Mymed

君の淫魔

 さて、聞いてくると言った以上は姫に城下町のおすすめスポットを聞いてはみたけれど、たぶんあの様子じゃ城下町に出掛けることなんてできないと思う。赤い飾り羽がよく映える真っ青な顔だった。お昼ごろに何か食べやすいものをもってもう一度部屋に行ってみよう。
 お兄は一体どのくらい強いお酒を飲ませたんだろう。そもそもどうやって飲ませたのかも疑問だ。のろいさんなら気付きそうなものなのに。

「さっきゅん、待っていたぞ」
「お兄。お兄は二日酔いじゃないの?」
「オレは彼ほどハイペースには飲んでない。これは――、お詫びの品だ」

 お兄が差し出したのは、高級なかいふくチェリーのかご盛りだった。一粒一粒がつやつやと光っている。お兄にお詫びの品を渡すような常識があったなんて。普段が怠け者だから、たまにこういう面を見るとほっとする。

「お昼過ぎにもう一度様子を見に行くつもりだから、その時に持って行くね」
「せっかくの休日に残念だな」
「お兄のせいでしょ」
「魔王様は元気そうだった」
「魔王様にも飲ませたの!?」

 お兄は目を離すと何をしでかすかわからない。魔王様が怒ってないことを祈るばかりだ。
 お昼、私はかいふくチェリーのかご盛りを持って再びのろいさんの部屋を訪れた。

「朝はありがとう。どこに行こうか」

 のろいさんはおしゃれをしていたし、微笑んで出迎えてくれた。けれど、顔が青いままだった。想定内だ。
 けれど完全に無理をしていて、その上無理をしていることを隠すこともできないようだった。そんなに楽しみにしているとは想定外だった。

「無理しないで。お兄がお詫びにってかいふくチェリーをくれたの。今日はお部屋でゆっくりした方がいいよ」
「……でも、初めてのデートなのに」
「城下町なんてこれからいつでも行けるんだから。反論は禁止」

 かごから一粒のかいふくチェリーをとって、のろいさんの口に入れる。近寄ってきたピーツァルトちゃんにも一つおすそ分けをすると、嬉しそうに飛び跳ねた。

「あ、これすごく美味しい」

 私も一粒口に入れると、甘酸っぱい果汁が口の中に広がった。瑞々しい果肉が普段食べているものよりも分厚い気がする。

「映画でも見る?」
「うん」

 寄り添って、時々かいふくチェリーを食べながらルームシアターで映画を見る。これはたぶん、完璧なお部屋デートだと思う。その映画は名作と呼ばれるもので、見たことのないものだった。
 映画を観終わったとき、のろいさんはずいぶん回復しているように見えた。

「よかった、顔色がずいぶん良くなった」
「そんなに悪かった?」
「アンデッド族みたいだったよ。お昼を食べられそうなら、クーマーイーツでも頼む?」
「大丈夫だよ」
「何か飲みたくない? お茶をいれるね」
「オレがいれるよ。コーヒーしかないかも」

 キッチンに立つとのろいさんもついてきた。やかんに火をかけるだけの作業を二人がかりで行うと、彼は後ろからするりと腕を回した。それから私のお腹の前で指を組む。

「楽しいデートを計画するはずだったのに」
「え、お部屋デート楽しくないの?」
「オレの部屋で、オレの好きな映画で、しかもオレは二日酔い。君が楽しくないんじゃないかと思って。初デートなのに」
「初めて見る映画で面白かったよ」

 もうそろそろお湯が沸くなぁと考えていると、頭にキスをされた。

「君にかっこいいと思ってほしいのに、君の前だとかっこつかない」
「かっこつける必要ないじゃない。かっこいいから好きなわけじゃないし」

 のろいさんは氷をいれたグラスに濃いめのコーヒーを注ぐ。私はそれにミルクを入れてラテ風にした。ソファーの方に戻るときはさすがにハグからは解放されたが、たった数メートルの距離を護衛されているようにぴったりと並んで歩く。

「かっこつけたいのは私。相変わらず落ちこぼれだし、いいところを見せたいのにコーヒーは結局いれてもらうし」

 のろいさんは私の両手を握った。それからゆっくりと抱き寄せられる。そのままのろいさんがソファーに座るのに引っ張られて彼の膝の上に座る。距離が1ミリもない状況よりも、重くないかが気になって仕方ない。

「落ちこぼれじゃない。君は魅力的だよ」
「……。でもそう言ってくれるのって、のろいさんだけ……」

 自分で言っておいて笑ってしまった。私は自分が思っている以上に落ちこぼれというのを気にしているみたいだ。

「オレだけじゃ足りない?」

 のろいさんは私の腰に腕を回したままぴったりと体を寄せる。髪に手櫛を通される感触があって、首から上の感覚が鋭くなる。そんな首筋に柔らかい唇が突然触れたので、思わずぎゅっと目をつぶっていた。

「――ぁ」
「どのくらい伝えればわかってくれる?」

 後頭部に手を添えられ、誘われるまま唇を重ねる。流れ込んでくる生気をとらないように意識すると、キスどころではない。熱く柔らかい舌が唇をこえて侵入してくるのを受け止めると、脳が甘く痺れていくような錯覚に陥る。
 生気を奪ってしまう。
 やんわりと拒絶すると、首元のボタンがプツリと一つ外された。再び首筋にキスをされる。ちゅうっと吸われると、体がピクリと震える。神経が過敏になっている気がする。

「のろいさん……慣れてるの?」
「……。それが嫉妬なら嬉しいけどね」
「あっ、くすぐったい……っ」

 ワンピースがそっとたくし上げられ、シャツとパニエだけになってしまった。シャツのボタンをもう一つ外され、鎖骨のあたりをちゅっと吸われる。
 ドキドキしているのが聞こえてしまうかもしれない。
 でもそんなことは気にならなくて、ちょうど目の前にある額にキスをする。と、腰のあたりが自分の意志とは関係なくびくっと跳ねた。のろいさんの腕にしっぽを巻き付けてしまっていて、その根元に彼の指が触れたのだ。
 しっぽなんて、別になんともなかったのに。

「んっ、だめ……っ」
「あ、ごめん」

 のろいさんが手をホールドアップする。

「危なかった――……」

 のろいさんが外したボタンを律儀に留めなおす。しきりに「違う、違う」と呟いているのは、なんだか奇妙だ。さきほど脱がされたワンピースも着せられて、気分は着せ替え人形。
 膝の上から隣に座りなおすと、のろいさんはぐったりとソファーに体を預けた。

「君は本当に全然、淫魔として落ちこぼれじゃないと思うよ」
「え、ほんと?」
「現に今、危なかったじゃないか。オレは君の魅力にあてられて――、別にその気じゃなかっただろう?」
「その気っていうのがわからないけど、ドキドキはしたよ」
「今からすっごい恥ずかしいこと言うけど、言わないとわからないみたいだから言うんだけど――……」

 その長い前置きの間、のろいさんは私の手を握った。

「君に求められて、愛し合って、それから朝は君にココアを出したいんだよ。レースのベッドカーテンまではいらないけどさ」

 初デートにもこだわってたし、もしかしてのろいさんってかなりロマンティックなのかな。ハーピィさんの影響とか、ありそう。
 それとも、これまで付き合っていた相手がこだわっていた――その可能性を考えたら、チクリと胸が痛んだ。

「重要なのは君の気持ち」
「……そういうこと言うの、習った」
「習った?」

 気持ちが大事だとか言う相手は淫魔のターゲットとしては一番手強いのだそうだ。それを聞いたとき、いいことじゃないかと思った。だって私は、実技は得意ではないのだ。
 でも、実際に言われてみると悩ましい。私の気持ちというのはつまり、「好きってなに?」と聞いたままではたぶん、だめだということ。のろいさんが特別なのは変わりないんだけどなぁ。

「求めるっていうのはわからないけど、とりあえず……その時に習った対処法、体験してみる?」
「……気にはなる」
「えーっと……」

 のろいさんと向き合うように、彼を跨いで座る。それから髪をばさっと後ろに流し、キスをしてその目をのぞきこむ。それからなんて言うんだっけ。あ、思い出した。少し変な間があいてしまった。

「『じゃあ、私を好きになればいいじゃない』」

 のろいさんは一瞬笑いをこらえ、我慢できずに噴き出した。
 一緒だ。学校で笑われたときと同じ。

「うがぁ……、笑わないで」

 恥ずかしい。時間差で顔が熱くなってのろいさんの上からおりようとすると、するりと伸ばされた腕に抱きしめられて立てなかった。

「可愛すぎて、顔が勝手に笑っちゃうんだよ」
「もう」
「君の実習の成績が良くなかったって意味はよくわかったよ。でもたぶん、指導要領の方が悪かったんじゃないかな」
「そう思う?」
「そう思うね。画一的な授業では君の魅力を引き出せないってこと。まぁ、君の魅力はオレだけが知っていればいいけど」
「恥ずかしいこと言わないで」

 サイドテーブルからかいふくチェリーを一粒とってのろいさんの口に入れる。のろいさんが一粒とって私の口に入れると、「ん?」と疑問の声を漏らした。視線をたどると、お兄に渡されたかいふくチェリーのかごがあった。かいふくチェリーの隙間から何かが見える。

「上げ底?」
「いや、これ――……」

 封があいていない避妊具の箱だった。

「お兄ったら……」
「許可をもらえたのかな」
「えっと、これ……使ってみたい?」
「じゃあ、何かまた授業で習った誘惑の方法を見せてよ」
「……オッケー」

 姿勢を正して、髪をばさっと後ろに流し、彼の胸に手を当ててキスをし、その目をのぞきこむ。

「……『楽しいことしない?』」

 のろいさんは顔を伏せてプルプルと肩を震わせた。そんなつもりはなかったけど、かなりの笑いをとれたようだ。のろいさんは笑いすぎて耳まで赤い。
 今度こそ膝の上からおりると、のろいさんは自分の額に手を当てて顔を隠し、まだ笑っていた。

「同じじゃん……。さっきと……」
「アドリブ下手で……」
「白状すると、さっきの使ってみたい? っていう方がやばかったよ。次は何を観る? さっきゅんの好きなものにしよう」
「コメディーはある?」
「ここで一覧画面を出せるから、探しといて」

 のろいさんがかいふくチェリーのかごの中から小さな箱を取り出し、さっとベッドサイドテーブルの引き出しに入れた。どうやら使う気はないらしい。しばらくは使うこともないんじゃないかな。その気になるっていうのがわかる気がしないけれど、待ってくれるみたいだし。

「軽食を作るよ。君もいる?」
「ううん、大丈夫」

 手伝おうと思って立ち上がろうとした直前、ピーツァルトちゃんが膝の上に乗った。ずいぶん懐いてくれたみたいだけど、立てなくなってしまった。ふわふわの体を抱きしめて映画を選ぶことにする。
 とてもリラックスした休日。城下町をブラブラして歩き疲れるよりものろいさんの好きなものを知ることの方がよっぽど楽しい。

「……私もレースのベッドカーテンはいらないかなぁ。ね、ピーツァルトちゃん」

 好きとは何なのか――まだ確信はないけれど、次こそはのろいさんの理想のデートになるといいなぁと思う。