Mymed

同棲する話

お題箱より『成人後同棲かなあさ


 ――同性での恋愛が当然のように受け入れられることがなかったり、犯罪とされていた時代があったらしい。ワシらは今生まれて幸せなのかもな。
 浅草がそう言ったのは、二人で並んでソファーに座り、次に見る映画をDYAOで物色しているときだった。たまには映画を、という話になったのは、アニメだと浅草の意識が全て持っていかれてしまうからだ。映画ならばまだ金森が勝つ余地があった。

(浅草氏が私らの関係を恋愛関係と認めているとは思わなかった)

 思わなかったというよりは、期待していなかった。二人で出掛けることはあるし、その際に手を繋ぐこともあるし、キスをすることもあるし、それ以上の行為……はまだないが、ほぼ半同棲状態だというのに期待していなかった。
 一方通行とまではいかなくとも、浅草に好きとか愛してるとか、そんなことを言われたことはなかった。まぁ、金森が言うこともほとんどないのだが。自分のことを棚に上げながら、金森はそんなことを思っていた。
 何が言いたいのかというと、金森さやかは、彼女が好まない人種が求めるような愛情表現を欲していた。

(おや、金森氏が黙ってしまった)

 浅草は聴講している大学の日本風俗史の授業で出た話題を振っただけのつもりだったのだが、金森の表情は微妙だった。風俗といっても性風俗に関する授業ではなく、ファッションの変遷や流行した庶民の娯楽(そこにアニメがあると踏んで聴講している)の歴史の授業で、本日は同性愛の歴史の話だった。という説明を聞いていなかったわけではないはずだ。そもそも知らないこともないだろうし。
 となると、金森の微妙な顔は風俗についてではない。

(ワシらが共生関係ではなく恋愛関係だというような言い方がいけなかったかな)

 よりにもよって、浅草はその結論を選んだ。

(考えてみれば、金森氏がワシを好きだと言ったのは一度きりだ)

 浅草もまた、自分のことを棚上げして一方通行の想いだと思い込んでいる。
 二人とも、思い込んでいる。世のカップルのすれ違う原因のほとんどを占めるのが、「話し合わないこと」である。喧嘩するほど仲が良いとはよく言うが、喧嘩できるほど相手を知らない。
 同性カップルに対する世間の目は変わっても、カップルがすれ違うのは世の常なのだ。
 付き合いだして3ヶ月。これまた世の常の、3の壁が二人に訪れていた。

 

 時は遡ること3ヶ月前、浅草みどりは疲弊しきっていた。資本主義の国に住む以上避けられないのが就職活動である。
 水崎が大手のアニメ制作会社で1ヶ月インターンとして働いたこともあり、浅草は焦っていた。元々得意でもないのによく知らない人間に否定されるのだから浅草にとっては地獄のような日々だ。
 リクルートスーツに身を包み、慣れないパンプスを脱いだその場でむくんだ足を揉みながらふと見たメールには、今後の活躍のお祈りが記されていた。ため息を細く吐きだしつつ、冷たいフローリングにそのまま寝転がる。倒れこんだという方が正しいが、その動きすらひどく緩慢だった。

(私がアニメを作りたいのは好きだからで、)
(決してこの地獄から目をそらしたいわけではなくて)
(設定を考えるのが苦しいなんて)

 目を閉じれば、浅草が思い描く最強の世界ではなく、同じくリクルートスーツ姿の金森が思い浮かぶ。面接のときにはさすがに猫背を正すのだろうか、などと考えるとふっと笑ってしまう。
 実をいうと、この地獄への扉を開き背中を押したのは、他ならぬ金森だった。
 ――水崎氏を見倣ってインターンに行ってみたらどうです。
 ――会社を興すにしても社会人経験もあった方が――……。

(つらい)

 金森のフォローをするならば、彼女は自分の言葉ひとつで浅草がここまで自分を追い詰めるとは微塵も思っていなかった。聞き流すだろうと思っていたのだ。今回浅草がそうしなかったのは、単純に何事も経験を積んだ方がいいのは正しいと思ったからだが、金森の言葉だからというのも重かった。事実、関係が悪いわけでもない親に言われたとしても動かなかったのではないかと思う。
 でも無理なものは無理だった。
 前触れもなく玄関のドアが開いたのは、浅草がそこで寝転んでから数時間後のことだった。

「浅草氏、入りますよ――……、え、暗っ、どうしたんすか!?」
「金森氏、ワシ、無理だ」

 闇に溶け込むようなリクルートスーツの浅草に気付くのに数秒の時間を要した金森だったが、すぐに持っていた荷物を投げ捨て浅草を抱き起こす。

(意識はあるようだ、熱もない。……軽い。なんでこんな)
「就活、もう無理……」
「え、就活、してたんすか?」
「だめだ、もうできない」

 浅草が堰を切ったように涙をこぼししゃくり上げる間、金森はただ黙って抱きしめながら思考をめぐらせた。就活の話など一度も聞いたことがなかった。ではなぜ浅草はそんなことをしていて、そして自分の意志で退かずに金森にそれを告げるのか。
 金森の意識を引き戻したのは、蚊の鳴くような声の一言だった。

「嫌いにならないで」
「嫌いになんか」

 反射的に、ぎゅっと強く抱きしめる。

(離したらヤバそうだが、こちらも離したくない。せっかく距離を、保ってきたのに)

 金森は冷静になって自分の置かれた状況をみてみると、どういうことなのだと思わずにいられなかった。泣いて縋りつく浅草を可愛らしいとは思うものの、このままでいいとは到底思えない。
 まずは状況の整理をしようと、玄関の電気をつける。浅草を風呂に放り込み、その間に温かい食べ物を用意する。レトルトの焼き飯に牛乳とチーズを追加した即席ミルクリゾットだ。

「いやあ、取り乱して申し訳ない」
「どうぞ。食べてください」

 風呂から上がった浅草は泣いてしまった気恥ずかしさからか借りてきた猫のようにミルクリゾットを黙って食べた。不味いと思っても黙って食べた。

「で、就活してたんすか」
「まぁ……、社会人経験は確かに必要だと思ったのだ。某監督も火に触れなければ火を描けないと言っていたしな。いや、火を表現するためには触れなければだったか」
「で、無理だったと」
「そうなる」
「嫌いにならないでってのはどういう意味っすか」

 スプーンを口に入れた姿勢のまま浅草は固まった。そういえばそんなことを言ったが、ほとんど無意識だった。

(あれが、ワシの本心か。いやそれより、なんか金森氏怒ってないか)

 ちらっと正面を見ると、じっとこちらを見ている金森がいる。

「嫌いになるはずないでしょう。こっちがどれだけ慎重に行動してきたと思ってんすか」
「え、なんの話」
「なんの話? なんの話だと?」
「君、やっぱり何か怒って」
「私がおたくを好きって話でしょうが」
「……へ?」
「別に何も望んじゃいなかったけど、嫌いにならないでってのはだめですね。さすがにわかってなさすぎる」
「好きって、どういう」
「独占したくなる」
「どくせん」
「キスしたいと思っています」
「きす」
「セックスも」
「」

 セックスはさすがにオウム返ししなかった浅草も、何を言っているのかはようやく掴めてきた。
 告白をされている。逆ギレともいう。

「ワシのこと、好きってこと?」
「そう言ってるでしょうが」
「……え、では、好き同士ってことは、ワシら付き合うの?」
「!?」

 話が一足飛びで、今度は金森が面食らう番だった。

「えっ、いいんすか!?」
「うん」

 というのが、二人が付き合いだした経緯である。
 それから、元々合鍵を渡していた金森がほとんどの時間を浅草の家で過ごし半同棲状態になっている。

(いや、こうして思い返してみればワシらはまごうことなき恋愛関係だな。それは合ってた。金森氏がワシのことを好きと言ったのはこの一度きりだが、そもそもワシは一度も言っていないな)

 浅草が気付いたのは、例の微妙な空気になった夜の翌日だった。もっとも微妙な空気だと思ったのは浅草だけである。
 ほとんどの単位を取り終え聴講ばかりの浅草は、この日を家でのんびりと過ごしながらイメージボードを描く日としていた。あの日から就活はしていない。しなくてもいいと金森に言われ、意固地になっていたのが嘘のように就活をやめた。
 金森は会社設立のための準備に本腰を入れている。

(しかし何と言えば)
(好きって改めて言うのは難しいな。すごいことだ)
(脈絡なく言うのはもっと難しいぞ。世の恋人たちはどうしているんだ)
(いやでも、金森氏はこういうの、好きじゃなさそうだな。生産性があるかないかで言えば、ない)
(生産性があればいいのか?)
(そもそも恋愛に生産性なんてない)

 一人で悩んでイメージボードを描きつつ、料理を作りながら金森の帰りを待つ。しかし、いつまで経っても金森は帰ってこなかった。何かあったのかと電話してみると、金森は自宅に帰ったのだと言った。浅草の家に泊まっているだけで、半同棲なだけで、金森の家は自分で借りているアパートなのだ。その当然といえば当然の事実に、浅草は少しの衝撃を受けた。

(昨日の変な顔は、関係の終わりが近いことの、現れなのでは)
『でももう目当てのものも取って家の前で――……』
「あのな、金森氏。ワシは君が好きだぞ!」
「なんです急に」
「えっ、家に帰ったのでは」
「明日使うものをとって来たんですよ。しかし、好きなんですか? どういう心境の変化です? 今まで一度もそんなこと言わなかったくせに」

 金森は口角が上がるのが押さえられないと言った様子で浅草を真正面から抱きしめた。両腕を浅草の肩に置き、がっちりと捕らえて見下ろす。
 浅草は真っ赤になって逃げようとした。追いかけられて逃げる動物のようだ。

「目を見て言ってください」
「そ、そういうの、金森氏は好きじゃないかと。生産性のないことだし」
「んん、まぁ、そうですね。唾棄すべきものだと思ってきました。しかし存外、嬉しい。それで? 生産性のあることも考えてくれたわけですか?」
「ぐぬぬ、お見通しだな。一緒に住むことを提案しようと思っていた。君のアパートを解約したらどうだろう。そろそろ家賃の無駄に我慢ならんじゃろ」
「ずっと一緒にいたいと、そういうことですね」
(今日の金森氏は、なんか、……照れる)

 見下ろしたままの姿勢で唇を重ねると、浅草は抵抗をやめて金森の背中に腕を回した。金森が浅草の唇を形を確かめるように舌でなぞり、その隙間に舌を入れたとき、浅草は面食らって押しのけようとしたが、金森は逃がさなかった。唇の次は、歯の形を確かめるように。押し出そうとする舌を追いかけて。
 金森が持っていた物件チラシが散乱する部屋で、二人は初めてキスの先を体験したのだった。

「このチラシは……?」
「ここは一人暮らし専用なので、二人暮らしOKの部屋の間取りです。私も一緒に暮らそうと持ちかけようとしていたんですよ。家具のサイズを測ろうと思いメジャーを取ってきました」
「ワシが言う必要なかったんか」
「それとこれとは別です。さっきくらい素直に気持ちを伝えてくれてもいいんですよ」
「むう。金森氏も」
「さやか」
「ん?」
「さやかって呼んでください」
「そんなベタな」
「ベタなことを全部しましょう。ケンカも、仲直りのセックスも」
「君は存外煩悩まみれだな」
「何を今更」

 二人で決めた3LDKの部屋は、後々会社を縮小する際に事業所として登録することになる場所であり、賞レースに出る作品が産み出される場所となる。
 しかし今の二人には、ただの愛の巣でしかないのであった。


芝浜2050と同じ世界線で、同棲開始編。