Mymed

最前列オタの垢BAN

『絶対に、センターに立たせる』

 その映像を運営が公開したとき、堂々と応援していると言える彼が少しだけ羨ましかったのはきっと気のせいではない。さっきゅんとさきゅ担の彼がキラキラして見えるのは、アイドルとファンという正しい位置関係で向き合っているからだ。
 私だってお嬢を応援しているし、お嬢にも“詳しくないけれど”応援していますと言っている。
 お嬢がアイドルに誘われた当初猛反対したのに熱烈なファンの姿を見せるのは気恥ずかしい。そして私はこっそりライブ参戦するしかないという結論を出した。毎回最前列だが、お嬢は気付かない。深くフードをかぶり、気付かれないようにして――でも、一番近くで見ていたいんですよねぇ。悩ましいものです。
 ――と思っていました。通信玉に表示されたこの冷たい一文を見るまでは。

《チケットをご用意することができませんでした》

 抑えたくても、砂が溢れ落ちる。
 数回前のライブからハコが広くなり、ほぼ同時に全席指定になった。それでもファンクラブ会員は優先的にチケットを取れるシステムだったので、ファンクラブ会員ならば確実に参戦できていた。中でも、私は毎回最前列の席を確保するために複数アカウントでチケットに応募していたので、複数当たることもあった。それがどうだ。今回は最前列どころか、一枚も取れなかった。
 今回は、メンバーそれぞれのソロダンスパートがあるとコミュニティで噂が流れていた。今まではそんな演出はなかったので、つまりは新曲発表があるということでほぼ間違いない。一番に聞きたい、一番近くで――……なのに、どういうことでしょう。

「どうしたのだ、サンドドラゴン。何か問題でもあったか?」
「……チケットが……、あ、いや、なんでも」

 ふと我に返ると、魔王様が訝しげにこちらを見ていた。
 お嬢がいないところで結果を見ようと考えて十傑会議の後に開いたのがいけなかった。まさかチケットが取れないとは考えもしなかった故の迂闊な行為でした。
 幸い、会議室に残っていたのは魔王様をはじめ、雑談していたごく少数だった。
 思わず漏らしてしまったチケットという言葉にピンときたのか、かえんどくりゅうさんがさっと私と魔王様の間に立った。そうだ、魔王様は姫がアイドル活動をしていることは知っていてもお嬢が加入してからのことは隠しているはずだ。そう考えると、本当に迂闊だった。それに会議室を砂まみれにしたのは本当に申し訳ないです。

「すまねぇ、魔王様。最近クーロン島に帰るのにかかる料金が馬鹿高くなっちまって、こいつの砂も出るってもんなんだよ。なぁ、汽車のチケットだろ?」
「そうか、お前たちは勇者に魔力を制限されて以来飛べないからさぞ大変だろう。勇者戦の手当は足りただろうか」
「あぁ。問題ねぇ。値上がりも最近の話だし」
「問題ないならいいのだが……」
「すみません、砂、片付けます」
「頼むぞ」

 魔王様が出ていくと、かえんどくりゅうさんが振り返った。
 足で適当にざっと砂を寄せるあたり、豪快な性格が出ていますね。私はほうきを持ってきてかき集めるとしますか。
 しばらく黙って砂を集めていたかえんどくりゅうさんが突然顔を上げた。

「で? チケットってアイドルのか?」
「……あー……、はい」
「競争率が上がってるんだってな。アルラウネが言ってたぜ。転売するような奴らが複数で応募するんだと」
「え」

 思いもよらない言葉に、冷や汗とともに大量の砂が零れ落ちる。かき集めた砂がみるみるうちに山になり、驚いた拍子に手放したほうきはすぐさま見えなくなった。

「あ、そこ片付けたばっかなのに怒んなって! ほんと迷惑な奴らだよな。でも対策してるらしいから。チケットならお嬢にもらえばいい」
「……違うんです……。私はただ、一番近くで応援したくて……、転売なんて誓ってしてない……」
「はぁ?」

 かえんどくりゅうさんに事情を話すと、かなり引いた様子を見せながらも一応状況は理解してくれたようだった。合いの手が「え」とか「意味わからん」とかなのは、ごもっともとしか言いようがないです。気持ち悪いと言われなかっただけマシなのでしょう。

「……とりあえず、ネオ=アルラウネに謝れ」
「わ、私は善良なファンとしてただ最前列を狙っていただけで、転売なんて!」
「いや、チケット購入できないって相当悪質だと判断されたからだろ」
「BANされたってことですか!?」

 言うほど、そこまで悪質ではないのではないか。
 おろおろとかえんどくりゅうさんを見ると、前髪の隙間から見える眉間のしわが見たことのない深さで刻まれている。ヤバいやつですね、と思った次の瞬間には胸倉を掴まれていた。

「おい、筋は通せ。お前がどう思おうがカタギの奴に迷惑かけたのは事実だろうが」

 カタギって。私たちもカタギですが。とか言ったら火に油を注ぐことは間違いない。かえんどくりゅうさんにお嬢はもちろん、姫にもバレないようにと強く言い含められ、私は会議室の砂を片付けた後に部屋に戻らずそのままネオ=アルラウネさんを探した。
 ネオ=アルラウネさんに謝って、アカウントを絞る。運が良ければチケットも融通してもらえるかもしれない。慌てて探していると、彼女はすぐに見つかった。

「あのっ、ネオ=ア――……」
「あっ、セクシー」

 ほぼ同時に、ネオ=アルラウネさんを挟んだ向こうから姫が声をかけていた。謎のトライアングルができてしまい、ネオ=アルラウネさんも私を姫を交互に見ている。おそらく、普段からよく話すのは姫だが、私は末席とはいえ十傑なのでどちらを優先すべきか悩んでいるのだろう。私の方が仕事の付き合いなのだからこちらを優先してほしいものですね。……仕事の話ではないですけど。

「砂風呂くん、何?」
「えっ」

 聞いてきたのは、ネオ=アルラウネさんではなく姫だった。ネオ=アルラウネさんも首を傾げている。

「あ、いえ、私はネオ=アルラウネさんに用があって……」
「どうしたの? 君がセクシーに用なんて珍しいね」
「いえ、内々の話なので、後にします」
「私は後でいいよ。気にしないからどうぞ」
「そういうことではないんですよ……」
「姫、サンドドラゴンさんは仕事の話かと思いますので――……」
「あ、大丈夫です! 次の十傑会議の時でいい話なので」

 経験上、ここで姫を追い払っても再び来る可能性は高い。そう結論付けた私は身を引くことにした。……次回の会議がライブより後だということをすっかり忘れて。
 部屋までの道のりは、歩いても歩いても目的地に辿り着かない砂漠のようだった。お嬢に会うのも、今は少しだけ気が進まない。

「へぇ、ライブ……か」
「えぇ。よかったらどうぞ」

 部屋に戻ろうか、食堂かどこかに行こうか迷っている最中に聞こえた単語に、思わずビタンと壁にはりつき様子をうかがう。
 今や立派なさきゅ担トップオタ・のろいのおんがくかさんと、さっきゅんのお兄さんですね。あのひと、砦から戻って以来何をしているのか謎です。

「……妹さん、あなたに来てほしがってたんで」

 そう言ってチケットを押し付けるようにいっきゅんに手渡している。
 覗いていた顔を引っ込め立ち去ろうとしたが、何故か立ち去ることができずに壁に寄りかかる。
 片や推しの一番近くでなんて気持ち悪い衝動で迷惑をかけるオタク、片や推しのためにせっかく当たったチケットを譲るオタク……。いや、彼が一枚しかとってないとは限らない。BANされない程度に複数アカウントを駆使している可能性だってあるのだ。無駄に落ち込む必要はない。

「これは君が買った、君のものなんだろう?」
「えぇ。でもオレはさっきゅんが頑張ってるのは、もう知ってるから」

 思わず天井を仰ぎ、眼鏡を外して眉間を揉んでいた。
 できるわけないだろう、そんなこと。
 ダンスのソロがあることを知らないのでしょうか。コミュニティに属しているわけではなさそうですし。センターになったことのないさっきゅんがステージの背後を飾る巨大スクリーンにこれまでで一番長く映し出されることは間違いないのですよ。

「それに、たぶんうちの姉がオレの分までとってますよ」

 そんな不確かな予想で、それを渡せるものなのか。
 私はネオ=アルラウネさんに謝ってあわよくばチケットをもらおうなんて考えていたのに。
 思わずため息がこぼれていた。今回のライブは、行ってはいけない気がした。
 私は再び、ネオ=アルラウネさんを探すことにした。部屋に突撃するような真似は避けたいので、近くにいればいいのですが……。そう思っていたところ、彼女はわりとすぐに見つかった。

「ネオ=アルラウネさん!」
「あら、やはり重要な用事でしたのね。顔色があまりよろしくないようですが……」

 ネオ=アルラウネさんは不審なものを見る目というよりは、心配をしているような目で私を見た。その優しさで心がシクシクと痛みます。

「アイドル事業の……、なんというか、その……、チケットの件で」
「あら、いかに十傑といえど融通はできませんわよ。それに――……」
「いえ、謝りにきたんです。ご迷惑をかけたので」
「え?」
「……ファンクラブの私のアカウントを停止されたみたいで……」
「え、えぇ……? それは失礼いたしました」
「い、いえっ、私が、複数登録していたのが悪くて……。ただチケットを絶対に取りたい一心だったのでそんなにご迷惑をかけている自覚もなくて……、今後は参戦も自粛しますしご迷惑はおかけしませんので……。本当に、すみませんでした」
「……あらぁ」

 我ながら歯切れが悪くて不格好だ。
 頭を下げているのでアルラウネさんの顔は見えないが、言葉も出ないといったところだろうか。できればアカウントの復活もお願いしたいところだったが、それすらも見通しが甘かったのかもしれない。きっと足を洗うべき時がきたのだ、と思う。

「……すみません、一言謝りたくて。お時間をくださってありがとうございました」
「え、えぇ」

 謝ることすら、自己満足だったのかもしれない。
 心の中に澱がたまっていく。素直に応援できず、応援もまっすぐにはできず……。

「……一体どんな顔でお嬢に会えばいいんですかね」

 小さく溜め息をつきながら部屋に入ろうとすると、中から話し声がした。姫が来ているのでしょうか。本当に自由な人質ですね。

「――渡すの?」
「じゃ、じゃが、今更――……」
「あ、砂風呂くぅん」
「さ、サンドラ。奇遇じゃな」
「奇遇って……、私の部屋ですよ」

 私に気付いたお嬢は、さっと何かを隠したように見えた。手のひらサイズの、例えば、ライブのチケットほどのサイズのものだ。
 あぁ、なるほど。
 魔王様を誘いたいと姫に相談していた――、といったところでしょうか。

「……すみませんが、今日はもう休みます」
「どうした、体調が悪いのか?」
「そんなところです」

 ただただ疲れたというのもある。
 これで魔王様に会いに行っても、気付きませんよ。そういう意思表示でもある。

「そうか、看病はワシに任せるのじゃ」
「え、いえ、いいですよ。寝ていれば大丈夫ですから」
「しかし」

 きっと普段ならば喜んでしまう申し出なのに。私はこの時、わざと大げさにため息をつきました。

「放っておいてくれませんか」
「……わかった。うるさくして悪い。栖夜ももう戻った方がいいのじゃ」
「ウン」

 姫と、おそらくお嬢が部屋を出ていく足音を背中で聞きながら、考えないようにと思っても自然と楽しそうにアイドル活動をしているお嬢のことが思い浮かんでくる。
 素直に応援したかった。できることなら、そうしたかった。

「……お嬢」
「なんじゃ、やっぱり看病が必要か?」
「!」

 お嬢がベッドにのぼってきて、ずいっと寄ってくる。私の額に手を当てて自分と比べている。何もやましいことはないのに、今、この瞬間を誰かに見られたらダメな気がします……!

「熱はないようじゃが、顔が赤いのう」
「だ、だめですよ。異性のベッドに――……」
「言ってる場合か。ほら、横になるのじゃ。放っておけと言われて放っておける性格じゃないのはサンドラが一番よく知ってるじゃろ」
「私が、一番……」

 お嬢がじっと私の目をのぞきこむ。こんな距離、特に珍しくもないのに今日は特に緊張する。妙に意識してしまっているせいだ。
 幼いころから変わらないはずなのに、どうしてこんなにも珊瑚色の瞳は輝いていて美しいのか。見るたびにはっと息を吞んでしまう。

「……サンドラ」
「はい?」
「ワシがアイドルをやることは、まだ反対か?」
「い、いえ、別に……。前も言ったと思いますが、今は応援してますよ」

 口では応援していると言いながら、最初は反対したままだった。誰にもその可愛さを知られたくなかった。
 だから、どうせ止められないのなら、近付いてくる魔物たちとの間にそびえたつ壁になりたかった。ライブで最前列をとったって、ただファンに混ざるだけのことなのに。
 そしていつからか、目的がすり替わっていた。一番近くで、お嬢の輝く姿を見たいだけの、ただのファンだった。
 今は応援しているというのは、嘘ではないのだ。

「でもライブには来たことないじゃろ?」
「ま、まぁ」

 こちらは嘘です。むしろ欠席したことがないです。
 ここにきて誤魔化そうとする自分が情けない。

「無理にとは言わんが、来てくれんか。関係者席のチケットを融通してもらったんじゃ」
「……え?」

 先ほど隠したように見えたソレは、確かにライブチケットだった。

「これ、魔王様にではなく……? 私に……? ですか?」
「なんでタソガレが出てくるんじゃ」
「……いいんですか」
「一番近くで練習も見てくれたんじゃ。ライブもサンドラに見てほしい。といっても、関係者席は少し遠いのじゃが」
「どこだって、一番に応援しますよ」

 一番近くじゃなくたって、一番応援することはできる。
 どうしてそんな簡単なことに気付けなかったのでしょうか。

「次のライブ衣装とか聞いてもいいですか。ダンスのソロがあるという噂の真偽も聞きたいですし。あと、ライブに参加したら指差しウインクもらえますか」
「サンドラ、おぬしえらい早口じゃのう。後半は聞き取れなかったが、一番に応援してくれるというのは嬉しいのじゃ」

 閉じ込めなければ遠くへ飛んでいってしまう飛龍は、きっと籠に閉じ込めたって飛んでいく。眩しい。綺麗。美しい。どんな形容も足りないが、これだけは確かに言えるということがある。
 私の推しはお嬢です。