Mymed

最低の二度寝からの脱出

 この日、あくましゅうどうしは休みをもらって朝から惰眠を貪る予定だった。昨夜はゆっくり寝ていつもよりもぬるいけんこうミルクを飲もうと心に決めて床についた。
 そうして、清々しい朝。目が覚めてみれば部屋の周りに誰かが歩き回るような気配はない。魔王城に就職したての頃は惰眠を貪り誰かが働く足音を聞きながら二度寝したものだ、と思いながら腕の中にいるでびあくまを支えつつ目覚まし時計を見た。時計がさしているのはいつも起きる時間よりも数十分ほど遅いくらいの時間だ。
 それから、目を閉じてもう一度でびあくまをぎゅっと抱きしめ直し――……。

(あれ、昨日の夜……でびあくまと寝たっけ)

 はたと思い至ったのは、前の晩にでびあくまに逃げられたということだった。何故逃げられたのかは定かではないが、とにかく一人でベッドに入った。
 では、この腕の中にある温かいものは一体。
 あくましゅうどうしには、彼の部屋というプライベートな空間に勝手に入ってくる人物に心当たりがあった。

(いやいやいや……)

 目を開けるのに勇気がいる。
 頭が乗っているらしい左腕には、でびあくまではない骨の硬さを感じる。そうして指先で感じるのはシルクのような髪。その髪からはほのかにはちみつの香りがする。そのような髪を持つ人物にも、あくましゅうどうしは心当たりがあった。
 じんわりと冷汗が噴き出し始めている。

(いや、まだ姫と決まったわけでは)

 意を決してうっすらと目を開けてみる。
 黄金比の曲線を描く輝かしい銀髪、そして可愛らしいリボンがあしらわれたお手製のヘアバンド。もう間違いなかった。

「ぎゃあああああああっ」

 叫びながら、姫の腕枕となっていた腕を引き抜き、ベッドから転げ落ちる。壁との間にしゃがみ込み、そっとベッドの上をのぞく。
 目をこすっても、深呼吸をしても、間違いなく姫がすやすやと寝ていた。

「姫……? 事案……? ……けがした……? ……死……?」

 もはや単語しか出てこないあくましゅうどうしをよそに、姫は眠り続けている。少し寒いらしく、布団をかぶりなおして枕を手探りで探す。
 あくましゅうどうしは枕を取り上げ、姫を起こそうと決心した。誰かに見られる前に出ていってもらうか、自殺しなければならない。

「ひ、姫――……」

 姫を起こそうとしたとき、コンコンとノックの音がした。ヒッと息を止めて様子を窺っていると、「あくましゅうどうし様」ときゅうけつきの声がした。あくましゅうどうしはじっとドアノブに目を凝らした。しっかりと鍵がかかっているのを確認し、わずかに緊張を解く。

「あくましゅうどうし様、どうしました?」
「え? な、なにが?」
「すごい悲鳴が聞こえたので」
「あ……、いや、大丈夫、べ、ベッドから落ちちゃってね。うるさくしてごめんね」
「今日お休みですよね、ゆっくりなさってくださいね」
「ありがとう」

 きゅうけつきの気配がドアの前から離れたのを見計らって、再び姫に視線を戻す。と、アメジストに王家の証である星を湛えた宝石のような瞳がこちらを見ていた。
 ヒィっと声が漏れる。いつから起きていたのだろうか。起こそうと思っていたのに、今度はいつの間に起きていたのだと苦悩する。

「……おはよう」
「おはよう、姫。……じゃなくて、なんで!?」
「……枕を奪われた気配がして……起きた」
「うん、私の枕、今日洗濯しようと思ってたやつだからね、やめてほしくてね? じゃなくて! なんで! ……添い寝……になってるの!?」

 添い寝という単語だけ小さな声で言うと、姫はぱちっと大きく瞬きした。

「二度寝をしようとしたら……君がいて……、帰ろうとしたんだけど、君に引っ張られ」
「ああもうごめん! ごめん聞いた私が悪かった!」

 真っ赤な顔を両手で覆いつつうずくまるあくましゅうどうしを見て、姫は小首を傾げた。

「よく眠れたね」
「よく眠れたなら……よかった」
(いや、一から十まで何も良くないんだけど!)

 セルフツッコミを入れながら、ようやく足に力が戻ったあくましゅうどうしは立ち上がった。心を鬼にして姫に帰れと言うために。

「それじゃあ、帰ってくれるかな」

 ドアを指差すと、姫はまた小首を傾げた。というかこの姫、話しているのに寝転んだままなのはどういうことだろうと心の隅で思う。

「……? やっとベッドが空いたのに?」
「あのね、本当に何度も言ってると思うけど! 異性の寝室に入っちゃダメなの! 特に!」
(君を好きな男の部屋には)

 そう言おうとして、こんな不本意な告白があってたまるか、という思いと思いを伝えるつもりはないという意思が言葉を詰まらせ、グッと唇を噛んだ。

「……特に、私の部屋には」
「でも、私も前も言ったと思うけどいい匂いなんだから自信持って! 今日もすぐに眠れたし、枕もたぶんいい匂い。返して!」
「いや返すも何もこれは私のだから」
「ぬー」

 枕を背中に隠すと、姫はようやく体を起こした。
 ようやく帰ってくれる、とほっと息をついたものの、姫はベッドからおりるかと思いきや、その上にすっくと立ってあくましゅうどうしの目の前に仁王立ちしている。混乱するあくましゅうどうしの両肩を掴んだ。

「立ってる君を見下ろすなんて滅多にないね」
「ひ、姫……?」

 あくましゅうどうしの両肩を掴んだ姫が顔をぐいっと寄せる。あくましゅうどうしがぎゅっと目を閉じると、後ろ手に持った枕が奪われた。もう一度目を開けると、姫は枕をがっちりと抱きかかえる形で寝転んでいる。早くもまどろみの淵にあり、幸せそうに目を閉じている。

(……わかってた……、わかってたのに、何を期待……いや、期待したのか、私は)

 もう怒る気力もなく、ベッドと壁の隙間で崩れ落ち四つん這いになり、嗚咽すら漏れそうになるのをぐっと堪えて自省する。
 してもいい期待と、してはいけない期待がある。今のは、きっとしてはいけない期待だった。いくら太陽が眩しくても、近付いては焼かれてしまうように。この人は、眩しく思うのもいい、あたたかく思うのもいい。けれど触れてはならない。そのくらい、わかっている。
 しばらくの後、あくましゅうどうしは立ち上がって空笑いをした。少なくとも、寝ている間に嫌われるようなことはしなかったらしい。それだけでよかったじゃないか。そんな風に全ての問題から目をそらし、あくましゅうどうしは休日用の私服に着替えた。

(死に場所の候補を探そう。……隠れ家みたいなところがいい)

 部屋の鍵をかけて、ふふっと笑う。

(シーツ、今日は変えなくてもいいかな……。って、私のバカ!)

 この日、魔王城では自己嫌悪で崩れ落ちているあくましゅうどうしが何度も観測されたという。

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結局追い出されとる。