水着
お題箱より『あくスヤ水着回』
「レオ君、見てー」
後ろからうきうきした声が聞こえてきて、あくましゅうどうしは仕事の手を止めた。今度は何を作って見せに来てくれたのかと微笑ましく思いながら、顔がにやけないように平静を装って振り返る。
「やぁ、姫。今日は死ななくていい子だね」
言いながら、あくましゅうどうしは姫の可愛らしく結われたシニヨンに目を細めた。
しかしすぐに目を見開き絶句した。何を持っているのかと視線を移した服装はいつものパジャマではなく、仕事モードでもなく、水着だった。緩やかにくびれつつも柔らかそうな腹部は惜しげもなく露出され、筋肉の少ない足もほとんど付け根まで出ている。
「じゃーん、新しい水着! この前お出掛けしたときに一緒に買ったやつだよ」
「その格好でここまで来たの!?」
「そうだけど? プールで遊ぶからレオ君も呼びたいって言ったら裸族が自分で連れて来いって言うから」
(あぁー……想像がつく……。『その格好で呼びに行きゃ100%来るだろ』とか言われたんだきっと)
赤面し顔を逸らしつつもしっかりとその姿を目に焼き付けるあくましゅうどうしに姫は満面の笑みでパレオを広げて見せる。動作としては露出狂のそれだった。可愛いくま柄を見せようとくるくると回って見せる。
あくましゅうどうしが取り乱しつつも鼻血を出すような失態を見せないのは彼が水着姿を見るのは初めてではないからだ。ジゴ=クサツで初めて水着姿を見て以降初めてでもない。むしろお互いに伝説の銭湯に入り浸っているのでここ数日で言えばパジャマの次によく見かける姿だった。それでも、赤面はするし一応目を逸らすふりをする。
(いつまで経っても見慣れない……。新しい水着も可愛い……)
「プール行くでしょ? レオ君」
「……あ、うん。いいよ、そんなに忙しくないから」
「じゃあ、レオ君の部屋で待つから着替え――……」
「部屋で着替えてくるからここで待っててね」
「あ。うん」
悪魔教会のベンチに水着で腰掛けた姫は倒錯的で、あくましゅうどうしは部屋に戻って急いで薄手のジャージを取ってきて姫に羽織らせた。姫はされるがままにジャージを羽織り、小首を傾げるものの脱ぎ捨てるまではしなかった。
「プールの外ではこれを着ててね」
「え、でも別に寒くは」
「ね?」
「……わかった」
あくましゅうどうしが再び急いで部屋に戻って行くのを眺めながら、羽織らされたジャージの襟を掴んで顔をうずめた。
一方のあくましゅうどうしは、自らの水着を引っ張り出してきていた。普段伝説の銭湯に行くときに着ている水着と、まだ値札がついているトランクスタイプの水着。新しい水着は姫と出掛けた際に姫がいつの間にかカゴに入れていたもので、姫が着ているものと同じ柄である。
広げてみたものの、でびあくまをモチーフにしたというくまが大きく描かれたデザインはどうみても姫の水着とおそろいである。
「……これは……、みんなの前では着れないなぁ」
姫がおそろいを着ようと言うのは目に見えているが、少し悩んで普段着ているものを選んだ。
ラッシュガードも着込んで悪魔教会に戻ると姫はあからさまにムッとした顔をした。
「レオ君も新しい水着あるでしょ」
「あれは私にはちょっと可愛すぎるよ……。それにポセイドン君とかもいるんでしょ? 恥ずかしいから二人っきりのときにするよ。今度ね」
当然のごとく今度があるかのような物言いをしたことに本人は気付いていない。悪魔教会にいた魔物は(デートの約束をしてる)と引き気味だったが、姫は「それならいいよ」とあっさり引き下がった。
プールではポセイドンが水中戦闘の指導中だった。熱の入った指導を前に、遊ぶと聞かされていたあくましゅうどうしは焦って姫にこそこそと囁く。
「姫、みんなは仕事中じゃないか」
「うん、だから端の方で遊ぼう。私泳げないし」
「泳げないの!?」
姫がプールに入るためにジャージを脱ぐと、あくましゅうどうしは今度は自らが着ていたラッシュガードを着せようとした。何としても姫の露出を減らそうとするあくましゅうどうしに構いもせず、姫はプールサイドに座り、足をちゃぷちゃぷとつけ水に体を慣らし始めた。
でびあくまが持ってきた浮き輪を受け取った姫に先程悪魔教会でしたようにラッシュガードを羽織らせると、姫はぽつりと「まあいいか」と言って袖を通した。
「確かに少し肌寒いかもね」
「このプール、初めて来たけど……思ってたより深いんだね。私も足がつかないかも」
「そういえば、レオ君は泳げるの?」
「速く泳いだりとかはできないよ。プールなら溺れないっていう程度かなぁ」
あくましゅうどうしも並んでプールに足をつける。水温はちょうどよさそうだった。しかし急いで飛び込みたいというほど気温が高いわけでもなく、このまま足をぶらぶらさせているだけで十分だとぼんやり思った。
姫は一足先に浮き輪を持ってプールに入っている。プカプカ浮かび、飛んでいるでびあくまに水をかけるふりをしてはしゃいでいる姫を眺めていると、ちょうど休憩を言い渡したポセイドンがやってきた。
「よう。悪いな、姫の面倒頼んで」
「みんなで遊ぶって言われてきたんだけど、忙しそうだね」
(そのまま忙しくてもいいけど)
「思ってること顔に出てんぞ。まぁ、あれだ。あんな感じで姫は静かに沈んで行くから、助けるときは――……って、もう沈んでんじゃねぇか!」
ポセイドンが美しいフォームでプールに飛び込んで姫を引っ張り上げる。姫はゼェゼェと息をしながら途切れ途切れにポセイドンに礼を言っている。その横で、あくましゅうどうしは青ざめていた。
「ポ、ポセイドン君、私は泳ぐのが得意じゃないから姫を助けようとしても一緒に溺れちゃうよ。君も一緒にいてくれないと」
「へぇ、意外。姫に触んなとか言うかと思ってた」
「『いのちだいじに』だよっ!」
「まぁ、俺もさすがに姫の水泳のコーチしろとは言わねぇよ。浮き輪でプカプカ浮かんでたら満足するだろ。……姫が見せたがってた水着は隠されてるみてぇだけど」
「それは」
「いや、別にいいけどな? 俺も見たいわけでもないし。ま、とにかく引き続き頼む。目を離したらすぐ溺れるから」
「わかったよ」
あくましゅうどうしが了承して頷いたとき、姫が声をかけた。ポセイドンが小走りで指導へ戻るのを見送る暇もなかった。
「レオくーん! あーそーぼー」
姫が袖が余ったラッシュガードをぷらぷらと振る。プールの壁をトンッと蹴った姫はすーっと滑るようにプールサイドから離れていった。
「あ、待って」
慌ててプールに入り、力強く壁を蹴る。二かきほどで姫には追いついた。姫の浮き輪に捕まって立ち泳ぎをしながら濡れた髪をかき上げると、姫はその顔をまじまじと見ていた。
「違うひとみたい」
「え?」
「おでこ」
「ひぇ、近」
一瞬浮き輪を放したものの、推進力を失ったあくましゅうどうしはすぐに浮き輪を掴み直した。浮き輪を掴んだ腕を伸ばすと体が沈む。必然、彼が耐えられる以上の近さに居続けなければならなかった。
(これ、姫が飽きるまでこのまま……?)
姫は浮き輪を掴んであくましゅうどうしの顔にその顔を寄せた。
「何!?」
「あのね、髪がぺたっ、て、うわっ」
あくましゅうどうしが掴まっている側に姫が体重をかけたため、浮き輪は大きく傾いた。姫はそのまま重力に身を任せ、浮き輪は一度水面に対し垂直に立ち、そして勢いよくひっくり返った。
姫は驚いた顔のまま沈んでいく。あくましゅうどうしは片腕を浮き輪にかけたまま姫の手を掴み、引っ張り上げた。とっさのことだったがそれは最善の方法で、そうでなければ姫を浮き輪の上に引っ張り上げることはほぼ不可能だった。
浮き輪に掴まりながら、姫はゆったりと足をばたつかせた。立ち泳ぎというにはあまりに水を蹴る力が弱く、浮き輪に肘をつくように掴まってようやく安定した。そこでようやくあくましゅうどうしもほっと息を吐いた。
「生きた心地がしないよ……」
「ありがとー」
「気を付けて。本当に。それで、何を言いかけたんだい?」
「あ、えっとね。髪の毛上げてるの珍しくていいねって思って」
姫があくましゅうどうしの髪の毛を手のひらで押し上げる。
角に吸着した水がじわじわと収束し、小さな水滴となって水面に落ちる。あくましゅうどうしはその瞬間をスローモーションのように感じていた。
「それに、目線が一緒なのも珍しい」
「そうだね」
「レオ君の目に私が映ってるよ。私の目にもレオ君が映ってる?」
「ち、近すぎるよ」
(姫より私の方が死ぬかもしれない)
あくましゅうどうしは幸せそうな顔で意識を手放そうとしていた。しかしはっと我に返り、浮き輪を掴みなおす。
「あのね、姫」
「なに?」
「水着、かわいいね」
「ありがと」
「うん、さっきは恥ずかしくて言えなかったけど、溺死する前に言いたくなってね」
「溺れそうなの? でびあくま、追加で浮き輪持ってきて」
こうしてでびあくまが持ってきた浮き輪によりあっさり意識消失による溺死の危機は終わり、なんとか浮き輪に座るように乗ったあくましゅうどうしは後ろに倒れ深く息を吐いた。普通に泳ぐよりもよほど疲れている。
姫も並んで同じように浮き輪の穴にお尻を入れ、ゆったりとプールに浮かんだ。でびあくまが冷えたポーションを持ってきたので、プールに漂いながら優雅にポーションを飲む。
「気持ちいいねー」
姫が飽きるまで、ぷかぷかと漂う浮き輪は近づいたり離れたりを繰り返し、プール遊びはしばらくの間続いたのだった。