あの子は淫魔
アイドル時空とは別です。
アニメを見る直前は姫によるエリアの破壊の衝撃であまり気にならなかったが、翌朝になって(そういえばさっきゅんと同じテーブルだったな)と思った。食堂で寝癖がついたままのさっきゅんを見たからだ。
さっきゅんのことは姉さんの話によく出てくる上によく見かけるとは思っていたが、実際に姫抜きで姉さんと仲が良さそうな姿を見るのは初めてだった。
「おはよう。寝癖ついてるよ」
「え、あっ、おはよう」
さっきゅんは改めて、姫によく似ている。
姉さんは確か、姫と彼女が仲良くなってすぐの頃は「利用しているに違いない」などと言って珍しく批判的だった。だけどすぐに認識を改めたらしい。姉さんが一方的に嫉妬して誤解していたのだと思う。どう見たって利用しているのは姫の方だし。
俺としては、姉さんにはこのまま人質の人間である姫よりも彼女と仲良くしてほしいものだと思わなくもない。
たまにしか話す機会はないが、すごく良い子だ。
「あ、のろいさん」
「なに?」
「今日のパジャマパーティーもハーピィさんの部屋でやるのでうるさかったらごめんね」
「気にしなくていいよ」
良い子だ。いや、良い子過ぎない? ここまで良い子だと何か裏があるんじゃないかとすら思う。
そそくさとその場を離れて、仕事のことを考えながら朝食をとる。今日は姫に依頼をされていたスイーツの納品日だが、パジャマパーティー用だったのだろうか。それなら午後からゆっくり作っても間に合うだろう。今日はそれまでに他の仕事を優先した方が良さそうだ。
数日前から取り掛かっている新しい曲の制作をしながら、時折ふっと朝見た寝癖を思い出して苦笑する。
「モテないわけだ」
曲作りは途中で詰まりながらもなんとか予定していた時間内に編曲まで終わった。
魔王様のところにデモテープを持って行き、そのテープを聞いてもらっている間に姫の牢に行くことにした。本日のスイーツについて、単に好物を作ればいいのかの確認だ。
姫はでびあくまのブラッシングをしているところだった。いつもこうならいいのに。
「今日依頼してるスイーツ? なんでもいいヨー」
「じゃあ、各自の好きなものでいいね。今日のパジャマパーティー用のスイーツなんでしょ?」
「あ……、ウン、パジャマパーティー用。でもパジャマパーティーすることは男の子にはナイショなの……」
もう既に言ったというのに姫が両手で口元を押さえる。姫は本当に隠し事できないな。
「俺は今、業者として話してるから守秘義務は守るよ。姫、姉さん、さっきゅんの他に誰か来るの?」
「ううん、3人だよぉ」
「オッケー、じゃあ、姫はプリンで、姉さんがミルクレープで……、あとはさっきゅんの好きなものだね。それは本人に聞くからいいよ」
「うん」
姫の牢から魔王様の元へと戻る途中、ちょうど良いタイミングでさっきゅんがいた。姫がいつも持っている大きなはさみを持っている。何してるんだろう。先に用事を済ませて、帰りに話しかけよう。
「魔王様、どうでした?」
デモテープを聞いた魔王様は困惑した表情で俺を出迎えた。いつもは目を輝かせてまず褒める言葉をかけてくれるので、今回は相当ダメだったらしい。先回りして反省点を探そうとするが、そこまで悪い出来だったとは思えない。
「我輩、激煽りムービー第2弾のBGMを頼んだと思うのだが」
「はい」
「これはその……バラード調で盛り上がりに欠けるというか」
デモテープに書いてあるタイトルは、《寝癖》だ。さっき、制作の最終工程で行き詰まったため気晴らしとして作ったもの。全然違う歌を聞かせてしまったらしく、さっと血の気が引く。
「うわあごめん魔王様、違うの渡したみたい。すぐにちゃんとしたやつ持ってくる――……」
「ま、待て! そこに座れ」
「……はい」
あり得ないミスだ。これまでも無言で給与査定が悪くなっていたりしたけど、ついに魔王様直々に気の緩みを咎められるのだろう。それだけならまだいい。俺と同じようなマルチな才能を持った魔物がいたら……、いるだろうか? まあ、万が一いたらクビだってあり得る。いや、そうそういないと思う。だからこそ気が緩んでしまっているのは反省しないといけない。
そう思って、魔王様が指差したソファーに座る。魔王様が向かい合うように座り、身を乗り出して太ももに肘をつく体制になった。ごくりと生唾を飲みこんで、魔王様の言葉を待つ。
「のろいのおんがくか、貴様……、恋をしているのだ……?」
キラキラした目で「我輩、恋バナの練習をしたことがあるのだ」と言ってくる。なんだこの上司。どうせ学校へ行っていたら恋バナをしてみたかったとかそんなところだろう。
めちゃくちゃ怒られると思ったのに拍子抜けだった。こういう魔王様だから俺と姫はこの世界を選んだのだが、それとこれとは別で何言ってんだと素で思う。ため息をつくと、魔王様はあまりに身を乗り出していると気付いたのか姿勢を正してコホンと咳ばらいをした。
「馬鹿なこと言わないでくれる? バラード調にしたら恋してるって、俺のこと馬鹿にしてるよ」
「いや、だってこれはラブソングなのだ」
「は? ちが――……」
違う、よな?
最近よく見かけるので少し話すだけの子だ。姉さんと仲が良さそうだから。同僚だし。
そうだ、そもそもラブソングじゃない。
「いやいや、これはさっきゅんの寝癖を見て作った歌ですよ。ラブソングじゃないです」
「へー、さっきゅんか。へー……、いつから? もう付き合ってるのか?」
「だから、違うってば!」
「片想いなのか? そんなに照れなくても誰にも言わないのだ」
「あーもー! 本当に違うし、俺忙しいんで! ちゃんとしたデモテープは誰かに届けさせるからもう失礼します!!」
逃げるように魔王様の執務スペースから出てきたとき、来る途中に見かけた場所で再びさっきゅんを見かけた。
そうだ、スイーツの好みを聞かないといけない。なのに、なんて声をかけたらいいのかわからない。魔王様のせいだ。俺はそんなつもりはないのに。
さっきゅんは大きなはさみを構えてはおろすという動作を繰り返していた。
「あの……、何してるの?」
「あっ、のろいさん。姫におばけふろしきを狩って来いって言われて……」
「そんなの断りなよ。あのさ、今日のパジャマパーティー用のスイーツを作ってって頼まれてるんだけど、何が好き?」
「スイーツ? あー……、プリン! プリン、好きです」
泳ぐ目と取って付けたような言い方に違和感がある。駄目押しの違和感で、いつもより声が半音高く上ずっている。
言いたくないのか、プリンと言えと姫に言われているのか。
その表情に怯えはないように思う。じっと見ていると、さっきゅんは少し俯いて「えっと」ともごもご言った。
「本当はふがしが好き。端っこのとこ」
「何それ、可愛い」
はっとして自分の口を押える。昔から姉さんに言う感覚で可愛いとか綺麗とか言っては最終的にトラブルになることがあった。その上セクハラだなんだと最近厳しい。気を付けていたが、うっかりしていた。
「ごめん」
「え、なんで謝るの?」
「いや、俺、すぐそういうこと言っちゃうから学生の頃によく揉めたんだよね。姉さんに言うノリで、特に深い意味はないんだけど」
「あー……、モテたんだぁ? ふふ、少しドキッとしちゃった」
そう言って笑うさっきゅんは、なんだか全然姫には似ていない。さっきまではあんなに似ていると思っていたのに。
「そうだ、おばけふろしき狩りはやっぱり同僚だしできそうにないから、スイーツ作り手伝う!」
「え、いいよ。ちゃんとした仕事じゃないから俺の部屋で作るし」
「いいのいいの、暇だから」
変な流れになってしまった。
さっきゅんは「姫にはさみを返してくるね」と言って、張り切って行ってしまった。そこまで散らかっていなかったとは思うけど、部屋を片付けないと。
部屋に来たさっきゅんは、開口一番に「見て」と言った。
「見て、のろいさん。姫がエプロンを貸してくれたの」
「……うん」
可愛い。姫は可愛い服が好きだからだ。決してさっきゅんが特別可愛いとかではないはずだ。
「それでね、ハーピィさんの部屋で着替えさせてもらおうと思って、お泊りセットも持ってきちゃった」
「いや、だめでしょ」
「え、えへ、さすがにズボラすぎ――」
「男の部屋に来てお泊まりセットとか言うの絶対にだめだと思うけど」
「うんうん、レオ君もよく似たようなこと言ってる」
姫が腕を組んで頷くので、ひぃっと喉から声が漏れた。
「……なんでいる」
「ずっといたけど。サキュンがスイーツ作り手伝うって言うから、私も手伝う」
「いや、そもそも誰の手伝いもいらないんだけど……」
「えー、じゃあ寝て待とうかな。おいで、セセリ」
「勝手に変な名前つけるのやめて! もう、まとめて出ていって」
姫が抱き上げた怪鳥を取り返し、女の子たちを部屋から追い出す。どちらのかわからないが、シャンプーらしい残り香がふわっと香る。思わずその場で膝をついた。
変に緊張して疲れた。
「……スイーツ作らないと」
ミルクレープもプリンも、飾りつけは自分たちでしてもらおう。そっちの方が手を抜けるし本人たちも楽しいだろう。ふがしも何かしてあげたいが、特にいい案も浮かばない。作ろうにも乾燥に時間がかかりそうだ。
ちょうど姉さんの部屋からごそごそと誰かいる気配と音が聞こえてきたので、作った大量のクレープとプリンを持って行くことにした。
「姉さん、スイーツ……」
「ひゃ」
いつもなら足音がするのはおかしいと、気付いたはずなのに。
姉さんの部屋では、さっきゅんが着替えているところだった。
手に持っていた様々なものを落としそうになり、一瞬だけ堪えたが結局は床にクレープやプリンが落ちて俺と姉さんの部屋を繋ぐ小さなエントランス中に広がった。すると、あろうことか慌てて拾おうとしたさっきゅんは下着のまま飛び出してきた。
「ちょっ」
「あ」
幸い、廊下へ続く扉は閉めていて誰かに見られることはなかったものの、その場にしゃがんで両手で顔を覆う。さっきゅんが急いで服を着ているらしい衣擦れの音が嫌に大きく聞こえる。
「ごめんのろいさん! もう着たよ!」
「なんでそんなに無防備――……」
文句を言おうと思っていたのに、ペンギン風のパジャマが可愛くて再び顔を覆った。今、俺はたぶん真っ赤だ。姉さん以外の女の子のパジャマ姿なんて見たことがない。ドキドキして当然だ。
だから俺は、別に恋をしているわけではなくて。
「……なんでパジャマなの」
「えっと、ハーピィさんが部屋で着替えて待ってていいよって。ね、片付け手伝うからあれ拾おう?」
「……」
今日は本当に散々だ。
黙って無惨な姿のスイーツを拾ってゴミ袋に突っ込んでいく。ため息をつくとさっきゅんが「ごめんね」と呟いた。
「ごめんね、変なもの見せて」
「……あのさ」
「うが?」
「……俺に、チャームの魔術使ってる?」
俺は今、どのくらい情けない顔をしてるんだろう。
いっそ、状態異常だと言ってくれないと困るんだ。全てにおいてカッコ悪すぎる。
さっきゅんは目を大きく瞬かせて、小首を傾げながら遠くに落ちているふがしを見た。
「つ、使ってるよ」
その声は、半音ほど上ずっている。
「……。じゃあ俺の生気あげるけど、それは魔術のせいだね」
さっきゅんの頬に手を添えると、彼女は目を泳がせた後に俺が映っているその目を閉じた。