Mymed

あくまで淫魔

 付き合うというものが、実はよくわかっていない。
 私が元々目指していたモテは、専属契約ではなかったはずだ。専属が嫌というわけではなくて、私はたぶん、淫魔の中で落ちこぼれだけでなく異端にまでなってしまうのが、嫌なのだ。
 ――というと、友人はキャハハと笑った。

「さっきゅんは鬼真面目じゃん。それって元々異端だって」
「ねぇ、誰にも言わないでね、専属契約のこと」
「いや、でもあるじゃん、愛人契約みたいなもんでしょ。で、どこまでシたの?」
「……キスが、効率いいから」

 そのキスだって、生気を摂りすぎてからは一回もしていない。もう半月になるけれど、怖くて触れられない。

「まだ言ってんのそれ!? 若い盛りの男なんだから、ガッツリ生気もらえばいいじゃん」
「や、まだそういう感じじゃ」
「そんなこと言ってるうちに枯れるからね? ね、でもさ、愛人契約って、何度もお店に来てもらってすごーく仲良くなって、契約しよーってなるわけじゃん? さっきゅんはフリーでしょ。どうやって誘惑したわけ?」
「……。わかんないんだよねぇ」

 のろいさんがいつの間に私のことを気にかけてくれたかはもちろん、私は、私の中でのろいさんが特別になった瞬間も、わかっていないのだった。
 のろいさんと話すようになったきっかけは、ハーピィさんと仲良くなったことだ。「姉さんと仲良くしてくれてありがとう」とか、そんなことを言われたのが初めての会話かもしれない。診察という点でなら、何度か話したことはあるけれど。
 とにかくのろいさんは、ハーピィさんのことばかりだった。でも、共通の話題はハーピィさんか姫だけだから、そうなるのは仕方なかったと思う。
 でも何か、話題がハーピィさんのこと以外になったきっかけがあったように思う。私を気にしてくれるようになったきっかけ、私がのろいさんがいい人だと思ったきっかけ。それまでは、クールで怖くて近寄りがたい、ただのお姉さん思いのひとだった。

「内科医やってるときしか絡まないけどさ、あの鳥って照れたりとかするの? 性病検査とか健康診断とかもフッツーに触診あるけどシラーッてしてるじゃん」

 そうなんだ。ちなみに私は経験がないので触診はない。お腹の上からエコーだけだ。

「……。それはプロだからだよ。クールはクールだけど冷たいんじゃなくて、冷静なだけだからすごく優しいし」
「へー。キスは美味しい?」
「美味しかった。あ、でも! でも! 専属だから。だからダメだからね!!」
「いや、興味ないし。大丈夫。でも専属はさっきゅんの方でしょ。どうするー? 優しい男はつまみ食いも優しいよー?」
「ないと、思うけど」
「あーし一個だけ心配してんのはさ、都度更新って最初から別れる想定してるよね? どういうことなん?」
「別れる想定とか、そういうわけじゃ、ないと思うけど……」

 ないと思うけど、私は友人と別れてからなんとなくのろいさんのアトリエに足を運んでいた。

「お、お邪魔しまーす」
「珍しいね。ごめん、今日は忙しいんだ」
「あ、ごめんね。帰る」
「いや、いてもらって構わない――……、というか、いてくれたら嬉しいけど」

 のろいさんは小さく咳払いしながら言い直した。
 アトリエの中に通されると、のろいさんは定位置ともいえるピアノの前に座って、私は少し離れたところに座った。

「さっき友達と話しててね、のろいさんと仲良くなったきっかけってなんだっけって思って」
「友達にオレの話してるの?」
「あ、気を悪くしたらごめんね。普通は話さないものなのかな。淫魔って男の人の情報共有することが多くて」
「……あぁ、そういう……」

 表情が少し曇ったように思って、慌ててフォローしようと立ち上がる。

「あっ、のろいさんの生気摂りすぎちゃったとか倒れたとかは、言ってないよ」
「……。オレについてもらう情報はなかったでしょ。オレはああいう店にはお世話になってないからね」
「うん。内科医のときクールすぎるって言ってた」

 あれ? 気のせいだったかな。それともフォロー成功?
 わからないまままた座ると、なんだか落ち着かない。なにか、間違ったことをしていないか、すごく不安だ。

「仲良くなったきっかけだっけ? 君が修行か何かで大怪我して手当したときじゃない?」
「あ、そっか。影武者修行でケガしたんだっけ」
「……その時は、変な子だなって思ったよ。姫のせいで怪我してるのに姫を庇うし。でも同時に悪い子じゃないとは思ったかな」
「……」
「何?」
「ううん。なんだかハーピィさんが喜びそうな話してるね。仕事しなくていいの?」

 のろいさんはそうだねとか言いながら譜面とにらめっこし始めた。私は、遊んでというようにやってきた怪鳥を抱き寄せ、そのふわふわのお腹に手を埋める。そんなことをしながらのろいさんを眺めていると、ふと思い出した。
 あの時、影武者修行でケガをした時も、手当を受けた後にただのろいさんが仕事をする姿を眺めていた。「姫に付き合って怪我するなんてバカじゃないの」なんて、言葉はキツかったのにその顔は心配そうで、本当は優しいひとなんだと思った。思えばあの時からフランクな物言いになった気がする。
 では、私はいつから変な子だなんていうレッテルを返上できたのだろうか。
 膝に頭をのせたままうとうとしながら考える。
 私の中でのろいさんが特別になった瞬間は、「俺にチャームの魔術を使ってる?」と泣きそうな顔で見つめられた、あの瞬間かもしれない。水がいっぱい入ったグラスが溢れるための一滴が、きっとあの瞬間で。それまでも水はじわじわと溜まっていたのだろうけど。
 そういうもの、なのだろうか。
 私には、普通の恋がわからない。
 普通は、友達に恋人のことを話すものではないのかもしれない。

「何か難しいこと考えてる?」
「うが?」

 いつの間にきたのか、隣にのろいさんが座っていた。
 髪を手櫛で整えると、のろいさんは私の手から怪鳥を抱き上げた。

「……あ、えと……」
「君の友人関係に口を出すつもりはないけど、何か言われたんじゃない? 何度か診察したことあるけど、オレのこと嫌いみたいだし」
「嫌いというか、のろいさんがなびかないから苦手なんじゃないかな」

 都度更新がどうこう、というのは、実はそんなに気にしていない。だって、のろいさんは素敵なひとで、モテるひとだ。私に飽きる可能性は大いにある。だからそこは別に、気にしていない。

「こういうの聞くのって、たぶん重いんだけど」
「うん?」
「私のどこが」

 好き?
 いやいや、重すぎる。

「ご、ごめん、今のなし。今のはナシ」

 首を振ると、のろいさんはフッと笑った。

「君ってさ、自分のことに関しては案外ネガティブだよね。姉さんの話に君がよく出てくるから、勝手に知り合いのような気分だったんだ。でも、実際に話してみた君は思っていたより抜けてて、思っていたよりすごく良い子で。……いろいろあって、顔が似てるのに姫より可愛く見えて」
「……」
「君が『私なんて』って思うたびに、そんなことないって言える距離にいたいんだよ」
「うが……」
「君は自分を落ちこぼれっていうけど、オレにとっては、これ以上なく魅力的な女の子だよ」
「……ありがとう」

 それはたぶん、私が言われたかった言葉だ。のろいさんは、ほっぺたを赤くして怪鳥をあやし始めた。
 こんなに言ってくれる相手に、私は一体何を返せるのだろう。

「また難しく考えてる。あのさ、口にしてくれないとわからないんだけど?」
「……あ……、えっと……、私にとって、のろいさんが特別なのは違いないんだけど。私は淫魔で、のろいさんは鳥獣族で、やっぱり常識というか……、そういうのが違って。……私、全然わからなくて」
「何が?」
「好きってなに?」
「さぁね。そんなのオレにもわからないよ」

 のろいさんは、クールに肩を竦めて見せた。

「別に誰かと誰かの関係に正解なんてないでしょ。オレと君の関係は、お互いが疲れなければそれでいいんじゃない」
「そっか」

 お互いが疲れなければ。それなら、難しくないかも。

「あ、ごめんね。忙しいんじゃないの?」
「君が来たからすぐに仕事は終わったよ」
「さすが、優秀だね」
「……君がね。おやつを取ってくるからこれ外してくれる?」

 私のしっぽが巻き付いた腕をぷらぷらと揺らす。慌てて外すと、のろいさんは私の頭をポンポンと撫でて立った。
 無意識に巻き付けている。好きって、こういうことなのかも。
 なんだ、私、ちゃんと好きなんだ、たぶん。
 のろいさんがお皿に乗せたふがしとお茶をテーブルに置いた。

「わぁ、ふがしだ」
「好きなんでしょ」
「うん、好き!」

 確かに、元々目指していたモテとは違うし、淫魔としてはダメなんだろうけど、こんな日々ならまぁいいか、と思わなくもない。
 少なくとも、のろいさんと一緒にいれば私は私を嫌いにはならないかもしれない。

「ねぇ、のろいさん。あとは搾精だね!」

 そう言うと、のろいさんは飲んでいたお茶をブッと噴き出した。

「搾精って……オレ以外の前で言うの絶対やめてね。あと、それをやったとしてお友達に言うのは絶対だめ」
「えっ、あ、そう、そうなの? ハーピィさんとカフェ行こうねっていうくらいの感じで、友達と話すけど」
「ギャップ萌えどころじゃないね」
「は、恥ずかしい言葉だった……?」

 のろいさんはしばらく考えて、「別に」と言った。

「……淫魔の常識を封印することはないと思うけど……、オレ以外の前で言わないでとは、言うかもしれない」