呪う淫魔
音楽家、医者、パティシエなどあらゆる仕事をしているので同僚たちが覚えているかは怪しいが、オレはそもそも呪いの扱いのプロだ。ただ、呪うのと祓うのはやはり少し違うので解呪の方はエキスパートかといわれるとそうではない。それが得意なのはやはりあくましゅうどうし様だろう。
あくましゅうどうし様に相談する時間がほしいというと、すぐに時間を作ってくれた。その上、完全に誰もいないところで話したいと言うと、アトリエまで来てくれるという。姫のことでおかしくなることが多いけど、やっぱり優しい上司だ。個人的なことなので少しだけ申し訳ない気持ちが半分、いつも姫との関係をフォローしてるしたまにはいいかという気持ちが半分だ。
「それで、相談って?」
「たぶん呪われたものをもらったんだけど確証がなくて」
「……たぶん?」
「まぁ、とりあえず見てほしくて――、あ、念押しだけど、貰い物だから」
念を押してあくましゅうどうし様の前に置いたのは、小さな箱。透明なビニールに包まれたままの、1ダースの避妊具が入っているという紙でできた小箱――さっきゅんが持ってきたかいふくチェリーのかご盛りに埋もれていたものだ。
「……わ、若いね」
「だから、そういうのいらないって。呪いがかかってると思うんだけど、どう?」
「うーん?」
あくましゅうどうし様がそれを持ち上げて様々な角度から眺める。
「あー、呪われてるねぇ。このナイロンを開けたら呪われそう」
「だよね」
おかしいと思った。
いっきゅんは確かに「さっきゅんにはあまり淫魔っぽいことをしてほしくない」と言っていたから、そういうことを勧めるとは思えなかった。淫魔の鉄板ジョークという線もあるかと思ったが、かなり直球の牽制のようだった。
「でもこれ、このまま開けずに放っておけば消えるタイプだと思う」
「珍しいけど、そういう呪いもあるね」
「悪魔の郷謹製って書いてある……、あー! これ、あれだ! もらってすぐ使おうとしたら呪われるやつだ。ジョークグッズだったけど父兄が贈るっていうので昔流行ったよ。よく手に入れたねぇ」
そんな悪質なジョークグッズがあってたまるか。
あくましゅうどうし様が「期限はたぶんここらへんに書いてないかな」と指差したあたりを見ると、髪のような細さの線の文字で《開封時期:プレゼント後半年》と書かれていた。贈るという行為を感知するというのは、かなり高度な術のような気がするけど、期限が長いからすぐに贈ることを前提にしているのだろう。半年というのはおそらく誤差がある。
「ありがとう、あくましゅうどうし様。とにかく気味が悪くてさ。これがなんなのかわかっただけで十分だよ」
「解呪しようか?」
「いいよ、使う予定はないからおいとく」
「……若いんだからチャンスはいくらでもあるよ」
「憐れまれる感じでもないから!」
わざわざ訂正しなくてもいいとも思うけど、それでも聖職者の微笑みで言われることではない。
いっきゅんは呪われてないオレを見たら驚くのだろうか、当然だと思うのだろうか。ラメの入ったパッケージをぼんやり眺めていると、思ったことが口をついて出ていた。
「これもらうのってさ、オレかなり嫌われてるよね」
「え?」
「呪われるんだよ? それどころか下手したら呪われるのはオレだけじゃないし」
「あ、そっか。のろいくんは若いから知らないんだね。これさ、元々はジョークグッズだけど、知ってたら使えないでしょ? だから、『君は簡単に使わないって信用するよ』って意味で渡すのが流行ったんだ。そっちの意味だと思うよ」
「……ずいぶんトリッキーな意訳だね」
「今はもう、こういう斜に構えたのが好きな悪魔族くらいしか知らないかもね」
それはオレが知らないと無理のある贈り物じゃないか?
「最初はジョークのつもりで渡して怒られた誰かの苦し紛れの言い訳だっていうのは有名な話だね。流行なんてそんなものさ」
「センスはないけど、少なくともただの嫌がらせじゃないみたいでよかったよ。ありがとう」
長い溜息をつくと、あくましゅうどうし様はくすりと笑った。
全然関係ないけど、このひと姫が絡まなきゃほんとにまともだなと思う。
「それじゃ、もう大丈夫みたいだから行くね」
「ありがとうございました」
意図や効果がわからない呪いだったけど、あくましゅうどうし様の言う通りなら気にすることはないのかもしれない。
このまま今日の仕事は終わりにしよう。アトリエを簡単に片付けてから部屋に戻る。例の小箱はベッドサイドテーブルではなくピーツァルトが届かない高い戸棚にしまうことにした。
さっきゅんは今、何をしているんだろう。通信玉で連絡を取ってみると、部屋にいるらしく部屋着姿のさっきゅんが映った。
『体調良くなった?』
「完全に良くなったよ。昨日は本当にありがとう。あのさ、次の休みはいつ?」
『んーと、5日後かな』
「オレもその日休み。今度こそ、城下町に行こう」
『うん!』
その時、さっきゅんの視線が画面から少し外れた。
『……え?』
「え?」
『だめ、のろいさんと二人で行くの。……だーめ』
完全に誰かいる。
姫だろうか。あの人、恋愛とかわからなそうだし。
他に、行くと言い出しそうなのは……、いや、本当は一番言い出しそうな相手が思い浮かんでいる。
『ごめんのろいさん、お兄も一緒でいい?』
「……いいよ。姫が教えてくれたところに行こう」
『うん!』
こうなったら完膚なきまでに健全なお付き合いを見せてやる。一つの文句も言わせない、完璧なデートをするしかない。
柄にもなくムキになっているのは、自覚していた。
さて、当日。
オレの部屋からさっきゅんの部屋までの途中にある花屋で花を一輪買った。活けてから出掛ければ邪魔にもならないはずだと姉さんに言われたので、どうせ待ち合わせ場所も決めていなかったし部屋に迎えにいくならちょうどいい。
瞳と同じ色の花を差し出すと、さっきゅんはぱっと顔を輝かせた。いつものワンピースにパニエではない、可愛らしい服で、髪型もツインテールだった。じっと見つめてしまうと、「姫がしてくれたの」とはにかんで教えてくれる。
「可愛い」
「のろいさんもおしゃれだね」
それから、さっきゅんはウキウキとガラスのコップに水を入れて一輪挿しにした。……次は花瓶も買おう。
軽く見渡してみたが、近くにいっきゅんの姿はない。
「お兄が来る前に出掛けよう」
「いいの?」
「いいのいいの! 茶化したいだけなんだから」
さすがに城内で手を繋ぐのは躊躇われて、ただ並んで魔王城の門を抜けようとすると「遅かったな」と声がした。開始5分で二人きりのデートが終わってしまった。
「お兄……、こっちにいたの」
「じゃあ、改めて出発だね。えっと、今日は歩いて城下町に行く予定です」
いっきゅんは頷きながらちらっとオレを見た。
「呪われてないんだな」
「……おかげさまで」
このひとクロだ。真っ黒だ。あくましゅうどうし様、気にしなくていいんじゃなかったの!?
ひどく動揺してしまったが、さっきゅんが「何言ってんの」とあしらう。
「変なこと言わないの。のろいさんの《のろいのおんがくか》って呪われてる音楽家のことじゃないよ」
「そうか」
「ちょっと道がデコボコしてるね」
そう言ってさりげなくさっきゅんと手を繋ぐ。さっきゅんは少しだけ口元をほころばせた。
「じゃあオレも」
そう言って、いっきゅんがさっきゅんの手をとるのかと思えば、オレの手を握った。
「いや、なんでですか!?」
「お兄、あんまりのろいさんに迷惑かけると怒るからね」
「別に迷惑じゃないだろう」
いや、迷惑です。
その一言を飲み込み、しばらくそのまま黙って歩いていると、いっきゅんは歩き疲れたと言って城下町まで飛んでいってしまった。自由すぎる。
さっきゅんは「いいなぁ」といった。オレも飛べないので移動が楽そうなのはうらやましい。さっきゅんは、いっきゅんが飛べるなら練習でどうにかなるかもしれない。オレは、姉さんみたいに翼があるわけではないので姉さんのようには飛べないし、むしろ尾羽が邪魔で飛べない。そしてそれは練習してどうにかなるものではない確信がある。これは、鳥獣族の方がわかる感覚かもしれない。そもそもオレは飛べる鳥ではないのだ。
「のろいさん、お兄のこと本当に怒っていいからね」
「うん、大丈夫。君に害がないってわかってもらえればいいから」
「お兄がそこらへん考えてるとは思えないけどなぁ」
さっきゅんは小さくため息をついた。やれやれ、という表情が可愛い。
「さっきゅんのこと、とても大事に考えてると思うよ。あ、門が見えてきた。町についたらどこに行く?」
「ちょうどお昼の時間だから、カフェに行こう」
「それも姫のおすすめ?」
「うん、可愛いでびあくまパンケーキがあるんだって」
「でびあくまパンケーキって聞いたことある気がする」
どこで聞いたんだっけ。カフェに行ったことはないと思うんだけど。
カフェのテラス席で優雅に座っているいっきゅんが手を振り、魔王城を出るときはかけていなかったサングラスを少しずらしてアイドルか何かのようにばちんとウインクをした。周りの女性がほうっと恍惚の溜め息を漏らす。
そんなキザな仕草が許されるのはイケメンだけだと思うが、完全に許されている側のひとだ。
「でびあくまパンケーキが美味しいらしい」
「《人質の姫考案、のろいのパティシエ完全監修!!》だって。のろいさんが開発したの?」
「うーん。監修の仕事は受けた覚えないね。……あ、でもそういえば……」
――鳥ボーイ、パンケーキででびあくまを作りたいんだけど、こういうのどう?
――いいんじゃない?
「――っていう会話を姫とした気が……」
「監修じゃないね、それ」
「オレの名前を出すのはやめてもらわないとね」
ただ、どのくらい急いで対応するか決めるのは食べてからでいい。
不味かったらこの場で抗議するけど、美味しければ姫が勝手に書いたのか店が勝手に書いたのかを調査してからでも問題ない。姫に言われるまま書いていたら店側も被害者だ。姫は仕事に関しては恐ろしいほどに真面目だが、姉さんに売りつけていた饅頭の件もある。
今のところは誰も損をしていないなら、できるだけ穏便に済ませたい。ただ、知ってしまった以上は放置できない。
何故デートにきて仕事が増えるのか、理解できないけど。
「のろいのパティシエ監修をうたっている店なら、さっきざっと見ただけであと3軒はあったぞ」
「うわぁ……。それなら魔王様に相談して一気にどうにかした方がいいかも。今日はいったん目をつむる」
曲がりなりにも人気店だというのだから、今すぐどうにかしなきゃいけない味ではないだろう。というか、そうであってほしい。そうでないと、オレの名前に傷がつくことになる。
パンケーキがやってきてさっきゅんが「可愛い」と言うまでは、ほとんど祈るような気持ちだった。
見た目はいい。パンケーキはふわふわで、でびあくまの柔らかいボディに近い。チョコを使って描かれた顔はでびあくまの特徴を捉えているものの、チョコまみれという印象はない。むしろ、映えを意識して作られていて、女子に人気があっても何の不思議もない。もう少しクリームやアイスを使って立体感があってもいいんじゃないかとも思うけど。経費の問題かな。
問題は味だ。慎重にナイフを入れた時だった。
「ふふ」
不意に可憐な笑い声が耳に飛び込んできて、はっと顔を上げる。さっきゅんが微笑んでこちらを見ていた。
一瞬で後悔が駆け巡る。今はデートの途中なのに、オレは自分のことばかり――……。
「のろいさんの真剣な顔見るの、好きだなぁ」
ひゅっと喉が詰まる。心臓を鷲掴みにされたような、ぎゅーっと内臓を甘く抱きしめられたような、初めてモーツァルトを聞いたときのような。
オレも好き。そんな言葉が零れ落ちそうになるのをぐっとこらえていっきゅんを見遣ると、ぽっと顔を赤らめていた。たぶん、俺と同じくらい。
「……もういいですか」
「仕方ない。これ以上一緒にいるとオレの方が砂糖を吐いて死ぬ」
いっきゅんがパンケーキをぺろりと平らげて席を立つと、さっきゅんは「お兄」と呼んだ。
「何か、怒った?」
常に余裕のあるいっきゅんが驚いた顔をして、それから笑ってさっきゅんの頭を優しく撫でた。
何歳くらい離れているのだろうか。年の離れた妹だと、可愛いものなのかもしれない。
「怒ってなどいない、さっきゅん。全く怒ってないんだ。のろいくんと仲良くな」
「うん!」
え、これ、今度こそ認められた……!?
いっきゅんに手を振ったあと、さっきゅんは椅子の背もたれに体を預けて天井を仰いだ。
「やっと行ったー」
「やっぱりお兄さんがいると恥ずかしい?」
「ううん。お兄がいると、のろいさんがお兄にばっかり構うから嫌だなと思って」
「それは、ごめんね」
「うがぁ……、顔と言葉があってない」
さっきゅんはオレの緩み切った頬をむにっとつねった。彼女の前でだけは、相変わらず格好が付かない。
それにしても、さっきゅんが淫魔の落ちこぼれだなんて言った奴は本当に見る目がなさすぎる。改めてそう思った。