨日初めて聞いたんだけどな」とカラカラと笑うのでそんなに大したことはないのかと思ったが、深刻度は増したようだった。
 オジョーさんのファンが、オジョーさんの初のセンターがさっきゅんの炎上で話題性が薄れたことを逆恨みしてさっきゅんを叩き始めたらしい。

「一応名誉のために言っておくが、サンドドラゴンは同じお嬢ファンを宥めてる側だ」
「いえ、さすがにそこは心配してないです」
「俺は一瞬疑ったぜ? あいつも過激なオタクになってしまったからなぁ。なぁ、あくましゅうどうしさんよぉ、アンタならサンドラの気持ちわかるだろ?」
「さぁ、私はアルラウネさんのアイドル事業には詳しくないから」

 炎上のことを知っているわりにさらっと嘘を吐く上司を無視してかえんどくりゅうさんに対応を尋ねてみる。

「これはどうやって抑えるんでしょうか? 何かアルラウネさんから聞いてますか?」
「いや、打つ手がなさそうだな。真面目に回数を重ねていくしかないってよ」
「そうですか……」

 せっかく笑顔を取り戻したというのに。

「あの子が泣いてないといいけど」

 いつからか、俺の心配はそれだけだ。
 ただ、彼女が笑顔でいられますように。俺はそう願うことしかできない、ただのファンだから。

「あ、姫だ」
「姫、今日は――……」
「姫っ、あのっ、さっきゅんは大丈夫そう?」
「……『自分で聞けばぁ?』」
「うっ、それは」

 姫は今まで見た中で一番いたずらっぽく見えた。

「サキュンもそっちの方が嬉しいんじゃない。レオ君、今日はどうしてもおばけふろしきのシーツが9枚ほしくて。キリよく10枚でもいいな」
「え! だめだよ! 100歩譲って5枚までっていう話だったでしょ」
「今日はたくさん要るの」

 姫はもう俺に答える気はないようで、あくましゅうどうし様におばけふろしきの枚数を交渉している。
 ――自分で聞けばぁ?
 似たようなことを姫に言ったことはある。あるけど、こんな形で自分に刺さるとは思わなかった。我ながらとんだブーメランを投げたものだ。

「さて、じゃあ俺はお嬢のところに行こうかな。のろいはどうする」
「……仕事に戻ります」
「……え!? そうじゃないでしょ!? せっかく火ダルマ君が背中押してくれてるのに。やり直し。鳥ボーイはどうするの!?」
「……。さっきゅんの様子を……見に……行きます」
「よくできましたぁ」

 全員に背中を押され、さっきゅんがいつもいるあたりに行ってみると、ぼんやりとマグマを見つめるさっきゅんがいた。慌てて駆け寄り、さっきゅんの腕を掴んだ。

「ダメだよ!!」
「え?」
「なんか、悪くないことで悪く言われて辛いかもしれないけど! 君は悪くないんだし!」

 俺の顔をじろじろ見ていたさっきゅんだったが、やがてぷっと噴き出した。そして、またマグマの方を見る。髪に隠れてしまって、その顔は見えない。らしくないといえば、らしくない。

「自殺なんてしませんよ」
「あ、そう。それなら、いいけど」
「のろいさんがペンラ振ってくれたのって初めてだったでしょ? だから、本当はファンのみんなに手を振らなきゃいけないのに、あの時はのろいさんだけに向けちゃったの。だから、私が悪いんですよ。もっともっとオジョーの話題でいい方ににぎわうはずだったのも本当だし。元々、姫に無理矢理やらされたアイドルだったし、私、人気ないし。辞めちゃおうと思って……。……未練なんて……」
「……」
「……うがぁ……。せ、センター、立ちたかった」

 掴んだままだった腕をぐいっと引っ張ると、さっきゅんは涙をぼろぼろとこぼしていた。それでも、無理矢理に笑顔を作ろうとする。

「なんか、止まらなくて」
「……もういいよ。辞めていい。俺は君に泣いてほしくないんだ」
「のろいさん……」

 さっきゅんが俺の手を優しく振りほどき握り返す。握手のように。

「でももし辞めないなら。絶対に、センターに立たせる」
「……え?」
「絶対約束する」
「え? えぇ? 無理ですよ」
「君が無理だと思ってるうちは無理だ」
「本気ですか?」

 やっと彼女がふふっと笑ったので、そこでようやく手を離した。胸ポケットに入れていたハンカチを渡すと、さっきゅんは涙と洟を拭いた。

「私って単純」
「俺はアイドルなんて興味ないんだ。そんな男をファンにする力が君にはあるんだよ。君のファンを信じてよ」

 さっきゅんはしばらく沈黙した後、満点の笑顔を見せた。

「じゃあ、ファンサです! うがー!」
「ファンサって何?」
「ファンサービスですよぅ。本当に興味ないんですね。あ、ハンカチありがとうございます」
「鼻水拭いてたよね? 洗って返してくれる?」

 その後、さっきゅんは吹っ切れたように、今まで通り楽しそうにアイドルをやっている。
 それから、不本意ながら、俺はファンの間で有名になってしまった。マグマの前のやりとりをアルラウネさんにばっちり撮られて、公開されていた。もう恨み言すらも出て来ない。だが、さっきゅんの涙の効果は絶大で、炎上はほとんど下火になったといえる。自分が面白コンテンツとして消費されたことは不服でしかないが。

「あ、のろい先輩だ! 動画見ました! あのタイミングであんな可愛すぎるさっきゅんに手を出さないなんてファンの鑑っすね」
「……どうも」
「いやぁ、俺にはアレは言えないっす、俺が守るとか言っちゃいそうだな」
「あんなおいしいシチュエーション、落とせそうって勘違いしそうだもんなぁ」
「……はぁ。落とせそうも何も、あの子は元々同僚だし対象外だから……」
「でもファンなんすね」
「激アツですね!!」

 その後、オジョーさんの一喝でまだ少しだけ残っていた表立ってさっきゅんを叩くような書き込みは消えた。だが、これでもおそらく完全に消えたわけではない。
 アイドルとしては優等生でしかなかった彼女が、涙を乗り越えて再びファンを獲得し、そして遠くなっていく。嬉しさと、寂しさが混じり合うこの気持ちは、なんなのだろう。
 彼女がセンターに立つときには、わかるだろうか。