Mymed

私は淫魔

 ――俺に、チャームの魔術使ってる?
 そう言ったのろいのおんがくかことのろいさんは、自信なさげで泣き出しそうな顔をしていた。
 私の魔術は失敗ばかりなので無意識に使えるとも思えないけど、たぶん落ちこぼれの私にそんなことを言ってしまうほどそう思いたい何かがあるのだろう。肯定すると、のろいさんは「じゃあ」と言った。

「俺の生気あげるけど、それは魔術のせいだね」

 俺の生気をあげる、とは随分と軽く見られたものだ。淫魔ならそう言えば飛びつくとでも? と、友人なら一蹴するだろう。
 だけど私はモテに飢えている淫魔だ。
 ……なんて、いろいろ言い訳を考えるけれど、私は結局のろいさんならいいか、に辿り着く。
 生気をもらう方法はいくつかある。私は普段買っているけれど、それは少数だ。効率のいい方法は粘膜接触で、その中でもキスがもっとも効率がいいという研究結果がある。私調べ。
 顔を手で包まれて私が目を閉じると、くくっと笑いを堪えきれなかったような声がした。目を開けてみると、のろいさんが私の頬にちゅっと唇を寄せた。びっくりして頬を押さえると、のろいさんはまた笑った。もう、泣き出しそうな顔はしていなかった。

「生気は、ほっぺたじゃ」
「わかってる。いや、今のあまりにもダサいなと思って。君の優しさに甘えすぎだよね」

 のろいさんが私の手を引っ張って立たせる。
 私の頬は今熱くて、彼の目も見れないというのに。なんで普通に話せるんだろう。
 私は自分があっさり受け入れようとしたことに、今更ながら他人事のように驚いていた。熱を持つ頬を押さえたまま何度考えても、のろいさんならいいかなと思ってしまう。でものろいさんくらい仲のいい男のひとから言われても、私はたぶん、淫魔のお店で働いている友人を紹介すると思う。紹介料で生気を分けてもらえるし。
 自分の中でのろいさんが特別になってしまってるのは、なんとなく気付かないふりをしていた。
 淫魔にとって特別な誰かを作るというのは、自殺に等しい禁忌の行為だ。これまでそういう淫魔がいなかったわけじゃない。けど、それでなくても落ちこぼれの自覚はあるのだから認めるわけにはいかなかったのだ。でも、もう気付かないふりも認めないこともできない崖っぷちに私は立っている。

「今からプリンは無理でも、せめてクレープを焼き直すから手伝ってほしいんだけどまだ時間ある?」
「あ、うん。ある」
「そのパジャマは着替えてくれないと困る」
「え、そうだね、汚れちゃうかも。元の服に着替えてエプロンしてくる」
「うん。その間にここにモップかけとく」

 のろいさんは目を逸らして私の頭をぽんぽんと撫でて「その後話そう」と言った。
 一体何を話すんだろう。どうしたらいいんだろう。
 ハーピィさんの部屋に戻りエントランスに続くドアを閉めて、床にへたりこんでしまった。まだドキドキしている。着替えながら通信玉で淫魔仲間の友人に連絡すると、彼女はあんまりいい反応をしなかった。

『状況はわかった。いいかもくらいの男が、さっきゅんの下着姿を見て盛ったのをこっちのせいにしてきたってことね。最低じゃん』
「え、違う!」
『そう聞こえたけど』
「生気をもらうようなことはしてないし」
『生気ナシで触るだけ触ったんでしょ? あーしそういうのマジ無理。慈善事業じゃねっつの』
「触ったって、ほっぺたをね!?」
『……? えらく庇うね? そういうの許したらだめ! さっきゅんは淫魔界じゃちょっとアレだけど、あーしからしたら男ナシでも自立できてるエリートなんだからもっとテンションアゲてこ。てか相談って何?』

 本題に入る前に誤解を解きながらもう一度説明すると、通信玉の向こうではちゃんと聞いているのか不安になるくらいからからと笑っている。向こうの認識を《ちょっといいと思ってた相手に痴漢された》から《最近仲良くなった相手とキスをしそうになった》に訂正できたのを確認し、本題を切り出した。ちなみに、好意を持ち始めてしまったというのは隠している。

「それでね、この後話そうって言われたんだけど契約ってどう切り出せばいいのかなと思って」
『ちょ、思ったより乗り気じゃん! あーしはお店に入ってるから契約とかはないからなぁ。でも確かにさっきゅんは個人事業主扱いとかで必要だね。契約……、さっきゅんが契約かぁ。すごいじゃん! それで、契約内容どうするつもり? 実技苦手でしょ』
「粘膜接触の効率いい方法はキスだって話をしたでしょ。ほら、夏休みの自由研究」
『あー……、あの問題作ね』
「問題作って。確かにちょっと点数は低かったけど」
『まあそれはおいといて、あーしの予想だけどね、さっきゅんが普段買ってる高級生気に比べたらシスコン鳥のキスじゃ物足りないと思うんだよね。あーしらでも引くくらいのすっごいイかせ方しないと』
「待って、相手がのろいさんって言ってない!」
『あはは、隠せてるつもりだったのウケる。それじゃ、実技頑張ってね』

 抗議をしようとしたら通信は既に切られていた。友達は多いのに私みたいな落ちこぼれにも優しい素敵な友人ではあるけれど、何か相談して解決したためしはない。まぁ、解決しないとわかってて通信してるところはあるからいいんだけど。

「……実技かぁ」

 実技の授業は全部休んだくらい苦手だけど、生気を分けてくれるっていうならもらってもいいのかもしれない。のろいさんは優しいから、私が買ってること知らずに性欲解消ついでに分けてくれるつもりなのかもしれない。
 のろいさんみたいな素敵なひとが、私を好きなわけがないのだから。
 姫に借りたままのエプロンをして出るとエントランスはピカピカになっていた。のろいさんの部屋に入ると、彼はじっと私を見て目を逸らす。

「やっぱり可愛いね、エプロン姿」
「ありがと……」

 深い意味はないそうだけど、それでもやっぱりドキッとする。可愛いと言われて嬉しくないわけがない。
 手伝おうと腕まくりをしたが、通信が長かったせいかクレープはほとんどできていた。そのため、何もしていないのにお茶を出されて座って飲んでいる。また少しドキドキして落ち着かない。
 やっぱり私は、のろいさんが好きなんだろう。やっぱりもう認めるしかない。私はどこまでも落ちこぼれなんだ。

「……その……、エントランスにいるとき通信聞こえちゃって」
「え」

 どこまでだろう。特に後半の内容はひどかったし……。
 でも、のろいさんは特に怒っているような様子はないのでおそらく後半は聞いていなかったんだと思う。

「聞くつもりはなかったけど、最初だけね。俺は別に、君の下着姿を見たからキスしたかったわけじゃ」
「あ、うん。そうは思ってない! えっと、ちゃんと選んでくれたんでしょ。あのね、私、初めてで……友達に相談したの。その子はちょっと誤解してたけど、その誤解も解いたし……」
「うん」

 お互いに妙に余裕なく話していると、怪鳥がぽてぽてと寄ってきて私の膝の上に座った。その子を撫でているとのろいさんも私の隣に座って怪鳥を撫でる。
 顔が近くて、ドギマギして怪鳥をのろいさんの膝の上に移動させる。しかし、再び怪鳥は私の膝の上でおもちのようにくつろぎ始めた。

「この子も君が気に入ったんだね」
「可愛い……。あ、それでね、私は個人事業主扱いになるらしくって、そうすると契約が必要なんだって。週に何回とか、内容とか。生気を摂りすぎないためっていうのもあって」
「え」
「でもね、キスだけなら別に特別な報酬はいらないんじゃないかなって思ってて」
「……あ、契約……ね、うん。そこからか」
「うん! あのね、いろいろあるんだよ。悪魔との契約だから、破ったら大変なことが起こるからちゃんと話し合わないとね」

 淫魔の契約は、基本的には快楽と生気の交換だ。人気のある淫魔は報酬をお金などを上乗せすることもある。契約を体系化して手軽にしたものが淫魔のお店だったりする。
 でも私の場合は、人気どころか買わないと生気を吸えないくらいだから、私がお金を払うくらいがいいのかもしれない。
 そんな説明をすると、のろいさんは困った顔で私を見た。

「最初にチャームとか生気とか、照れ隠しで言った俺が悪いんだけどさ」

 のろいさんは、私が床についている手にそっと手をのせた。

「俺はただ君が好きなだけだよ」
「……嘘」

 ぽろっと出てきたのは、そんな言葉だった。
 のろいさんは更に困ったような顔で、きゅっと私の手を握った。のろいさんの指は少し鋭い。でも、きっと私を傷付けることはない。そんなことはわかっているのに、それが私を好きだからなんて考えもしなかった。
 ぐるぐる考えていたら、ぼろっと涙が出てきた。のろいさんが慌ててハンカチを取り出して差し出してくれる。本当に、優しい。

「……ごめんなさい」
「いや、ごめん。迷惑だったね」
「違うの。私、どうしよう。のろいさんを好きになればなるほど、種族の落ちこぼれの自分がキライになる。恋なんて、禁忌だもん……」
「あー、そうか。そもそも恋愛への認識が違うのか。ちなみに、恋はどうして禁忌なの?」
「……別れたり相手が亡くなったりしたときに他の相手の生気をもらわなくなって餓死するとか……、逆に、好きすぎて生気を摂りすぎて殺しちゃうとか……、いろいろあってあんまり良くない」
「怖」
「……引いた?」
「いや、けっこういろんな魔物の生態の勉強をしてる方だし知識としてはあるけど、具体的に説明されると改めてすごいなって」

 そうだ、のろいさんは内科医もやっているから、私達がどうやって生きているのか知っているんだ。

「まぁ、生気を摂りすぎる件に関してはいいんじゃない。魔王城にいる限りあくましゅうどうし様に蘇生してもらえるでしょ」
「のろいさんってそんなに軽いノリで死ぬひとだっけ!?」
「嫌だよ。でも君にならいいよってこと」
「うが……」

 すごい殺し文句だ。
 私より淫魔に向いているかもしれない。

「あと君は既に生気を買って食べてるから餓死もしないよね」
「わからないもん。好きじゃない相手のはマズくって食べられなくなるかも」
「ふーん……。『シスコン鳥のキスじゃ物足りない』んじゃないの?」
「え、本当は最後まで聞いてたんじゃない!! 大体、それは友達が勝手に」
「試してみようか」
「う、ぅ……」

 じっと見つめられると、頬がじわじわと熱くなった。耳まで熱が伝わってくる。

「い、嫌だ……。……恥ずかしい」

 両手の手のひらを見せるようにホールドアップすると、のろいさんは「君、全然落ちこぼれじゃないと思うよ」と呟いた。意味が分からなくてちらっとのろいさんを見ると、彼も顔を真っ赤に染めて片手で口を覆っている。
 珍しいものを見たと思ってじっと見ていると、ふいっと目を逸らされた。あ、もしかして今までも目を逸らした時は照れてたのかな。目を見るのが嫌なんだと思ってた。

「クレープを運ぼう。このままだとパジャマパーティーに行かせたくなくなる」
「待って、契約はしようよ。私、のろいさんがいくらいいって言っても生気を摂りすぎて殺したくないし」
「……そのくらいのことする気あるんだぁ?」
「なっ、ちが、ないし!!」

 のろいさんが変な顔で笑うので、慌てて大量のクレープを持ってハーピィさんの部屋へ戻ろうと、ドアを開ける。
 そこには、ハーピィさんと姫が並んで立っていた。二人とも驚愕の表情でプルプル震えている。

「サキュン、キス、茎……、茎は結べるの……?」
「し、してない! 茎って何!?」
「のろくんと、何の契約を……」
「いや、あの……」
「あ、ふたりも運んで。悪いけどプリンは作ったあとにダメになっちゃってミルクレープだけになったから。クレープと生クリームとフルーツ、別々に作ったから自分でミルクレープを作ってみて」
「わー、自分で作るの!? 可愛い」

 ふたりはパタパタと部屋に戻っていく。今はとりあえず不問らしい。あとで質問攻めが待っていると思うと、なんと答えればいいのだろう。でも後ろめたいことは何もないし……。
 のろいさんをちらっと見ると、彼はふっと笑って私の額にキスをした。

「パジャマパーティーから戻るときは、着替えて戻ってね。可愛すぎて危ないから」
「ちょっとどこかおかしくなってるんじゃない?」

 私も、あなたも。
 私は淫魔で、自分が嫌いになりそうなほどの落ちこぼれだ。でもたぶん、きっと彼が私の分まで私を好きでいてくれるのだろう。その確信だけがあれば、今はいい。