Mymed

トップアイドルにさよなら

 ブドー・カン。それは、アイドルならば誰もが憧れる夢の大舞台。ここでワンマンライブを開催し満席にすることは揺るぎない人気の証となり、アイドルにとって一種のステータスである。

「大きいねぇ」

 姫がのんびりと感想を言うのに対し、さっきゅんはガクガクと膝を震わせていた。

「ほ、本当に……こんな大きなところで……?」
「えぇ、予約できそうですの。といっても、今回は神と神と神 with MHさんとのツーマンですけれども」
「えっ、それって、ポセイドン様たちの……!?」
「えぇ」

 神と神と神 with MHは、ハデス、ポセイドン、ゼウスの神族三兄弟を姫がアイドルとしてプロデュースした人気アイドルユニットである――というのは、今更説明もいらないことである。しかしゼツランはその存在を知らなかったようで、首を傾げた。

「人気なのか?」
「うん。人気アイドルだよ」

 さっきゅんが説明すると、プロデュースした姫も誇らしげに頷く。

「今回はツーマン……、お互いのファンを引き込む絶好のチャンスですわ。そして、ゆくゆくはこのブドー・カンでの単独ライブを目指す、というわけです。今のうちにハコの広さを体験しておくのは、きっといい経験になります」

 ステージに立って見渡すと、最後列は豆粒ほどにしか見えない。

「ここで歌う……」

 さっきゅんが不安げに見渡す間も、姫とゼツランはステージの端から端まで走ってはしゃいでいた。

「さて、見学は終わりですわ。戻りましょう」

 ネオ=アルラウネはさっきゅんが想像以上に不安そうにしていたことを重く受け止め、解散後にさっきゅんを呼び戻した。先ほどまでの不安げな表情は消えていたものの、精神的な疲労は見てとれた。

「さっきゅんさん、はじめに貴女がとてもアイドル活動を頑張ってくれていることは運営もファンの方も理解していることをお伝えしておきますわ」
「えっ、何ですか急に……、ま、まさかクビ!?」

 さっきゅんが雷に打たれたように硬直するのを見て、慌ててネオ=アルラウネはなだめる。

「そんなわけありませんわよ! 私はただ、先ほどとても不安そうにしていたのが気になっただけです。自信がないのなら、つけていただこうと……」

 さっきゅんはほっと息を吐いて、自嘲気味に笑った。

「あー……、えっと、アイドルとして……っていうより、なんというか……アイドル以外の自分の、何も無さに……。一緒にライブをするハデス様とポセイドン様は十傑衆だし、ゼウス様だって全知全能の神様で……、これまで必死にアイドルしてて考えてなかったけど、プロデューサーだって、本当なら話すことなんて滅多にない十傑衆で……って考えたら、怖くなっちゃって」

 ネオ=アルラウネが思いもよらなかった言葉に目を見開く。

「……怖い?」
「場違い、というか……身分不相応、というか……。姫はお姫様で、オジョーもかえんどくりゅう様の親戚で……」
「つまり、ひとりだけコネがないのに人気を競り合っている素晴らしいアイドルということですわね」
「……プロデューサー……」
「もちろん、姫もオジョーさんも元のポテンシャルは貴女より高いかもしれない。その上で努力しています。けれど、それ以上に貴女が努力していることは事実……、いえ、周知の事実です。それに――……」

 不安そうなままのさっきゅんが「それに?」と促す。

「いえ、とにかくもう少し自信を持ってくださいな。貴女のファンは確かにいるのですから」

 さっきゅんは少し逡巡したのちに、小さく頷いた。

(それに、貴女はやるときはやる子だと、知っていますわ)

 ネオ=アルラウネがさっきゅんの頭をそっと撫でる。

「うがぁ」

 さっきゅんは先ほどまでの不安げな顔はどこへやら、けろっとして笑った。ネオ=アルラウネもほっと息をつく。

「……今、お話しても大丈夫そうですわね。実は本題はここからですのよ」
「え!」
「貴女に単独の依頼が来ていますの。なんでも撮影ありのインタビューだとか」
「インタビューを受ける単独の撮影のお仕事……。……えっと、確か、淫魔にそういう仕事ありますね!」

 さっきゅんがピンときた顔で勝手に納得すると、ネオ=アルラウネは「違いますわよ!?」と語気を強めた。

「正真正銘、全年齢向けのアイドルのお仕事ですわよ。貴女のことは絶対に守ります。媒体は冊子と聞いていますので、おそらくアイドル雑誌でしょう。撮影も衣装のみで交渉するつもりですわ」

 どうやら、まだ完全に引き受けてはいないらしい。ネオ=アルラウネはさっきゅんの意志を尊重するつもりのようだ。さっきゅんは、そういう些細な気遣いも嬉しく思っている。

「ただ、そのインタビューの日――明後日なのですが……、わたくしの本職の方で出張がありまして、貴女のお兄様に臨時のマネージャー業をお願いする予定です」
「お兄に、ですか?」
(プロデューサーはあんまり関わりがないから、お兄のサボり癖を知らないのかも……)

 さっきゅんが自らの兄の仕事ぶりについて不安視するとは思いもよらないのだろう、ネオ=アルラウネは微笑んで頷いた。

「えぇ。頭出しのみで正式な依頼はまだしていませんが、引き受ける心づもりをしておくと返事してくださいましたわ。そもそも、お話を持ってきてくださったのが貴女のお兄様ですのよ」
「お兄ったら」
「それでは、インタビューは引き受けると返事しておきますわね」
「はい!」

 こうして、さっきゅん初の単独インタビューが決まった。

***

 一方、さっきゅんを心配していたのはネオ=アルラウネだけではなかった。ステージでははしゃいでいたが、姫やゼツランもさっきゅんを気にかけていた。

「サキュンの様子、おかしかったよね……」
「あぁ。じゃが、プロデューサーがフォローをしてくれるはずじゃ。さっきゅん先輩は強いひとじゃし」
「……うん」
「それじゃ、またな」
「うん、またね。お嬢」

 姫がそこから目指したのは、牢ではなくのろいのおんがくかのアトリエだった。

「……また勝手に入って……」

 ため息をつきつつも、のろいのおんがくかは姫を追い出すこともせずピアノに向き合ったままだった。

「サキュンが元気なかったの」
「えっ、また炎上とか」

 のろいのおんがくかがピアノを弾く手を止めて姫を見た。姫は彼の露骨な興味の有無を気にも留めずに怪鳥を撫でている。

「ううん。今度のライブ会場がすごく大きくて……たぶん緊張? それでさきゅ担の君に、相談にきたの」

 のろいのおんがくかは『さきゅ担の君』という単語にピクリと反応したが、特に反論も否定もしなかった。

「そういう基準だと、オレは何もできないよ」
「……? サキュンのこと、好きだよね?」
「それには答えるつもりはないけど、オレは同僚としてなら手助けやフォローができるけど、アイドルのファンとしては応援しかできないんだよ」
「応援でいいんだよ」

 姫は当然のようにさらりと答えた。

「レオくんも、私のことを蘇生ってカタチで応援してくれてるでしょ。ペンライトを振るのだって応援だけど、応援ってそれだけじゃないよ」
(……姫、あくましゅうどうし様が自分を推してるっていう認識があるんだ)

 その点については少し意外だった。のろいのおんがくかは「応援でいいなら」と、口を尖らせた。

「オレじゃなくて……、姉さんでもいいじゃん。姉さんは箱推しだし」
「……。そうだね」

 姫は顎に手を当て、一瞬の沈黙の後に答えた。

「でも、なんとなく、君じゃないとって思った。……なんでだろ」
「……知らないけど」

 姫に気付かれないように、のろいのおんがくかは細く息を吐いた。

(姫って、あんまり具体的にわかってる感じじゃないけど、意外と鋭いんだよなぁ)

 お互いが意識しているだけで、彼らの関係は《同僚》、《姉の友達/友達の弟》、そして《アイドルとファン》でしかない。そして、彼はその関係を慎重に維持している。近付くことは決してないが、離れることもない。

「オレはいちファンじゃないと、迷惑をこうむるのはさっきゅんなんだ。これ以上、ファンとして特別扱いされるのは危ないと思う」
「ぬぅ。ワカッタ」

 姫が一応の納得をみせ、のろいのおんがくかはほっと息を吐いた。姫との会話は、いろんな意味で呼吸もままならない。間違えてはならないと、無意識に止めている時間がある。

「君がいちファンなら、いいわけだ」
「話聞いてた!?」

 そこからの姫は早かった。止める間もなく通信玉を取り出した姫は、軽く事情を説明してゼツランとサンドラを呼び寄せる。程なくして、のろいのおんがくかのアトリエにサンドラとゼツランがやってきた。

「――というわけで、砂風呂くんには、鳥ボーイにコミュニティの使い方を教えてほしい」
「わしはなんのために呼ばれたんじゃ?」
「お嬢にはただ来てほしかっただけ」

 仲が良いな、とのろいのおんがくかがふたりを見ていると、サンドラはふんっと鼻息荒く手をひらひらと振った。

「なんで私がそんなことしなきゃいけないんです。どうしてもお嬢を連れてきてほしいというから連れてきただけで、私はアイドルファンのコミュニティなんて知りませんし」
「そうじゃそうじゃ、サンドラはライブだってこの前初めて来たくらいじゃぞ」
「……初めて……?」

 のろいのおんがくかがサンドラの方をチラッとみると、サンドラの手は震えていた。瞳孔は開き、血の気は失せている。

(あぁ、オジョーさんを連れてきたのはこのためだな)

 姫がにこっと笑うと、サンドラは「……わ、私も一緒に見ることくらいは……できますからね」と小さな声で言ってプルプルと震えながらのろいのおんがくかを部屋の隅に引っ張った。

「……隠してるんですね」

 のろいのおんがくかの確認を無視して、サンドラは早口で喋り始めた。

「……コミュニティには一定のルールがあります。推しを上げるために他のメンバーを下げるのはダメ、など――……まぁ、当然のマナーですね。ファンクラブには入ってますか?」
「いえ、姉が入っているのでオレは……」
「ではまずファンクラブに入りましょう」

 サクサクとファンクラブ加入とファンコミュニティへの加入まで済ませると、サンドラは少し冷静になって「ところで何のために加入するんです?」と姫に尋ねた。

「鳥ボーイ個人でサキュンの応援が嫌なら、みんなですればいい」
「なるほど」
「いや、オレは何もなるほどじゃないんですけど」
「つまり、ファンコミュニティで祭りをするわけですね」

 サンドラが言い直してもゼツランとのろいのおんがくかにはちんぷんかんぷんだった。彼の説明によると、祭りというのは特に定義はないものの、コミュニティ上で時折起こる一つのムーブメントを盛り上げる大きな流れのことで、ポジティブなものらしい。本来は自然発生的に起こるもので、起こすものではない。しかし、さっきゅんを応援する祭りを起こそうというのが、姫が狙っていることだった。

「えぇと、さっきゅんさんの元気がなかったから応援したいという話でしたよね」
「うん」
「その祭りってのをするにしても、何か理由とかはいらないんでしょうか?」
「それじゃあ……、デビスタグラムでさっきゅん先輩が元気なくて心配じゃって投稿してみようかの」
「それを受けて、オレが応援のための何かをする、そしてサンドドラゴンさんが便乗することで、祭りが始まるということですね」
「私も!? 役目は終わったはずでしょう」

 サンドラがぎょっとして立ち上がる。のろいのおんがくかが冷めた目で見つめるのも気にせず、サンドラは姫に訴えかける。

「サンドラもさっきゅん先輩のこと心配じゃろう?」
「うっ、それは……」
(姫はどこまで計算してオジョーさんを連れてきたんだろう)

 のろいのおんがくかがチラリと姫を見るが、姫の表情からは何も読み取れない。ただ確かなことは、姫の思惑通りに事が運ばれているということだ。

「それじゃ、そういう流れでヨロシク」
(そういえばこれ、プロデューサーに言わなくてええんかのう)

 ゼツランは小首を傾げたものの、その疑問を口には出さなかった。

***

 いっきゅんとの会話は、頭が痛くなるようだった。同じ魅了の使い手として、彼の魅了にかかることはない。それでも警戒したネオ=アルラウネは、かえんどくりゅうを連れていった。心の置き場所を認識していれば大丈夫だと考えたからだ。それが意外にも悪手で、彼は彼女以上に警戒心むき出しだった。
 いっきゅんへの用件は、もちろんさっきゅんのインタビューの件だ。マネージャー業を任せるにあたり、気を付けてほしいことなどを一通り伝え、当日持って行く菓子折りも用意している。

「あぁ。了解した、魔王城の美しき花よ」

 いっきゅんの返事はこればかりで、伝わっているのかいないのかの判断がつかない。

(とはいえ……。彼は次世代の十傑候補とも名高い方……了解したと言うなら、大丈夫なのでしょう)

 ネオ=アルラウネはこめかみを押さえながらも、時間を割いてもらったことに礼を述べて立ち去ろうとした。その時にわざわざいっきゅんがくすっと笑った。

「貴女ほどの女性に警戒されるなんて、名誉なことだ。……ただ一つ伝えるならば、警戒している女性ほど落としやすいものはない」
「なんだと」
「おっと、俺は経験上そうだと言ったまでだ。炎の毒竜よ。君たちをどうこうしようなど考えてはいない。怒られそうなので、挨拶は君に」

 いっきゅんはかえんどくりゅうの手を取り、その甲に唇を付けた。

「なっ!?」
「……。それでは、明後日はよろしくお願いいたしますわ」
「あぁ」

 そこからのかえんどくりゅうは放心していて、帰路の半分はネオ=アルラウネが蔦を巻き付けて運んだ。目的地はネオ=アルラウネの部屋。本日は元々、ふたりで部屋飲みの約束だった。

「……疲れた……」
「そうだな。飲むか」
「えぇ、飲みましょう」

 軽い乾杯後、通信玉を眺めたネオ=アルラウネはワインを味わう余裕もなく、ゴクッと飲み込んだ。

「そういう飲み方よくないと思いますー」

 冗談めかして言うかえんどくりゅうに、溜め息をつきながら通信玉を見せる。

「お嬢の投稿? なになに、『今日は練習デーじゃ。さっきゅん先輩、ちょっとお疲れみたいで心配……』? 何か問題か?」
「……炎上案件ですわ」

 ネオ=アルラウネが頭を抱える。テーブルに肘をついて顔の前で指を組んでうなだれる。まるで敬虔な祈りを捧げているような姿で、彼女は呟く。

「きちんとファンサービスをしてくださっているのにこういってはなんですが、オジョーさんのオフショット……ヘッタクソですのよぉ……」

 ヘッタクソ、という部分にかなり力がこもっており、かえんどくりゅうは「お嬢は自由にのびのびと育てられたからな」とフォローになっているのかなっていないのかわからないことを言う。

「この隠し撮りみたいな角度、さっきゅんさんの練習着も前衛的ですし……。ヤバそうですわぁ……」
「練習着、魔王様のオフTシャツと大差ねぇなぁ。でもダセェだけで炎上しないだろ」
「いいえ。この投稿では、最悪の場合さっきゅんさんを晒し上げているというオジョーさん叩きが起こりますわ。デビスタグラムの運用は慎重にとあれほど言っていますのに……!」

 ネオ=アルラウネはかえんどくりゅうが注いだワインを再びぐいっと飲み干し、バタンとテーブルに突っ伏した。

「起こってもないことを心配しても意味ないだろ。これまでみたいにどうにかなるさ」
「……すみません、ふたりの時は仕事の話はナシでしたわね」

 ネオ=アルラウネが顔を上げると、かえんどくりゅうはいたずらっぽくニヤリと笑った。

「なんだ、せっかく珍しく弱ってるとこ見れたのに」

 ネオ=アルラウネの頬にさっと赤みが差し、またテーブルに突っ伏す。先ほどと違うのは、そのまま目だけで見上げたことだ。

「……恥ずかしいから見ないでください」
「いや、それは無理そうだな」

 かえんどくりゅうがマスクの奥で目を細めると、ネオ=アルラウネは息を飲み、息を止め、その驚きは横隔膜を直撃し――。

「ひっく」

 ――しゃっくりをした。

***

 さっきゅんは早朝から張り切って本日の準備をしていた。しわにならない程度に畳んだ衣装を大きなバッグに詰め込み、メイクセットも丁寧に入れる。

「うーん……手土産ってどうするんだろ……。お兄が用意しているとは思えないけど、プロデューサーが準備してないとも思えない……。でも、それらしきものは見当たらない……」

 さっきゅんが借りている部屋はそれほど広くはない。何かあればすぐに気付くはずだが、見渡しても特に気になるものはない。ただ優雅に寝ている兄がいるだけだった。砦から戻ってきたいっきゅんが転がり込んできたときは数日のことだろうと思ったから許可したのに、内覧の時間を逃したとかでいつまでも居座っている。

「お兄! 起きて!」
「……やぁ、さっきゅん」

 いっきゅんは目を開いて、微動だにせずに微笑んで見せる。自我がある大抵の生き物にはこれで誤魔化しが効くが、妹に効くはずもない。

「起きて」
「天使に起こされては、起きないわけにはいかないな」
「淫魔だよ! 今日の仕事のために、プロデューサーから何か渡されなかった?」
「今日の……仕事?」

 いっきゅんは寝たままだったので、ただ視線を彷徨わせただけだった。

「アイドルの、インタビューのお仕事! プロデューサーの代わりに、お兄が来てくれるんでしょ?」
「あぁ……! その仕事か」
「それで、プロデューサーから何か預けられなかった?」
「……あぁ、あるぞ」
「え、どこに?」
「心配しなくていい、さっきゅん。取ってくる。そうだな、現地集合しよう。三十分もあれば大丈夫だ」

 いっきゅんは優雅に起き上がった。一緒に行こうとしたさっきゅんだったが、いっきゅんは非常に素早く部屋を出て行ったので部屋を出た時には既に見失っていた。
 いっきゅんは小さな倉庫の前で立ち止まった。さっきゅんには秘密にしているが、彼は妹の部屋で寝泊まりしているだけで部屋を借りていないわけではなかった。でびあくまの栽培はこの部屋で行っているので、大々的に言うこともなかった。この部屋に、ネオ=アルラウネから預かった紙袋を置いていた。

「危ない。忘れていた」

 彼はその紙袋を回収し、本日の現場――城下町のカフェに向かうことにした……が、二度寝を満喫してから行動することにした。
 いっきゅんが現場にやってきたのは、一時間後だった。もう既にインタビューは始まっていて、さっきゅんはメモを取る魔物の前にポツンと座っていた。まだ着替えていないため、普段着だ。

「お兄! もうインタビュー始まってるよ!」
「あぁ。本日はどうぞよろしく」

 いっきゅんはインタビュアーに恭しく手土産を渡した。インタビュアーは「ご丁寧にどうも」と言って受け取るだけで、遅れてきたいっきゅんへのクレームはない。さっきゅんはそのことに胸をなでおろしながら、「続けましょうか」と言った。

「どこまで進んでいるんだ?」
「そうですね……20%ってところですね」
「ロングインタビューなんですねぇ」

 さっきゅんがにこっと笑いながら言うと、インタビュアーはコクリと頷いた。

「休憩を取りながらにするので、中断の際はいつでも言ってください」

 和やかにインタビューが進んでいくのを、いっきゅんはソファーに横になりながら見ていた。
 休憩を挟みつつ進めたさっきゅんのインタビューは八時間にも及び、衣装での撮影も含めると十時間の長丁場となった。さっきゅんは少しも疲れを見せず、スタッフへのいたわりを見せる。

「そういうところが人気の秘密なのでしょうね。そうだ、最近のファンコミュニティでの祭りは知ってますか?」

 ファンコミュニティという言葉に、さっきゅんはわずかに恐怖の色を見せた。

「まさかまた炎上……ですか……?」

 絞りだすような声に、話題を振ったスタッフは慌てて否定し、通信玉を取り出した。

「これですよ。オジョーさんがアップしてたデビスタで、さっきゅんさんが元気ないって書いてあって……、ほら」

 通信玉には、さっきゅんへの応援の書き込みが映された。

「……うがぁ……」

 さっきゅんを応援するため、という名目で顔の前で黄色のライトを灯したペンライトを振っている写真をアップしている書き込みが多い。顔の前で振っているため、ブレたペンライトで隠れていて誰なのかを特定することはできない。……知り合い以外は。

(あ、のろいさん……! サンドドラゴンさんも、はりとげさんも)

 心の中に温かいココアがじわじわと広がるように、体の芯から暖かい。

「……嬉しい……」

 投稿はやがて、箱推しのファンが三本のペンライトを振っている投稿をきっかけに、姫やゼツランのメンバーカラーを振っているものも混ざりはじめ、収拾のつかないものになっているようだった。

***

「……あ」

 発案者である姫は満足げに祭りを眺めていたが、ブレるライトの奥に見知ったふわふわの黒い耳と角を見つけた。

(ファンサービスを、しなくては)

 アイドル衣装に着替え、その場所を目指す。堂々と歩いていくので、仕事中の魔物たちはアイドルのダンス練習でもあるのだろうと気に留めなかった。そっと荘厳な扉を押し開けると、ステンドグラスから差し込む光は、いつもよりも色鮮やかにその男を照らした。

「あ、……ひ、姫! その格好でこんなところに来たらだめだよ! 出禁に……、いや、君のアイドル生命だって危ないんだから!」

 男はあわあわと適当なローブを引っ掴み、その姿を隠すように姫に羽織らせる。

「……ふふ、推し変の疑いすらも懐かしいね。今日は、ファンサービスにきたの」
「そ、それは……嬉しいけど……」

 その男――あくましゅうどうしは、姫に羽織らせた白いローブをぎゅっと握った。 それはまるで、ベールのように姫の額にふんわりとかかっている。
 そのまま、ライブでするように目の前の男に指を指してウインクをする。距離が近かったため、トンッと胸に指が当たった。あくましゅうどうしは心臓が破裂しそうになりガクリと膝を折ったが、なんとか意識は保った。しかし呆然としたまま、姫を見上げている。

「あのね、応援してくれて、嬉しかった」
「あ、うん。ひ、姫は私の……推し、だからね」
(嘘の、顔――……)

 あくましゅうどうしの真っ赤な顔を見て、姫は少しだけ口を尖らせた。

「……ネオ=アルラウネさんに、怒られないかい?」
「え? ファンサくらい、プロデューサーは許してくれるよ」
(ということは、みんなに……?)

 あくましゅうどうしの手が震える。姫は一通り満足して、ローブをかぶったまま教会を後にした。そしてそれは、すぐにネオ=アルラウネに発見される。そもそも、姫の牢から悪魔教会は少し遠い。見つかってしまうのは偶然でもなんでもなく、当然のことといえた。

「まぁ、姫ったら。アイドル活動のときはもう少し変装してくださらないと!」
「あ、うん。ちょっとファンサをね」
「あらぁ。デビスタグラムの更新ですか? それはいいこと――……」
「うん。レ……ヤギさんに、指差しウインクしてきた」
「……はい?」
「投稿をね、してくれてて」
「……そう……ですの」

 ネオ=アルラウネは眩暈がしたがなんとかその場に踏みとどまった。

(え? え? あくましゅうどうしさんにわざわざお礼に行ったと……? 行き違って手を振るのとは、全ッ然わけが違いますわ……)

 ネオ=アルラウネがチラリと姫を見ると、姫は嬉しそうにかぶっているローブをぎゅっと握りしめている。

「そ、そのローブは……プレゼントでして……?」
「あ、よくわかったね」
(アウトですわー!)

 ネオ=アルラウネはその場で膝から崩れ落ちた。姫は心配そうに駆け寄ってくる。うなだれて床に手をついたネオ=アルラウネの背中をさすり、「大丈夫?」と声をかけてくる。

「ひ、姫……アイドルの……引退を考えてらして……?」
「え、ううん」
(……まさか姫、自分で気付いていないとでも……? ……え、尊い――……ではなく!)

 ネオ=アルラウネは一瞬で方針を決定した。彼女の背中をさするためにしゃがんでいる姫の両肩を掴み、目を合わせる。

「姫、今は貴女も人気のアイドル……。ファンサービスは、デビスタグラムと握手会やライブのときのみにしましょう」
「え、でも……」
「えぇ、わたくしが推奨いたしましたし、とても素晴らしい姿勢ですわ。でも今は、以前と違って握手会やライブではお金を取っていますわ。魔王城に勤めているからと、その料金を払わずにファンサービスを受けることができるのは、他の熱心なファンの方に失礼ではありませんこと?」
「ぬぅ、確かに……」
「このことは、さっきゅんさんやオジョーさんとも話し合いましょう」
「ウン」

 ネオ=アルラウネは心臓が鳴りやむのを待ち、自らの部屋に戻ることにした。それでも、一歩踏み出すごとにふらふらと体の軸が揺れる。

(オジョーさんが炎上しなかったのは、大変によかったのですが……)

 それよりも大きな問題がある。姫のアイドル生命を揺るがすほどの、爆弾だ。姫だけではない。全員にアイドルとファンというだけではない、距離感のおかしい特別なファンがいることを、ネオ=アルラウネは意図的に無視してきた。
 一歩、また一歩と踏み出すたびに、今後の対応がはっきりと浮かんでくる。

(ツーマンでの解散を視野に入れなければならないかもしれませんわ……。いえでも、その前にワンマンを……)

 ぐっと下唇を噛む。
 ――見えますわ! このグループがアイドル界を制するのが!!
 あのときの言葉は、本心だった。けれど誰もが、アイドル以前にただの女の子だった。

「そもそも、根っからのアイドルでは……ありませんもの……」

 つぅと、温かいものが頬を流れていく。終わりを感じているのは、たぶん世界中で彼女だけだった。

***

 まだ企画書と会場の使用申請を提出しただけの段階だったので、神と神と神 with MHとのツーマンライブは白紙になった。元々ライブがしたかったわけではない彼らは、情報解禁前であったこともあってさほど抵抗なくライブ白紙を受け入れた。埋め合わせに彼らのワンマンライブ用にブドー・カンを押さえ直すと頭を下げても、拒否されたくらいだった。
 全員を集めた日、ネオ=アルラウネは深呼吸を一度してから話し始めた。

「予定が大幅に変わりました。ブドー・カンでは、貴女たちのワンマンライブをやりますわ。そこで最後に、重大な発表をします」
「え、でも、お互いのファンを引き込むって――……」
「えぇ、そのつもりでした。今回、ファンの間で起こった祭りで、新規のファンが獲得できましたの」
(それに、あちらにご迷惑をかけられませんわ)

 喜ばしいことを暗い表情で説明するネオ=アルラウネを、姫が見逃すことはなかった。姫は押し黙ってじっと窺っている。

「重大発表って……?」
「……解散発表、ですわ」

 アイスゴーレムがいるわけでもないのに、ひんやりとした空気が流れた。

「そんなっ!」
「い、嫌なのじゃ……!」

 さっきゅんやゼツランが動揺する中、姫は顎に手を当てて、まだネオ=アルラウネの様子を窺っていた。

「……プロデューサーは……、それが必要だって思ったってことだよね?」
「えぇ。貴女たち……、それぞれ、特別な方ができてしまったのではないですか?」
「……私が……」

 さっきゅんが表情をなくす。ネオ=アルラウネは少し俯き気味に首を振った。

「さっきゅんさんだけではありません。貴女たち全員が、普通の女の子に、戻るべきなのです」
「……。わかった」
「姫ッ! そ、それでも急すぎます。ひどいじゃないですか、プロデューサー!」
「だってプロデューサーが泣くほど悩んで決めたんでしょ。お化粧で隠してるけど、目元赤い」

 ネオ=アルラウネがさっと目元に手を当てる。さっきゅんが言葉を失い、静かに椅子に座った。

「……わかり……ました」
「全員、一曲ずつはセンターを務めていただきます。解散といっても、練習はこれまで以上に厳しく行いますわ」
「……望むところじゃ」

 目元ににじんだ涙をゴシゴシと拭って、ゼツランは気合十分に立ち上がった。

「プロデューサー、アジに連絡を取りたい」
「……えぇ、どうぞ。解散の件は内密にお願いいたしますわ」

 ゼツランは部屋の隅に移動することもなく、その場で通信玉を取り出した。

『おう、お嬢。会議は終わったのか?』
「アジ! わしは……次のライブが終わるまで帰らん! 練習場に泊まり込む!」
『はあ?』
「わしは……、わしは今、サンドラに会うわけにはいかないのじゃ!」
「……オジョー……」

 姫とさっきゅんは顔を見合わせ、同じ顔でニッと笑った。

「合宿だ!」
「となると、まずは寝具の準備だね」
「貴女たち、何を……」
「プロデューサー、私たち、最高のライブをするからね」
「……はい!」

 ネオ=アルラウネが涙をこらえながら、三人を抱きしめる。

(貴女たちをプロデュースできてよかった……。でもこれは、本当の最後に言わせていただきますわ)

 ライブまで、あと半年。実際に合宿し続けるというのは難しい期間ではあるが、アイドルたちの結束をさらに強くするには、十分な期間なのだった。

***

 そして、最初で最後のワンマンライブが開催される。
 それは伝説と呼んで差支えない鮮やかな熱をひとびとの心に残して、花火のように散っていく。

「みんな、またねー!」

 彼女たちは確かにトップアイドルに上りつめ、そして解散したのだった。

~完~