Mymed

彼女は淫魔

 クレープに生クリームを塗り、またクレープを重ねる。途中に好きなフルーツを挟むのもいい。俺が作ったときほど綺麗ではないが、それぞれ楽しそうにしているので完成させずに出したのはおそらく正解なんだと思う。
 ただ、正解じゃないことがあるとすれば、俺がここにいることだろう。ここというのはもちろん、朝から開催すると聞かされていたパジャマパーティー会場である姉さんの部屋だ。無事にさっきゅんをパジャマパーティーに送り出したと思ったら急遽参加せよとの要請があり、パジャマというほど可愛くはないゆるめのスウェットを着て姉さんの部屋にやってきたところだ。
 姉さんの部屋は、甘くていい匂いがする。
 俺はとりあえず一歩入って手前にいるさっきゅんの隣に座ろうとした。しかし、彼女は木製のテーブルの向こうに座らされ、その両腕には姫と姉さんがそれぞれ腕を絡めた。俺は渋々女の子たちと対峙するような位置に座りつつ、素直な疑問を口にした。

「……何で呼んだの?」
「サキュンに何したの!」
「まだ何もしてないけど」

 移動した位置にそれぞれの皿を動かし、俺もミルクレープを作ることにした。姫と姉さんの警戒はすぐに解かれ、自由になったさっきゅんは余っていたふがしの端っこをてっぺんに重ねている。やっぱりペンギンのパジャマが異様に可愛い。
 しかしこうして並んでみるとあれだ、俺は姉さん以外の女の子のパジャマを見たことがないので異常にドキドキするのだと言い聞かせたが、姫は普段からパジャマだった。姫のはセンスがいいとは思うけど別にときめかないので、そういうことだ。

「器用に作るねぇ、鳥ボーイ」
「姫も十分器用だと思うけど」
「それで、のろくん。さっきゅんさんのことが好きなの?」
「え」
「ひぇ」

 さっきゅんがみるみるうちに頬を真っ赤に染め、姉さんは目を輝かせて迫ってくる。姫は特に興味があるわけではなさそうだ。

「恋バナが、できるの!?」
「……。俺も彼女も消費されるような面白コンテンツじゃない」

 反対してくるよりかはマシだけどさ。いや、マシなのだろうか。

「かのじょ」

 姉さんが俺の言葉を拾い上げてニヤッと笑う。

「のろくんに彼女かぁー」
「あーっ、別に、まだそういうのじゃないけど!! 今のはただの三人称だから!!」
「えっ、そ、そうなんだ」

 今度はさっきゅんが照れた様子で俯く。「勘違いしちゃった」とぽそりと呟くので、あくましゅうどうし様みたいにどこかに頭をぶつけてしまいたくなる。

「……俺はなんでここに来てしまったんだろう」
「みんな仲良しだからじゃない?」

 ミルクレープに夢中な姫は意味がよくわかってなさそうだ。姫が一番話しやすいと思う日がくるなんて、思いもしなかった。そんな感想が浮かび、乾いた笑いが漏れる。

「君の腕、けっこうモフモフなんだね」
「あ、そうだね。普段は服で隠れてるけど」

 姫が腕の羽毛を触ってから「触っていい?」と聞くので、ため息交じりに「いいよ」というと、一応遠慮しながらも羽毛に触る。

「……おぉ……。でも寝る時にかぶるなら、尾っぽの方……?」
「いや、さすがに尾は触んないでよ」

 言って聞くような人間じゃないのはわかってるけど、触るなと言っても手を伸ばしてくる。軽く避けようとすると、さっきゅんが間に入ってきて俺の肩を押しやり、姫の手を止めた。

「だ、だめっ」
「だめなの?」
「嫌がってるでしょ」

 俺と姫の間に割って入るように座ったさっきゅんは、耳まで赤い。
 可愛すぎないか。俺が両手で口元を覆っていると、姉さんも同じように口元を覆っていた。

「姫、私がいたところに座って」
「今日は席替えが多いね」
「姫のせいでねっ」

 さっきゅんが立ち上がろうとするので、パジャマの裾を引っ張ると尻もちをついて俺の方に倒れこんだ。
 さらさらの髪に唇が触れるか触れないかという距離。丸い頭を可愛いと撫でまわしたい衝動に駆られる。彼女のしっぽがくるっと俺の指に絡んで、姫や姉さんを前に照れているのがなんだか馬鹿馬鹿しくなった。

「席、ここでいいんじゃない?」
「う、うがぁ……」
「ぬぅ。鳥ボーイ、寒いの?」
「寒い寒い」
「サキュンは?」

 さっきゅんはちらっと俺を見た。

「でも、……三人称なんでしょ」
「それは」
「さっきゅんさん、可愛すぎですぅ」

 姉さんが俺を突き飛ばし、さっきゅんに抱き着く。ひんやりした床に倒れながら、(俺はマジで何をしてるんだ)と思う。女の子たちがじゃれ合う様子を眺めているのは、たぶん本当は贅沢な時間なんだろうけど。
 ドアチャイムが聞こえたのはそんな時だった。俺の部屋の方の音だ。こんな時間に誰だろう。でも、シンプルに助かった、とも思う。
 エントランスまで出てみると魔王様の背中があった。俺の部屋の扉の前に立っているので後姿に呼び掛けると魔王様は「あれ」と言いつつこちらを向いた。

「こっちがお前の部屋では」
「姉さんに呼ばれただけ」
「そうか」
「何か急ぎの用?」
「いや、これを返していなかったのだ。ほら、彼女を想って作った曲だろう?」
「うわあああああ!!」

 思わず部屋を出てドアを閉める。それから魔王様が差し出してきたデモテープを奪った。例の、息抜きに作ったバラード曲だ。

「そういうこと、言わないでくれる!?」
「素敵なことではないか。なぁ、我輩もっと話したいのだが」
「恋バナを? でもさすがに姉さんの部屋に魔王様を招くわけにはいかないから」

 帰って、と魔王様の背中を押そうとしたとき、ドアががちゃっと開いた。姉さんが顔を出す後ろに、姫とさっきゅんもいる。
 デモテープは何としても隠し通さないといけない。こんなの、さすがに自分でも引く。

「今恋バナって言った?」
「あぁ、魔王様が」
「いや、こ、濃いバナナのシェイクが飲みたいのだー。あはは。いやぁ、邪魔して悪いのだ。我輩、のろいのおんがくかに用があって」
「そうなんですね。じゃあのろくん、魔王様優先だね。おやすみ!」
「……おやすみ」

 パタンとドアが閉められ、エントランスで魔王様と顔を見合わせる。仕方がないので俺の部屋に招くと、魔王様はテーブルの前にちょこんと座った。魔王様に出せるような高級なお茶はないよ、などと言いつつお茶を出すと魔王様は静かにそれを飲む。静かだけど、そわそわしていてなんだか表情がうるさい。
 不思議な光景だ。俺の部屋に魔界の王がいるなんて。

「ところで、あの部屋にはさっきゅんがいたではないか!」
「姉さんたち、パジャマパーティーしてるんで。ていうかいいんですか? 姉さんの方が恋バナ好きですけど」
「じょ、女子と恋バナなんてできないのだ」
「学生かよ」
「それで、どう……なのだ? さっきゅんとは」
「……。たぶん、元から好きではあったんですけど……、魔王様が変なこと言うから完全に意識し始めちゃって……」
「……おぉ!」

 考えてみれば、それからとんとん拍子に告白までしてしまった。けどそこまで言うつもりはない。

「まぁとにかく、魔王様のせいだね」
「我輩、仲人の経験はまだないが、いつでも」
「そこまで重くないから!」
「えっ、真剣交際ではないのか?」
「……真剣だからペラペラ話せないんだけど、わかってくれないかなぁ」
「!!」

 魔王様が途端に目を輝かせる。

「のろいのおんがくか、お前……、青春だな!」
「……楽しいですか?」
「楽しいぞ! 我輩は枕が変わると寝れないから今日は帰るけど、今度、我輩の部屋で男子会をするのだ」
「いや、行かないけど」

 魔王様はなんだかんだと数十分居座って帰っていった。
 何をしに来たんだあのひと。……いや、俺が慌てて出ていったから忘れた音源をわざわざ持ってきてくれたんだよな。本来なら取りに来いって言うだけで済むのに。いいひとではあるんだ。
 寝る準備をしていると、ドアをノックする音がした。また魔王様だろうかと思いつつのろのろドアまで向かい開けてみると、さっきゅんが少し俯き気味で立っていた。

「……まだ起きてた?」
「どうしたの?」
「二人は寝ちゃったから」

 シャンプーの香りがふわっと漂って鼻先をくすぐる。くらくらする。誰だ、彼女を落ちこぼれだなんて評価したのは。

「夜に、男の部屋に来るなんて不用心だよ」
「のろいさんは私の嫌がることしないもん。でしょ?」
「俺のこと信用しすぎじゃない?」
「……話そうと思って。ただの三人称でしか彼女って言わないなら、別だけど」

 意外と根に持つタイプなのだろうか。
 俺も照れ隠しで余計なことを言ってしまうのをどうにかした方が良さそうだ。俺の軽口で、彼女は簡単に傷付いてしまう。
 少し端に避けると、さっきゅんはするりと部屋に入ってきた。さきほど魔王様が座った場所と同じ場所に座っているけど、景色が全然違う。

「契約なら考えてるよ」
「え、そうなの?」
「うん。専属契約で、都度更新」

 隣に腰を下ろすと、しっぽがくるりと俺の腰を回った。さっきのことを思い出して知らず頬が緩む。

「これってわざと?」
「あ、ぅ……、勝手に」
「可愛すぎるんだよね、ほんと」

 さっきゅんを抱き寄せ、首の後ろを支えてその頬に唇を寄せる。そのまま柔らかな唇に唇を重ねると、じわじわとあたたかいものが流れていくのを感じる。もう一度抱き寄せながら、ペンギンのパジャマの裾をめくると――……、力が抜けて目が回り、ゴトッと頭を床に打ち付けた。

「うがーっ! 摂り過ぎた!!」
「え、こんななるの」
「か、返すのってどうやるんだっけぇ……」

 半泣きのさっきゅんが俺の頬を両手で包む。それすらも可愛い。
 横になった俺を覗き込み、人工呼吸のようにちゅっと軽くキスをする。彼女からしてくれるとは思っていなかったのですごく嬉しいのだが、生気を返すどころか更に吸われている感覚がする。
 指先が痺れているが、なんとか自分と彼女の唇の間に手を滑り込ませた。

「ご、ごめん。やめて。たぶん寝たら治るから」
「うがぁ……」

 どうやら俺は、命がけの恋をしてしまったらしい。
 眠りにつくというよりも意識を手放しながら、とりあえず契約は見直す必要がありそうだとぼんやり思った。