Mymed

脱がすだけの話

 姫の依頼を聞いたとき、あくましゅうどうしは当然拒否した。

「もっと他に頼む相手いるでしょ! アルラウネさんとか、ハーピィさんとか、さっきゅんとか!」
「ぬぅ。私も一応考えたけど、なんか女の子が全然いないの」
「あっ、女部隊が出払ってるのか……」
「だからレオ君にお願いに来たの」

 姫はあくましゅうどうしに背を向けながら髪をかき上げた。その束を肩にかけ、うなじを見せるように少し俯く。

「脱がせて」

 一度目の口頭での依頼よりも随分と過激に扇情的になった二度目の依頼を前に、あくましゅうどうしは顔を真っ赤にして立ち尽くした。
 要はボタン付近の布がほつれてボタンに糸が絡んで外せなくなったので外してほしいという話なのだが、頼み方に問題があるとあくましゅうどうしは顔を覆いながら思っていた。

(ここで断ったら他の器用そうな魔物――いや、男のところに行くのだろうか)

 返事も依頼の遂行もないので、姫はちらっとあくましゅうどうしを見た。
 あくましゅうどうしはまだ立ち尽くしている。

「どうしたの、老眼で見えない?」
「え、いや、そういうわけじゃなく」
(そんな風に見られていたのか……。ん? 見られる?)

 ふと、我に返り姫のうなじから目を離し周りを見渡してみると、食い入るように女性のうなじを見つめていた男を見て引き気味の部下たちがいた。あくましゅうどうしは赤くなったり青くなったりしながら、姫に声を掛けた。

「ひ、姫。その、着替えるなら、どこか移動しようか」
「え、……うん。じゃあレオ君の部屋が近いか」

 姫が歩き出すのについていく。
 状況としては、服を脱がせてほしいと迫る姫を部屋に連れ込むという誤解しか生まないものとなったが、それよりも姫の着替えを大多数に見られるよりはいいはずだ。
 姫はソファーに座り、そのまま横になった。あまりに自然にくつろいでいるので、あくましゅうどうしは魔ほうじ茶をいれて、姫の足元に座った。革のソファーカバーがぎゅっと音を立てると、姫がはっと体を起こした。

「違った。ボタンだった」

 姫が再びうなじを見せる。ソファーに隣同士に座った状態だと、先程の数倍異常な状況に思えた。
 今まさに愛を営もうとするカップルだって、ここまでベタな「脱がせて」というポーズはしないかもしれない。

「ボタンが取れないんだもんね」

 自分に言い聞かせるように確認の言葉を吐くものの、彼の意志とは関係なくしっぽがそわそわと動いている。
 そのうなじに舌を這わせれば彼女はどんな声を上げるのだろう。ふとそんな邪な考えがよぎり、あくましゅうどうしはふるふると首を振った。
 姫は、女子がいない中で一番信頼して自分の元に来てくれたのだ。汚い山羊の気持ちや欲望を押し付けるわけにはいかない。そう思っているあくましゅうどうしは、自らの頬を張り冷静さを取り戻した。
 ボタンにはわずかに美しい銀糸がかかっている。それを束ねようと、姫の肌には触れないよう細心の注意を払い指を髪と肌の隙間に差し入れると、姫は反射的に背筋を伸ばした。

(えっ、私、さ、さわっ……)

 さっとホールドアップした手がわずかに震える。感覚はなかったが、爪の表面が少し触れたのかもしれない。ホールドアップしたせいで、残っていた髪の毛は再び元の位置に戻ってしまった。
 もう一度髪を纏めようと、今度こそ肌に触れないようにと息を止めながら指を差し入れる。と、姫は同じようにわずかに吐息を漏らした。肌に触れずとも、意識すれば髪を触られている感覚は髪の根本に感じるものである。

「ごめん、くすぐったいかな。あの、髪がまだ……」
「ん」

 姫が改めて髪を前に垂らすと、あくましゅうどうしは白いうなじに生唾を飲んだ。心臓が口から出るのではないかと思うくらいに激しく脈打っているのを感じる。
 いい加減にしないと、他の男に脱がせてもらうなどというとどめを刺されかねない。あくましゅうどうしは決意して長く息を吐き、一番上のボタンに取り掛かった。
 ボタンには、布からほつれた糸が引っかかっている。姫が一度外そうとしたらしく、一度ボタンを留め直し、それから糸を取ってもう一度ボタンを外す必要があった。指が少し震え、その分だけもたついた。指が肌に触れるか触れないかの感覚がくすぐったく、姫はその度に「んっ」と吐息を漏らした。

「よし、できた」
「あ、ありがと――……」
「じゃあ、一気にいくね」

 今の勢いのまま、何も考えなければ大丈夫だとあくましゅうどうしは次のボタンに手をかけた。二つ目のボタンを外すと、薄いインナーが見えた。生地が薄いため、さらにその下に着ている下着がうっすらと透ける。視線を外し、二つ目のボタンの穴から下に辿り、手探りで探し当てた三つ目のボタンを外したとき、姫が服を胸の前で押さえながら、顔を真っ赤にして振り向いた。

「一番上のボタンだけで、良かったんだけど……」
「え」

 瞬間、鼻の奥にツンと鉄臭い匂いがした。あくましゅうどうしが鼻を押さえながら見た姫は珍しく動揺し羞恥に赤く染まっている。
 手を伸ばすと、姫はびくっと体を震わせた。あくましゅうどうしは首をくくるロープの場所を思い出しながらソファーからそっと離れた。

「あの、じゃあ、着替えは」
「ない。けどこのボタンだと同じだから何か貸して」

 あくましゅうどうしのワイシャツを貸すと、姫は袖を通してボタンをしめ、元のワンピースを抜き取った。
 着替えを見るはずもないあくましゅうどうしは、壁に頭を打ち付けながら猛省していた。確かに、姫の話を総合すると一番上のボタンが引っかかって取れないという話だったのだが、実際の依頼の言葉は「脱がせて」であったので起こった事件だった。

「ねぇ、レオ君」
「ごめんね、姫。もう二度と君には近付かないから! だからお願い、とどめを刺すのだけは」
「聞いて、レオ君」
「……」
「袖が長いの。折ってくれない?」

 姫が照れながらあくましゅうどうしに向かって腕を突き出す。
 それは、近付くことを許可するもの。
 あくましゅうどうしが丁寧に袖を折る間、姫は口を尖らせたまま彼を見ていた。

「本当にごめんね、姫」
「ううん。……私も、脱がせてってお願いしちゃったし。だから二度と、もう近付かないなんて言わないで」
「え……」
「じゃあね。ボタン、取ってくれてありがとう」

 あくましゅうどうしに脱がせてと迫った姫が彼シャツを着て出てきたことは、もう誰も何も、感想を漏らすことさえできなかった。
 姫がはにかんでいたせいである。